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グループ展 「路上、路常、路情。」 その3

さて、前回の記事の続きです。前々回の記事はこちら

どこからが作品?

これは今回の映像の制作を始める時に真っ先に思ったことですが、”どこからが作品と呼べるものなのか”ということです。

作品と聞くと、一般的には芸術作品、いわゆるアートと呼ばれるものを想像するかと思います。
しかし、この社会には作品と呼べるものはたくさんあります。
映画だったり、職人の作った箸だったり、小学校の夏休みの課題制作でも、アーティスティックな作品を作ってくるヤツもいます。

さて、作品という言葉の意味を調べると、

製作したもの。特に、芸術活動による製作物。「文学作品」「工芸作品」
                          出典:goo辞書

らしいです。
作ったものは全部作品。と言ってしまうと広すぎますし、今回の話における意味合い的にも作品=芸術作品というのが当てはまりそうです。

では、芸術とは何だ?という話になってきます。
これについては難しい話すぎるので、今回は映像作品の話に留めて考えていくことにします。

ちなみに、芸術について調べてみると、

表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。文芸(言語芸術)、美術(造形芸術)、音楽(音響芸術)、演劇・映画(総合芸術)などを指す。
                           出典:Wikipedia

だそうです。
この定義でいくと、映画は映像作品の代表格ですよね。

でも、基本的にあらゆる映像はこの定義に当てはまるように思います。
自分は仕事でいろんな映像を作ってるので、いわゆる商業的な映像を主に制作しています。商業的な映像にも、制作する側の表現したいこと、伝えたいことがあって、それをカタチにして、受け取る側に提示しています。
例えばCMでも、鑑賞者に対して伝えたいメッセージがあって、鑑賞者はそれを受けとることでその商品に関心を持ったりする、という精神的な変動が起こるわけです。ざっくり言うと。
そういう意味では、あらゆる映像が芸術作品であるように思えます。

でも自分としては、毎回意味のある映像を作っている自覚はありますが、「毎回芸術作品を作っているぞ!」という自覚は全くありません。
というのも、おそらく自分の中に「芸術=自己表現」的なイメージがあるからだと思います。
それもあって、今回映像を作るにあたり「芸術作品っぽいものを作った方がいいのか?」とか一瞬思ってしまったわけです。笑

表現ってなんだ?

ということでこれを紐解くには、表現とは何かということを考える必要があります。

ちなみに表現という言葉の意味は、

自分の感情や思想・意志などを形として残したり、態度や言語で示したりすることである。また、ある物体や事柄を別の言葉を用いて言い換えることなども表現という。
                           出典:Wikipedia
心理的、感情的、精神的などの内面的なものを、外面的、感性的形象として客観化すること。また、その客観的形象としての、表情・身振り・言語・記号・造形物など。「情感を表現する」「全身で表現する」
                          出典:Weblio辞書

だそうです。うむ、納得です。
自分も、表現とは間接的な主張のようなものだと思っています。というか、全てのものがそうです。

人の内面に存在することそのものを伝えることは不可能なわけです。当たり前ですけど。
お腹空いたと伝えてみても、それはお腹空いたという言葉を伝えただけであって、お腹が空いていることそのものを伝える術は無いわけです。
仮にお腹を捌いて胃の中を見てみても、そこには空っぽの胃袋があるだけで、”その人がお腹が空いているということ”はその人の意識の中にしかないわけです。当たり前ですけど。笑
となると、本人の意思によらない身体の変動以外は、おそらく全て表現と言えるわけです。

となると、別にアーティスティックなものじゃなくても「私はこう感じたんだ!」と思ったことを何かにアウトプットしたらそれは表現で、それが他人の目に触れたら芸術のようなもののわけです。
つまりは、全ての人がアーティストの要素をすでに持っていて、常日頃制作活動は行なっているけど、アウトプットによる精神的な変動を意図的に起こそうとしているかどうか。それらを能動的に行うことで、作品創りの自覚を持っているかどうかが決定的な違い。といったところでしょうか。

となると極端な話、どんな大したことないもの作っても、これは芸術作品だって言ってしまえば芸術作品なわけですよね。
(確かまさなりもそんな話してました。)
結局はその人がどれほどのマインドでやってるのかによる、ということですね。

映像を見るときには、「結局どうしたいの?何が言いたいの?」という視点で見てみると見え方も変わって面白いと思います。

ということで、映像は(ほぼ)もれなく全て表現で、芸術作品と言えると思います。
問題は、意思をもってアウトプットしているかどうか。それによって自分の周囲にどんな変動をもたらそうとしているのか、ということじゃないでしょうか。
映像作品のカタチも様々ですが、自分の制作物をどう認識しているかによってその映像の立ち位置も変わってくるのかなと思いました。

もっと色々な角度から考えた方がいいかもしれませんが、キリがないのでこのへんにしときます。悪しからず。

疲れたので続きは次回。予定より長くなってきました、すみません。笑
その4に続く!


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