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37歳の誕生日に

37歳になりました。31歳以来の素数。

この世界にはいろんな37歳があって、ヘーゲルが『精神現象学』を出版したのはこの年齢。カート・ヴォネガットは『タイタンの妖女』を書き、フィッツジェラルドは苦しみながら『夜はやさし』に立ち向かい、サリンジャーは隠遁生活をスタートしていて、デヴィッド・ボウイは『トゥナイト』というひどいアルバムを出し、ボブ・マーリーは37歳を迎える前に亡くなって、コルトレーンは『インプレッションズ』の頃で僕はこの時期の演奏が一番好きで、夏目漱石は神経衰弱の真っ只中、その翌年に『吾輩は猫である』で小説家デビューする。
目覚ましい37歳もあれば、あまりパッとしない37歳とか特筆すべきことのない37歳がもしかしたら大半で、それでも人生は続く、と思いたいけれどボブ・マーリーを思い出せばそう簡単にいくとは限らないし、そう簡単にはいかなかった身近な誰かも思い起こされて、それでもやっぱり人生は続くし、続けられることにも感謝すべきなんだな、と感じます。

思えば僕が父親の年齢を初めて覚えたのは「37歳」で、自分が4歳から5歳にかけての記憶です。言い逃れできなくらいに大人で、我が子も僕の年齢をもう覚えてるはず。まごうことなく父親としての年齢です。

生来なかなかじっとしていることのできない人間が、仕事はひとところで長くお世話になっていられるのも、周囲の皆さまが飽きることない刺激を、あるいは新鮮で力強い物事を毎日もたらしてくださるからです。
であるならば、自分だって同じことを繰り返すだけじゃだめだ、と思い立ち、最近ではそうした日々の刺激を未来に残すため、皆さんとの愉快な物事を記録して先に繋げるために白白庵のnoteを動かしています。インタビュー記事を作成することで展覧会の現場にもう一歩踏み込んで感情移入や理解ができるようになった気もします。

2021年からは美術作家の大槻香奈さん発案で『日本現代うつわ論』という本を年に一冊で作り、文章や本を「作る」プロセスに関わることで、じわじわと「文章を書く」という行為そのものが面白くなってきたということもあります。
自分が考えていることや目にしたこと、感じていることを上手く言語化できたら楽しいだろうと強く思うようになりました。ごく素朴な感覚として、言葉にするとはとても大事な人間的行為ですし、あるいは身の回りにもたらされる様々な面白い作品や表現たちを言葉に置き換えて伝わりやすくしたいという欲求も強くあります。
そんなこんなで「文章が上手くなりたい」というのが最近の一番強い思いです。

それ以外にもnoteを新たに作って4月から毎日、何かしら文章の練習として書き続けています。日々課題を自分に与えたり、前の日より上手く書こうと向き合うことはささやかながら良い刺激になります。楽しみを見つけられたことそのものが嬉しいことですし、以前の自分には書けなかったことが、少しずつテキストに変換できるようになるのは悪くない気分です。

一昨日の夜、小学校二年生になった息子が「びっくりしちゃうといけないから先に言っておくけど、明日の夜は誕生日のお手紙を枕元においておくね」と宣言してくれました。なんて良い子。


というテキストを朝一でFBには投稿しました。
あそこはやっぱりパブリックな職場でここは自分の部屋。

そして今日は文学フリマ東京。
まさか誕生日に自分たちで作った本を売って過ごすことがあろうとは、数年前なら考えられないことでした。
結果としてこのところの取り組みが良い形で身を結んでいる実感が得られる喜ばしいものとなりました。
詳しくは明日の記事に書きます。

おかげさまで素晴らしい誕生日となりました。
一層精進します。



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