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映画『神の子』舞台あいさつの芦田愛菜

つい先日、映画『神の子』の舞台あいさつのとき「信じるとは?」ということについて持論を展開した芦田愛菜に賞賛の声があがりました。

その持ち上げ方になんだか俺はもやもやを感じて、この違和感はなんだろう?とずっと考えていました。

16歳の子がこんなに持論を持っていてすごいという賞賛なんでしょうか。「16歳」だからなのかな。たぶんそう。この異常な大人の持ち上げ方を見ると。

でも、50歳になっても、60歳になっても、こんなに深く考えている(哲学している)大人はむしろ少ないと言わざるをえません。だからこれは年齢ではないのでしょう。考えない人はいくつになっても考えず、「ぼーっと生きている」だけです。もちろんその中には俺も含みます。

その考えていない大人が、考えている16歳を誉めている図は、こっけいとも言えます。

「誉め殺し」という言葉がありますが、深層心理では、誉めながらその実相手を否定するこざかしさを持っています。そのこざかしさが「大人」であるともいえるかもしれませんが、そのこざかしさがない16歳に嫉妬している、というふうにも見えます。

「どうせ大人になったら、そんな理想論じゃすまないんだよ」など、無意識ではそう思っているからこそ、やたら16歳を誉める。

こういうのは努力とかではなくて、一種の性質(性格)であって、彼女だけが考えているのではなく、考えている青少年はたくさんいます。でも、彼女のように外へ自分の思いを出しずらい。哲学しているなどと思われると、暗いだの、面倒だのと言われてしまう。だからそういう人は隠れています。それがバレると生きづらくなることを知っているからです。むしろ人以上にバカになり、ピエロを演じます。

その点、 芦田愛菜は超有名人だから(しかも秀才と世間でも認知されているので)、哲学していることを堂々と口に出しても、周りに押しつぶされる心配はないと言えるでしょう。

ところで、この発言で関心を引かれた映画『神の子』の方も、がぜん興味がわいてきました。ぜひいつか観たいと思います。芦田愛菜の発言が映画の最高のプロモーションになったというのも、してやられたなぁという感じですね。

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