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「私なんてに、さよならを」 第4話

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 私を支えてくれた愛莉やほのか、仲野先生、侑雨ちゃんみたいに、花乃ちゃんの力になりたい。冬吾のことも頭の片隅に無いことなかったが、花乃ちゃんへの思いの方が断然勝って、私はその後も子ども食堂に通い続けた。他にもよく話す子ができてきて、花乃ちゃんも徐々に輪に入れるようになってきた。

 しかしある日、ショートカットのパンツスーツの女性が凄い剣幕で入ってきた。

「すみません、うちの花乃がこちらにいると思うんですけど」

 険しい表情に、怯える子どもたち。そんな中、花乃ちゃんは無言で立ち上がり、出入口に向かう。背中から不安が滲み出ているように見えた。

「どうしたん。今日仕事ちゃうん」

「早よ終わったから帰ってきたらおらんし、図書館覗きに行こうかなと思ったら、隣の奥さんにここに入っていくの見たって言われて。何でこんなとこにおるん。勉強はどうしたん」

 最後の一言に、明らかに表情が硬くなる。騒ぎを聞きつけて、奥の台所から千紗さんが出てきた。

「花乃ちゃんのお母さんですか。ここの代表の早見はやみ千紗と申します。以前、公園に1人でいるのを見かけて、心配だったのでお声かけしたんです。ここなら、大学生のボランティアが宿題や勉強を見てくれたり、遊んでくれたりしているので1人よりは安心かと思って。その時点で一度ご連絡すべきでした。申し訳ございません」

 公園で子どもに声をかけるなんて、それこそ不審者と言われても仕方がない。花乃は上の学校に行くために頑張ってるのだから、こんな食べるのにも困る子が来るようなところには来させられないなど、酷い言葉をまくし立てる。

 黙って聞いていた花乃ちゃんがゆらりと動いた。

「ええ加減にして!千紗さんに、みんなに謝って!お母さん、上の学校、勉強ってそればっかり!別に私、私立の学校なんか行きたくないし、自分ができんかったことを押しつけんのやめて!!!」

 ほとんど叫びだった。これまで、どれほどその身に思いを隠してきたのだろう。花乃ちゃんの言葉に、顔面蒼白になるお母さん。

 凍りついた空気を溶かしたのは、先ほどまで暴言を吐かれていた千紗さんの、ふんわりと包み込むような柔らかな声だった。

「奥で温かい飲み物でも飲みながらお話しましょう。こちらへどうぞ」

 誘導されていく2人。そして、花乃ちゃんとよく話していた私も良かったら同席してほしいと声をかけられ、ついて行った。

 温かいほうじ茶がみんなの前に並ぶ。千紗さんが準備している間、沈黙が重かった。

 みんなが席に着いても、花乃ちゃんは俯いてしまって話そうとしないので、私が代わりに話し出した。悪い点数を取ったら怒られたり泣かれたりするのが辛いこと、本当は友だちと同じ公立の中学校に行きたいと思っているのに期待を裏切るようで言えないことなど、これまで聞いたことをかいつまんで話す。

 それを聞いた花乃ちゃんのお母さんも、ぽつりぽつりと話してくれた。

 自分が子どもの頃に、地元の公立中学校が荒れており、友だちはみんな私立に行く中、家の経済事情で叶わなかったそうだ。中学校に入るやいなや、酷いいじめにあい、いっときは学校に行けないまでになったらしい。

 同じ思いをさせたくなくて、少しでも良い学校に行かせてあげたいと思って厳しくしていたが、自分の思いが強くなりすぎていたと反省している。

 花乃ちゃんを思うがあまりの行動だったけれど、言葉が足りず、思いが伝わっていなかった。

「ごめんね。一緒に通いたいと思える友だちがいるならきっと大丈夫やんね」

 後悔が滲んだ表情で、謝って、抱きしめる。無言でされるがままになっていた花乃ちゃんの瞳から、一筋の涙が流れた。

 花乃ちゃんのお母さんは千紗さんにも謝罪し、せっかくなら一緒にどうぞと言われて、申し訳なさそうにしながら食事を共にすることになった。

 食べる前に、みんなで手を合わせる。それが千紗さんとのお約束。

 花乃ちゃんのお母さんは、一口食べると、美味しさに目を見開いていた。それは、今まで叱られるからとご飯の提供前に帰っていた花乃ちゃんも同じで、夢中になって食べていた。笑った顔がよく似ている。

 食べながら、ぽつぽつと子ども食堂のコンセプトと意義をお話する千紗さんに、今まで勘違いをしていた、これからも花乃が来たい時はよろしくお願いしますと言ってくれた。

 どうしても折り合わない人は、世の中には存在する。ただ、コミュニケーションが足りないすれ違いからくるものも少なからずある。

 帰る直前、花乃ちゃんは私の方を向いて、笑ってくれた。もうきっと大丈夫、そう安心できる笑顔だった。

 目頭が熱くなる。ぐっと堪えて、こちらも100%の笑顔を返した。



 文化祭の日が近づいてきた。映画の感想をまとめて、サークルに提出しなければならない。最近観た中では、だんとつで先輩と2人で観た映画が良かった。でも、書こうとすると、あの日の事を思い出して、それからここ最近の自分の空回りっぷりに頭を抱える。

 先輩との接触を増やそうと、バイトの前にちょっと顔を出したりと行く回数を増やしたら「あら、最近熱心に参加してるわね。感心感心」と単にサークル活動に力を入れていると思われた。

 いつも自分が喋ってばかりだから、先輩の話を聞こうと、しばらく黙って見つめていたら、体調を心配された。私、普段どれだけ先輩に話聞いてもらってるんだ。ありがとうございます。

 うーん、色仕掛けに挑戦してみたところで、効きそうなタイプじゃないしな。多分そんな事しようとしたら、女の子は自分の事を大事にしないとダメよと言って怒られるだろうと、容易に想像できる。

 そんな所も好きだなあ。自覚してから、どんどん好きな所が増えていく。

 私ももっと中身を磨こう。まずは先輩に性別関わらず良い子だと思ってもらえるようにしたいなと思いながら、再びサークルに提出する原稿に向き直った。



 あっという間に、文化祭当日を迎えた。雲一つ無い晴天。気温もちょうど良くて過ごしやすい日になりそう。

 この日のために作られたU字型の門には文化祭の文字と、壮大なイラストが描かれている。門をくぐると、既に開始に向けて準備をする学生でごった返しており、話し声が形を作りきらず空に昇っていく。

 あれから先輩との進展は無いけど、映画サークルの当番を一緒にできることになった。終わった後、一緒に文化祭をまわれないか聞きたいけど、先約があったらへこんでしまいそうだ。

 当番は明日の午前で、今日は午前中は侑雨ちゃんとボランティアサークルの当番をして、午後からはそのまま一緒にまわる予定にしている。

 ボランティアサークルは活動している様子を撮影した写真や動画、子どもたちと一緒に作った制作物などを展示していて、大盛況とまではいかないけど、ぽつりぽつりとお客さんが来る。

 花乃ちゃんとお母さんも来てくれた。あれから、受験するのをやめて時間ができた分、趣味のファンタジー小説を読んだり、書いたりしているみたい。完成したら読ませてねと言うと、恥ずかしそうにしていた。そんな様子を見てにこにこしているお母さんの様子を見て、改めて安心する。

 午後からは、出店でお昼を済ませて、演劇部の舞台を観てから、展示を覗いたりした。

 屋外に出て、ぶらぶらと人通りの多いあたりを歩いている時、向こうから陽太が歩いてくるのを見つける。学部も違うし、連絡を絶ってから顔を見るのは久々だなと思っていると、こっちに向かって来ているように見える。

 嫌な予感がして、侑雨ちゃんの手を繋いで道を戻ろうとしたら、「美月!」と大きな声で叫ばれて立ち止まらずをえなかった。

 錆びついたブリキのおもちゃのように、ゆっくりと振り返る。突然叫び出したから、周りも何事かとざわついていて恥ずかしい。

 どんどんと近づいてきたかと思うと、私の両手を掴んで、勢い込んで話し出す。

「ごめん、俺、美月のこと傷つけて、別れるべきやとはわかってるんやけど、やっぱり好きで、諦められへんくて。もう一度チャンスもらわれへんかな。美月が嫌なんやったら、他の子と遊びに行くのもやめる」

 陽太の握りしめた手に力が入って、微かに震えている。少し絆されそうになる自分を叱咤する。それは、もはや恋情じゃない。半年間一緒にいたという、ただの“情”だ。

 口を開こうとした途端、横から肩を組まれた。

「美月、彼氏おったん?だから俺が誘っても出かけてもくれへんかったん?」

 何でここに冬吾がいるのか。そしてこの腕はなんだ。

「中学の頃より可愛なって、ボランティアサークルで頑張ってる姿見て、好きやなって思ってたのに」

 私を挟んで、陽太と冬吾が睨み合う。まず、陽太の手を振り払い、冬吾の腕も掴んで降ろさせる。注目されているのは嫌だけど、自分で踏ん切りをつけないといけない。傷ついて自分を曲げてしまった私にも、好きだと言われるままに流されてしまった私にも。大きく1つ、息を吸う。

「まずは陽太!束縛したいわけじゃなくて、そもそもの価値観が合わないと感じてん。他の子と2人で遊びに行ったり、食べかけのもの共有したりに、特に悪いことやと感じてなかったやろ。でも、私は嫌やねん。そこの価値観の違いに悩んだり傷ついたりするの、お互いにしんどくなってくるんちゃうかな」

 陽太から冬吾に向き直り、さらに続ける。

「冬吾、中学の時に『美月とは付き合わへんなあ』って言ったやんな?私、太地にも冬吾にも言われて、めっちゃ傷ついた」

 冬吾がバツが悪そうな顔をして頬をかく。

「それは、太地が美月のこと好きで、牽制のために言ってたから、調子を合わせるしかなくて」

“冬吾も悪い子じゃないんやけど、あの長い物には巻かれろ精神がねえ”

 ほのかの言葉を思い出す。これのことかと腑に落ちる。

「中学の時、冬吾のこと好きやったよ。でも、1番仲良くしてるうちの2人からこんな風に言われるなんて、私を好きになってくれる人なんておらんのちゃうかって絶望感に襲われた。私の初恋はその時点で終わってん」

 私がそう言うと、冬吾は言葉を失っていた。

「2人とも、好きになってくれてありがとう。今までやったら、好きになっての前に“こんな私なんて”がついていたと思う」

 隣にいる侑雨ちゃんが、ぎゅっと手を握ってくれる。愛莉、ほのか、仲野先生、それから春ちゃん先輩。私を大切に思ってくれている人はたくさんいる。

「でも、それをやめるって決めた。傷ついたことに対して、私が悪かったかもって、悩むのもやめる。私は私の事を、私の心を、気持ちを、大切にする」

 2人の方を、ゆっくりと順番に見る。

「気持ちに応えられなくてごめん。今までありがとう」

 思いっきり頭を下げて3秒心の中で数える。顔を上げたら、もう2人の方は全く見ずに、侑雨ちゃんの手を握ったまま、反対方向へと歩き出した。



 文化祭は今朝も10時から開場する。私と先輩の当番の開始も同じなのに、早くに目が覚めてしまい、8時半過ぎには大学に着いてしまった。

 人もまばらな中、守衛室で鍵を借りて、サークルの部室を開ける。昨日は部誌が思ったよりもはけたと聞いたので、コピーを取りに行って少し増刷しておこうかなと、そわそわしながら、この後の予定を考える。

 とりあえず20部刷って、折り進めているところで、先輩が来た。

「おはよう!あら、もう準備始めてくれてたの?遅くなってごめんなさいね」

 向かい合う会議机の反対側に座ると、一緒に作業を始めてくれる。大きい手に、長い指に、つい視線を飛ばしてしまう。繋いだら、すっぽりと包み込まれそうな手が、器用に作業を進めていく様子は、いつまででも見ていられると、そう思った。

 開場してからは、来てくれたのはだいたいが所属しているメンバーの友人や家族だったが、部誌の会計をしたり、映画の上映が終われば次の作品に切り替えたり、アンケートをお願いしたりと、思ったよりも忙しかった。

 少し客足が途絶えたタイミングで、高鳴る心臓の音とは対極な、何気ない雰囲気をまとって、先輩の午後からの予定を確認する。

「14時からの吹奏楽部のコンサートに友人が出るから、チケットもらったし観に行くけど、それ以外は特に無いわよ」

「じゃあ、当番の後、一緒にまわりませんか?私、まだ見切れてない所があるので、見てまわりたくて」

 先輩のオッケーとともに、ガッツポーズして、飛び上がりそうな気持ちをぐっと押さえつける。

「やったー!じゃあ、お昼は先輩の奢りですね」

 そうおどけて、少しでも早く当番が終わらないかと、はやる気持ちを誤魔化した。



 当番中、綺麗なお姉さんたちが、どやどやと入ってきた。きらびやかな雰囲気に気圧される。

「春ちゃーん!来たよ〜」

 先輩のお客さんだったのか。邪魔するのも悪いなと、アンケートの回収に立つ。一定量溜まったら、後で集計しやすいように、枚数をかぞえて10枚ごとにクリップ留めする。

「この後の吹奏楽部のコンサート観に来てくれるんやんね」

 きゃっきゃと黄色い声が飛び交っている。ふと先輩の方を見ると、今話したとびきりの美人さんが、先輩の手を覆うように自分の手を重ね合わせる。

「頑張って吹くから、絶対来てね!」

 そう言うと、展示を一通り見てから、またきゃいきゃいと去っていった。手を重ねられたことに、特に抵抗することなく、行くわね〜頑張ってね〜と答える様子に、胸がずきりと痛む。

 先輩、かっこいいし、きっと片想いなんてされまくってるよね。文化祭なんて、格好の告白タイミングだ。気づけば彼女ができていたなんてことは避けたい。

「交代来たよ〜」
 次の時間の当番の先輩2人が入ってきた。

 私の中でゴングが鳴る音がした。



 嘘です。結局いつも通り過ごしています。出店でいくつか買ったものを、机とパイプ椅子が並ぶ飲食スペースに並べて、分けっこしながら食べる。お昼時なのもあって、割と混んでる中、ようやく見つけた2人用席。机が小さめだから、距離が近くてどきどきする。

 考えれば考えるほど、会話は上滑りして、本音からは遠ざかって行く。

 聞きたいことはいくらでもある。

「どんな人がタイプですか」

「恋人はいますか」

「私のことをどう思いますか」

「好きです」


 この関係に終止符を打つのが怖い。この人の隣は陽だまりのように居心地が良くて、いくらでも一緒に過ごせる。

 思えば、今まで付き合って人の前では、無理して自分を取り繕っていたと思う。先輩の前では、いつも自然体でいられる。その分、ダメな所もたくさん見せているけれど、と少し落ち込む。

 いつの間にか食べ終わって、ゴミをまとめて捨ててから、私たちは吹奏楽部のコンサートに向かった。



 コンサートは思ったよりも盛況で、先輩が持っているチケットの席を探して進もうとすると、入口付近の立ち見スペースで止まる人の多さに流されそうになる。先輩とはぐれるのが嫌で、思わず服の裾を握る。シワになったらごめんなさいと思っていると、こちらに目線だけ送った先輩が、私の手をするりと取って、その大きな手で握りしめた。

 これは、はぐれないため。これは、はぐれないため。心の中で何度も唱えたけど、心臓は大きな音を立てて、手のひらにはじんわりと汗が滲んだ。

 離された手に寂しさを覚えながら、チケットの番号の席に着く。手の置き所に迷ったけど、結局は膝の上に落ち着いた。

 吹奏楽部のコンサートは素晴らしかった。ぴたりと揃う音、うねる様な強弱。遠くまで響き渡るようなソロパート。

 トランペットのソロで、さっきサークルに来ていたお姉さんの1人だと気づく。こちらと目が合ったように感じたが、私じゃなくて先輩に目線を送ったのだろう。ちらりと盗み見た先輩は、前を見つめたまま、口元をにこりと緩めた。

 ソロパートは1番の盛り上がりに入る。見つめ合う2人に私が入る隙間なんて無さそうに感じてしまう。

 お腹の中がぐるぐるする。嫉妬に包まれそうな体を、最後の1音まで、どうにか椅子に縫い付けた。



 その後も発表や展示を見て回る。もちろん、手は繋がないまま。

「ねえねえ、後夜祭見に行く?」

 後夜祭は一般のお客さんが帰った後に、ミスコンが開かれたり、ビンゴ大会があったりと最後に内輪でわいわいとする感じだ。

「どっちでもいいなら、部室で映画観ない?上映していた6本のうち、1本だけ観れてないのよね〜。どうせならちょっと大きいスクリーンで観たいじゃない」

 プロジェクターとスクリーンは文化祭のために授業用のものを借りてきているので、明日には返さなくてはいけない。

 先輩の提案に賛成すると、展示スペースに向かった。



 夕方に当番をしていた2人にも一緒にどうかと聞いてみたけど、1人は友人とビンゴに参加する約束をしていて、もう1人も推しがミスコンに出るから応援しないとと派手な団扇を出して来た。

 プチデートは終わりかと思っていたから、思わぬ2人きりの延長に、にわかに緊張してくる。片想い中の感情はジェットコースターみたいで、上へ下へと振り回されている。

 先輩が部室に備え付けてあるやかんとガスコンロで、紅茶を準備してくれた。自分にはコーヒーを入れているので、私が紅茶を好きなのを覚えてくれている。ただ、それだけのことが嬉しい。

 先輩が飲み物を入れている間に起動させてパソコンに繋いでおいたプロジェクターのピントを合わせる。後は再生ボタンを押すだけだ。

 緊張していたはずなのに、映画が始まると夢中で見入ってしまう。時代に引き裂かれる恋人たちのラブストーリー。たまに小声で感想を言いながら、一緒に過ごす時間を噛み締める。

 映画が終盤に差し掛かった時、先輩が囁くように話す。
「昨日、頑張ってたわね」
「何をですか?」
「陽太と、もう1人男の子と、話してたでしょ。私も、周りの人だかりの中にいたのよ」
 飲み物を飲んでいる時なら、絶対に噴き出していたと思う。マグカップが机の上で良かった。
「私たちの会話は聞こえてましたか?」
 恐る恐る先輩に問う。怖くて隣は見えない。
「聞こえてたわよ〜!しっかりと自分の気持ち伝えられてたわね。強くなったわね、美月」

 強くなんてない。怖がってばかりで、先輩に本当の気持ちを少しも伝えられていない。

 その時、私は、昨日陽太と冬吾に伝えた言葉を思い出した。

“私は私の事を、私の心を、気持ちを、大切にする”

 今、私は私の気持ちを大切にできてる?

 プロジェクターから、別れのシーンの2人のセリフが響く。

「今度会えた時には、あなたには恋人や奥さんがいるかもしれない」

 もし先輩に恋人ができたら、気持ちを伝えなかった自分を許せる?そんなの無理だ。

「いつまでも君を想っているよ」

 先輩が私をどう思っているのか、全然知らない。

「いいの。あなたが生きて幸せでいてくれたらそれで」

 本当に?私はそれでいいの?

 遠くに離れゆく画面の恋人たちと違って、私は手を伸ばせば届く距離にいる。

 何をためらっているのだろう。スクリーンの方から、先輩に向き直る。

 映画の音だけが鳴り響く、2人だけの部室。暗闇の中、スクリーンの光が顔に反射しているから、表情が何となく見える。

 いきなり画面から視線を外した私に対して、どうしたのと問いかけるような視線に、やっぱりこの人が好きだなと感じる。この視線を、1番に向けてもらえる存在になりたい。


「好きです、春ちゃん先輩」

「え」

「好きなんです、春ちゃん先輩のことが」


「えええええ!」


 がたん、ばたんと、けたたましい音が鳴る。

 びっくりした先輩が、変に体重をかけたせいで、パイプ椅子がひっくり返って、折り畳まれた状態になっている。慌てて電気をつけると、顔を真っ赤にして、尻もちをついた先輩がいた。

「男として見られてないと思ってた」

 耳まで赤くして、口元を抑えて話す先輩はいつもの余裕が無さそうで、なんだか可愛い。

「私こそ、先輩のタイプの対象外かなと思ってました。家まで送ってくれた時も、キスしそうなくらい近かったのに何もせず帰っちゃうし」

「そんなの、酔ってる子に手出すわけに行かないでしょ!どれだけ頑張って帰ったと思ってんの」

 ああ、私、大切にされてたんだな。そう思うと、口元が緩む。それを隠そうと下を向くと、先輩が近づいてくる気配を感じる。私の前に座ると、そっと手を取られた。

「伝えてくれて、臆病になっていた私を引っ張りだしてくれて、ありがとう。とっても嬉しい。改めて言わせて、私の恋人になってくれる?」

 涙目になりながら、何度も頷くと、指先にそっとキスをされた。

 ただそれだけなのに、先輩から漏れ出る色気にあてられそう。

「これからよろしくね」


 艶然と微笑む先輩に、完全に形成が逆転した。私の顔は、さっきの先輩に負けず劣らず真っ赤になっているに違いない。



第5話


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