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真打ち登場 その2 【家賃の行方とチェロとの思い出】

メキシコ特有の真っ青な空を見上げて、息を切らしながら僕は坂道を登っていた。「映画館の手前の路地を左に曲がって一軒目」僕のお店の2階部分に住む大学生達が「大家」と主張する彼女の家を教えてくれた。

古びた映画館の手前の路地。一軒目の大きなドアの鉄格子にぶら下がる呼び鈴を押すと、屋上から電話の主と同じ声の女性がさっきの電話と同じように大きな声で「今すぐ降りるからちょっと待ってなさい」と叫んだ。

両側に大きな家が並ぶ細い路地は太陽が遮られていてひんやりとしているのかさっきまで坂道を登って汗ばんでた身体を休めるのにはちょうどよかったけれど、この時は僕は得体のしれない怪物か魔女と会うかもしれない不安と緊張で癒やされることはなかったのを覚えている。とにかくあの電話の主と家賃のことについて話さないといけないのは僕じゃなくてディアナじゃないのか?と憤ってはみたけれど、メキシコでは小さな問題を放おっておくと何倍にも膨れ上がって自分に返って来る気がして焦ってもいた。

「よく来たわね」そう言った彼女は電話の声とも大学生を叱りちらした声とも違って優しく僕に声をかけ、ドアと鉄格子を開けて僕を家に招き入れた。
彼女の家は部屋数が10以上ある大きな家で、大学生に貸しているという。時折、生乾きの洗濯物と飼っている犬達が残していった尿が混じった匂いを嗅ぎながら彼女は僕を屋上へ案内してくれた。
「中国人の学生がいるんだよ」とメキシコではありがちの「アジア人は皆友達なんだろ?」的な話をしながら彼女はさっきまで座っていた椅子に腰掛けて飲みかけのコカ・コーラに目配せをして
「あんたも飲むかい?それともこんなに身体に悪いもんはあんた達は飲まんのだろ?だからそんなに痩せっぽちなんだね」と言いながら僕にもコカ・コーラをくれた。

「なんだ。。。案外良い人じゃん」

それが僕が彼女に抱いた第一印象だ。
コカ・コーラを飲みながら話をする。これはアミーゴ社会のメキシコでは大事なことなんだな。そんなことを思いながら僕は彼女が事の発端を話始めるのを待った。

「わざわざ呼び出して悪かったね。とにかく、あんたは来月から家賃は私に払うんだ。わかったね。今までディアナには十分家賃を受け取らしてやったんだ。それをあの母親が台無しにしてしまった。ルイスも、そうだよルイスは私の兄弟さ。あいつのことは心配しないでいい。あんたにもらった家賃は私がルイスに渡すから」

コカ・コーラを飲みながらなのか、それとも僕がメキシコ人のオバサンには好かれるタイプなのか。おそらく後者だろうけれど、チェロという名の彼女は電話口とは別人のように冷静に成り行きを説明してくれた。ただ。。ディアナとその母親の話になるときはその感情をむき出しにして僕に怒りをぶつけるのだった。

「私はずっと今お前が借りている物件部分と学生に貸している2階部分の家賃を管理していたんだ。建物の修理が必要な場合も自腹を切ってな。

それが、弟のルイスが金が必要と言いだすから物件部分の家賃を受け取らせてやっていたのに。。。

私に内緒でアルマに渡していたんだよ。そのうちいつのまにか別居してルイスは別の街に引っ越したけれど、今度は家賃を自分で受け取りにいくようになった。私はてっきりルイスが受け取ってると思ってたけど、あの女があの物件の大家だっていって我が者顔でやってたのさ。

私はそれを知ってアルマに金輪際家賃は私が管理すると言ったんだ。私のものだから当然さ。」

そう言うと怒りで肩を震わせながら自分の部屋に何かを取りにいった。

「見てご覧、あの建物の権利書だ。これが私の名前。あの建物は私の名義なのさ。なのに、ルイスもアルマの肩を持って勝手にしやがるし、アルマは知らん顔で大家気取り。許せるこっちゃないよ」

「でもね、私はね、それでも家賃がディアナの為に使われてるならそれで良かったんだよ。それが、今度はルイスが糖尿病で働けなくなって、金がいるから2階部分の家賃を受け取りたいと言ってきた。おかしいじゃないか。店舗部分の家賃があるのに」

チェロは3杯目のコカ・コーラを飲みだした。

「問い詰めたら、アルマがルイスには渡さないと言うじゃないか。それだけならまだしも、アルマはルイスと離婚した慰謝料としてあの物件の権利書を渡せときた。。そんなこと出来るわけないのにな。そもそもルイスにはなんの権利もないんだからね」

「じゃあ僕はディアナと賃貸契約を交わしてるのは。。。」

「だから、それはディアナとアルマが勝手に人の者をあんたに貸してるだけだよ。ルイスとはさっき話しをつけた。これからは今までどおり私が管理するんだよ。だからあんたもあの物件を借りたければ私に家賃を払いなさい。
保証金は勘弁してあげるよ。どうせディアナに払ったんでしょ?返ってはこないよ。諦めなさい。あの2人はもうこの街にはいないはずだよ」

チェロが言うことはなんとなく理解はできた。僕としては誰が家賃を受け取ろうがあの物件に引き続きいられるならどっちでもよかった。ただ、チェロの言う通りディアナに渡した保証金は返ってこなかった。何度連絡してもつかまらなかったし、家にいってももうもぬけの殻だった。家賃2ヶ月分の保証金は返ってこなかったけれど、チェロは改めて彼女払わなければいけない保証金を免除してくれた。それは、いきなり家族の揉め事のとばっちりを受けてしまったこと、2年半据え置きだった家賃を10%引き上げることへの僕への配慮なのだろう。いや。。「まじかよ。。」保証金は返ってこないし、来月から10%家賃は上がるし。。そう思ってはみたけれど、意外と良い人だったチェロに僕はどこか信頼を寄せていた。

実際、それから10年以上、彼女とは良好な関係を築くことができたし、彼女は僕のお店の常連客として通い続けてくれるようになっていた。一度だけ僕が無断で内装工事をしてしまった時は本当に追い出される一歩手前だったけど、それも良い思い出である。言葉は悪いしすぐ大声でキレるけど、実はとても優しいチェロ。彼女は僕のことをずっと応援してくれていた一人だし、お店が繁盛するのを自分のことのように喜んでくれていた。ありがとうチェロ。

メキシコを去る時にもらった大きなお皿が日本に着いたら割れていたのは黙っておこう。



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