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「私なんてに、さよならを」 第3話

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 愛莉とほのかと知り合ったのは、小学生の頃だった。

 それまでは顔と名前は知ってる程度だったが、初めて同じクラスになった小学5年生の時に、典型的な体育館裏への呼び出しをいただいた。調子に乗ってるという典型的なセリフも添えて。

 建物の日陰で、じめっとした地面。伸び切った雑草の先が、時折足元を撫でるのに不快感を感じるけど、それよりも目の前からの冷えた空気の方がいたたまれない。

 目を三角にした愛莉と、その横でアルカイックスマイルのほのか。そして、何でこんなに怒られてるのか全くわかってない私。こんなこと今まで無かったから、正直なところ、とても怖かった。

「男の子と仲良くなりたいから、面白いこと言って気引こうとしてるんやろ」

「私はさばさばしてるからってその態度、女子はみんな嫌いやと思うよ」

 何か言われるたびに頭の上にはてなが連なっていく。そんな私の態度に、イライラが募っていくのが見えるけど、このまま誤解を受けた状態は困ると弁解を始めた。

「いや、ごめんな。私なんて、そもそも可愛くないし、男の子と仲良くなりたいんやったら、大人しく女の子らしくして方がええんちゃうの?いつもお父さんに怒鳴られるで。“お前は不細工やねんから、せめてお淑やかにせえ。男に逆らわんと従え、廊下を走るな、大口開けて笑うな、ぺちゃくちゃしゃべるな”って」

 2人の顔がどんどん強張っていくのを感じながら、その後も男の子に媚を売っているわけじゃないアピールを繰り広げた。

 女の子は家事ができないとお嫁に行けないからと、お兄ちゃんは勉強なのに、私だけ毎日家事をしないといけなくて、特に肉じゃがとだし巻き卵が得意になったということ。

 本当はこんなお調子者な性格なのに、家では怒られるから読書と映画が好きな内気な女の子のふりをしているということ。

 お母さんは優しいけど、怒られた後に「お父さんの言う通りにしてたら素敵な女の子になれるからね」と慰めてくること。

 全部学校での私とは真反対で、男の子に好かれようと思うなら、学校でも家みたいにしている方が良いに決まっている。

 話を重ねれば重ねるほど、空気がお葬式みたいになった。今となってはあれが“引いている”ということだとわかるけど、当時はわかっていなかった。
 それでも、私の思いは何とか伝わったらしい。

「私、家事なんて一個もできへんけど、うちのお父さん、お酒飲むと“愛莉は世界一可愛いから、いつかお嫁に行っちゃうんかなあ”って号泣してるで」

「私はお手伝いくらいはするけどね。“ありのままの、そのままのほのかでおってくれたらええんよ”っていつもお母さん言うてくれる」

 言いながら、2人の目にみるみると溜まっていく涙。

「ごめんな。勝手な勘違いで調子乗ってるとか言って。むしろもっと調子乗ってええで」

「せやで、美月可愛いで。私らが側におったるからな」

 そう言いながら、息が苦しくなるくらい抱きしめてくれたその日から、2人が守ってくれるようになった。何からかと言ったら、父からの男尊女卑、モラハラのオンパレードな洗脳から。

 それは普通じゃないで。腹立つけど美月は可愛いで。たとえなんもできんくても、私ら美月のこと大好きやで。ことあるごとに言ってくれて、家での態度こそ変えるのが怖くてそのままだったけど、私の中の“こうしなければいけない、こうあるべき”という思考は徐々に解けていった。



 愛莉がストローの先で氷をつつきながら項垂れる。ほのかが過去の黒歴史に顔を両手で覆っている。

「思い出したら、私らめっちゃ怖いな。ごめんな美月」

 愛莉のその言葉にぶんぶんと頷くほのか。私は確信を持って首を振る。あのまま2人がいなければ、何が普通かもわからないまま、大学も行かせてもらえずに、あの人の出世のためにどこかの家の子とお見合いでもさせられてたと思う。そして我が家の再現が繰り返されて終える私の人生。完。

「今の私がこうしてここにおれるんは2人のおかげやで。ありがとう。でも、こんだけ2人が言うてくれてんのに、かっこいい男の子に好きやって言われたら“こんな私を好きになってくれるなんて”って思ってしまうんはまだ捕われてるんやろうなあ。あ、でも、違う、あかんって気づいてから逃げる速度は早くなったかな。はっきり自分の気持ちも口に出せるようになってきたし」

 そう言って、ドヤ顔をする私を、撫でくりまわす2人。

「同じ高校行けば良かったと、あのモラ男の時にどんだけ後悔したことか!その後もトラブル続々やし」

 溜息をつきながら、遠い目をしている愛莉。

「冬吾も悪い子じゃないんやけど、あの長い物には巻かれろ精神がねえ」

 ぐちゃぐちゃになった私の髪を整えつつ、冬吾を却下するほのか。

「やっぱり男は中身が大事やで!一緒におって居心地が良い人。一時のドキドキより、ずーっとポカポカできるような人を探すんやで」

 一瞬、誰かが過ぎった気がしたけど、見なかったことにした。

 ニヤリと笑って「え〜、彼氏にそんなこと思ってるん?」と言うと真っ赤になった愛莉をからかいつつ、それぞれの恋バナに話題を移していった。結局話に花が咲きすぎて、ファミレスには5時間くらいいた。



 次の土曜日、久々に映画サークルの、映画館での鑑賞会へ向かう。参加者は6人。ベタな選択だけど、アメリカのアカデミー賞の作品賞を取った作品を公開初日に観に行くことになっている。

 好きな俳優が主演なので、前から楽しみにしていた。

 待ち合わせているショッピングモールの中の映画館に向かう途中、子どもの泣き声とざわざわと落ち着かない雰囲気の人だかりを見つけた。心配になって覗いて見ると、春ちゃん先輩が3〜4歳くらいの男の子を抱っこしてなだめている。

「え〜〜〜ん!ママ〜〜〜どこ〜〜〜」
 先輩は、しゃくりあげながら泣く背中をとんとんと叩いてあげていたが、ふと閃いたという表情の後、男の子を大きく掲げて、そのまま肩に着地させた。

「うわあ、たかあい!」

 目の前の景色が急に開けたことに驚いたのか、泣いていた声もすっかりおさまって、きょろきょろと周りを見回している。

「どーお?ママいそうかしら?」

 そう言いながら、ゆっくり歩き出そうとする先輩に「お疲れ様です!」と声をかける。

「あら、美月じゃない。もうすぐ映画始まっちゃうから、先に行っといてちょうだい」

「そんな、先輩が人助けしてるのに、1人置いていけないです!みんなに連絡入れておきますね。あと、まずは総合カウンターとか迷子センターとか窓口的なところに行った方がいいかと思います」

 それもそうねと頷くと、私がLINEを送り終わるのを待って歩き出した。



 結局30分後にご両親が見つかって、大層お礼を言われた。本人も泣き跡もそのままに、ほっとした顔をしてから、にっこり笑って、ありがとうバイバーイと言ってくれて、手伝って良かったなと思った。

「映画始まっちゃったわね。どうする?」

「先輩のお時間が大丈夫なら、次の回を観ませんか?主演のファンなんで、今日とっても楽しみにしてたんです」

 館内をぶらぶらしながら次の回を待とうということになり、服屋や雑貨屋、本屋なんかを冷やかす。

 少し疲れたし休憩しまっしょっかと言う先輩と一緒に、一旦施設を出て、近くのカフェへ向かう。先輩にお礼をしたいと思って、調べていたカフェ情報が役に立って嬉しい。

 大学以外で先輩と2人でこうやって過ごすのは初めてかも。向かう道すがら、そのことに思い至って、少し手に汗をかいてくるのを感じた。

 大きな窓から差し込む光の中で、センスの良い家具や雑貨が並び、雰囲気の良い店内。ここはチーズケーキが名物らしく、それぞれケーキセットを注文した。私は紅茶、先輩はコーヒー。

「先輩、保育園の先生志望なだけあって、子どもの対応手慣れてましたね」

 先ほどの抱っこや肩車、声かけなどを思い浮かべる。

「あれ、言ってなかったっけ?うちの実家、私立の保育園なのよ」

 園長が父で、副園長が母という、育った環境が環境だったのもあり、昔から保育園の先生になりたかった先輩。ただ、中学生になるとぐんぐん背が伸び、子どもに怖がられるようになったことにショックを受けたらしい。

「それで、どうにか怖がられない方法無いかな〜って落ち着いたのがこの喋り方ってわけ。そしたら、タッパがある分、先輩に生意気だって因縁つけられたりしてたのもおさまったから、学校でもこんな感じで過ごして今に至る」

 ダブルピースしてにっこり笑う先輩が可愛い。でも、気になったのはそれよりも。

『じゃあ、先輩は“オネエさん”じゃないのかな』

 突っ込んで聞くには、あまりにもセンシティブな問題に悶々としている間に、映画の時間が近づいてきて店を出た。



 ティッシュで噛みすぎた鼻の周りがヒリヒリと痛む。

「最っ高でしたね。特に途中ヒロインと別れるシーンと、クライマックスのシーンが」

 目を真っ赤に腫らして、鼻をずびずびと言わせながら、映画の感想を話す。

 先輩には恥ずかしい所ばっかり見られている気がする。他の鑑賞会のメンバーとは時間が大きくずれてしまったこともあり、入れ替えのタイミングで挨拶だけして別れた。今は地元に戻ってきて、チェーンの居酒屋に入ったところだ。なんだか普通のデートみたい。

「お酒飲むの久しぶりです。美味しいですね」

 映画の話題以外にも、最近の授業のことやボランティア、バイトのことなんかを話しながら、時折、映画を観る前に話したことが頭をよぎる。

 それを頭の中から追いやろうとして、ついつい杯を重ねた私は、気づくと酔いが回ってしまっていた。

 先輩の肩を借りながら、なんとか歩く私。ドアを開けてもらって、ソファにたどり着く。

「お水を1杯いただけますでしょうか」

「家主は美月なんだけどね。冷蔵庫開けるわよ〜」

 そう言って取ったペットボトルを、蓋を開けて渡してくれる。至れり尽くせり過ぎて申し訳ない。そう考えながら、一気に喉に流れ込んだ水に咽せ返って、服を思いっきり濡らす。

「あ〜もう何してんのよ〜」

 そう言いながら、タオルを持ってきてくれる。拭こうとしてくれたところを、ふと上を見ると、思ったより近くに顔があった。

 あ、キスされる。本能的にそう思った瞬間、おでこに衝撃が走った。力いっぱいデコピンされた。

「風邪引くから、ちゃんと着替えてから寝るのよ!鍵は閉めてポストに入れとくからね!おやすみ!」

 そう捲し立てるように話すと、春ちゃん先輩は風のように去って行った。

 のろのろと起き出して、部屋着に着替える。今までの彼氏なら、付き合う前でもそのままそういう感じになって、朝まで過ごしていたと思う。

 例えオネエさんじゃなくても、対象外かあ……。

 情けない姿しか見せてないしね。

 じわりと涙がにじむ。

「片想いって、こんなに苦しかってんなあ」

 冬吾に淡い想いを抱いていた時とは全然違う。
 ずっと見ないふりをしていたのに、都合良く私にも可能性があるのではと、少し期待してしまった。

 そんな自分が恥ずかしくて、酔いは覚めてしまったのに、なかなか寝つけなかった。



「美月、この映画面白いって聞いてんけど、一緒にどう?」

 冬吾にまた誘われたのは、この前、先輩と観た映画だった。今回は嘘じゃないから、罪悪感無く断れる。

「ごめん、それ公開初日に観に行ったわ〜。めっちゃ泣いた。超おすすめ」

 そう言いながらぐっと親指を立てると、配膳の作業に戻った。

 あの日から2週間経つが、タイミングが合わず先輩には会えていない。ふと気を抜くと先輩のことを考えてしまう。

 あれだけ色々やらかしたのだ。嫌われてないといいな。明日の文化祭に向けたミーティングにどんな顔をして出ればいいのだろう。否応なしに緊張が高まるのを感じた。



「あら、美月!この前は風邪引かなかった?そう、良かったわ」

 あまりにいつも通りの様子に拍子抜けする。やっぱり、自意識過剰だったかと穴があったら入りたい気持ちに襲われる。

「大丈夫です。色々ご迷惑をおかけしてすみませんでした」

 もう、ほんとよ〜!しばらくお酒は控えなさい!と言われて反省する。私、実は酒癖悪いのかな。

 文化祭では、例年どおり、部員が書いた映画の感想や、おすすめの映画の紹介をまとめた小冊子を作るのと、今年はパブリックドメインの映画の上映会を実施することになった。

 来週までに候補となる映画をそれぞれ観てきて、良かったものを次回以降の鑑賞会で試聴していき、当日に備えることになった。ミーティング自体は終わったが、昔の映画に詳しい4年の女性の先輩によるプチ講座が始まった。それを聴いている春ちゃん先輩と話したい気持ちに後ろ髪を引かれながら、私はバイトに向かう。

 片想いが久々すぎて、どうしていいかわからない。思考の渦に飲み込まれそうになった私は、バイト終わり、侑雨ちゃんにヘルプLINEを送った。



「一緒にお泊まり初めてやね〜!ごめん、片付け苦手やから散らかってるけど、どうぞ!」

 そう言いながら、侑雨ちゃんはワンルームの扉を開いた。確かに雑然としているが、不衛生なわけではなく、ポップな感じの雑貨と、ハンガーラックにたくさんの服が並んだ、侑雨ちゃんの好きなものを詰め込んだ宝箱のような部屋だった。

「とりあえずご飯にしよっか」

 2人で買ってきた、ちょっといいスーパーのお惣菜を座卓に並べる。

“じゃあ、うちにおいでよ。パジャマパーティーしよ♡”

 パジャマパーティーという響きにときめきを感じながら、1番お気に入りのパジャマを持ってきた。

 お風呂をいただいて、お互いのパジャマを褒めあって、侑雨ちゃんのベッドの隣に敷いた布団に入る。たまにお母さんが泊まりに来るらしく、用意されているお客さん用布団。

 そういえば引っ越しの手伝い以降、うちにお母さん来たこと無いな。俺の晩ご飯はどうするんだと騒がれるもんなと思いながら、ありがたく潜り込む。

「よし、ではでは本題に入りましょう」

 わざとらしく、侑雨ちゃんがえっへんえっへんと咳払いをする。

「片想いの相手ってどんな人なん?久々っていつぶりぐらい?」

 そこから、長い時間をかけて、ぽつぽつと話をした。

 春ちゃん先輩が映画サークルの先輩であること。いつも優しくて、一緒にいると居心地が良いこと。初恋の片想いは中学2年生で敗れ去り、それ以降は父と冬吾の影響で好きだと言われるがままに付き合ってしまってきていたこと。

 言えなかった家庭のあれこれも、侑雨ちゃんなら大丈夫。これまでのことからそう思えて、一緒に聞いてもらった。

「よし、じゃあ片想いへの対処法から話そうか」

 まずは、接触を増やすことを勧められた。とりあえず視界に入る、一緒にいる時間を増やすのがおすすめらしい。

 あとはいつも話してばかりということであれば、相手の話を聞きつつ、何かと褒めるのも良いよとのことなので、やってみようと心のノートにメモをする。

 話に一段落ついたころ、ベッドに体を起こした侑雨ちゃんにおいでおいでされる。疑問に思いながらも布団を出て近づいていくと、ぎゅっと抱きしめられた。お風呂上がりのシャンプーの良い香りに包みこまれる。

「今まで頑張ってきたんやねえ。やから、そんなに周りに優しいねんな」

 そう涙声で言われて、思わず縋るように、侑雨ちゃんのパジャマの背中の生地を握り込んでしまう。

「花乃ちゃんのことが気になるのも、あの頃の私に通ずるものを感じるからかな。私が幼なじみだったり、高校の先生とか、周りの人に支えられてきたから、どうにかしてあげたいと思っちゃうんやと思う」

「うんうん、めっちゃわかるわ。私もつい周りの世話焼いてまうの、亡くなった大好きなおばあちゃんがめっちゃ世話好きやったからやねんな。お葬式に友だちから、近所の人から、すごいいっぱいの人が来とって、私もみんなのために行動できる人になりたいって思ってん。これからも困ったことあったら何でも言うんやで」

 その言葉に、ありがたく頷く。

 愛莉とほのかがいなかったら、自分の家が変だって気づいてなかったし、高校に仲野なかの先生がいなかったら、今こうして大学に通って侑雨ちゃんと出会えうことも無かっただろう。



 進路指導室で向かい合う、高校2年生の私と、険しい顔をした担任の仲野先生。間の机には進路希望調査票が置かれている。

「大学への進学は難しいと思います。女に学は必要ないという父親なので。どうにか説得して、家政科のある短大とかが無難な落とし所かと」

 家から通える範囲の短大を調べて書いた。1人暮らしもさせてはもらえないと思うからだ。

「高校も最初は女子校に行くように言われてたんです。それを兄と同じ学校ならと、この学校に行く許可をどうにか掴んで、必死に勉強したんです」

 2つ上の兄はもう卒業してしまっているが、1年でも兄がいるならば安心だしと、何とか説得したのだ。

 兄は兄で、男は学歴が必要だと予備校だ家庭教師だと、かなり勉強させられていた。勉強が好きな私と、運動や芸術方面が得意な兄と、性別が逆だったら良かったのにねといつも言っていた。兄は遠くの国公立に進学したが、燃え尽き症候群になっていないか、密かに心配している。

「難しいから、無理やからじゃなくて、あなたはどうしたいん?大学に行ってこれがやりたいとか無いん?成績も良いんやから、選択肢は色々あるんやで」

 そう言って、席を立つ先生。手招きをされたので、壁際の棚まで着いていく。

「これが、各学校の資料。ここからここまでが大学で、こっちが短大、それから専門学校」

 1冊取って、ぱらぱらとめくってみる。理想のキャンパスライフという言葉がぴったりくるような爽やかな笑顔がそこかしこに並んでいる。遠い世界の話のようにしか思えない。

「もちろん短大の家政科が悪いわけじゃない。でも、進路は親の顔色伺って決めるもんじゃ無い」

 私が自分で決めていいの?本当に?まあ、うちで世間の一般常識は通用しない。あの家だけ、昭和の時代のままだ。

「自分自身が家政科に行って、やりたいことがあると思っているなら応援する。けど、そうじゃないなら、親御さんとの三者面談までに、もう一度よく考えてみてほしい」

 元々希望を出していた学校の資料に加えて、成績的に狙えて家から通える大学の資料ももらって帰ってきた。本音を言うと手先が器用な方では無いし、家での家事もどちらかというと業務的にこなしているだけで、極めたいかと言われたら疑問が残る。

 それなら勉強の方が好きなのは確かで。今これがやりたいという明確なビジョンが無い私は、大学に行って幅広く勉強したうえで、就職先を探す方が良いとは思う。

 あとはあの人に、私を就職させるつもりがあるかだな。短大を卒業するころには、出世のためにお見合い話とか持ってきて、卒業とともに結婚とかさせられそう。


 結局、結論も出ず、親との相談もできないまま、三者面談の日を迎えた。ホームルームの中心に、向き合うように並べられた机。いつも過ごしている教室なのに、違う場所のように空気が重い。

「この前と調査票の内容は変わってないみたいだけど、この内容でいいの?知花さんの成績なら、十分大学にも行けると思うけど」

 先生は念押しで確認する。横から感じる強い圧に、なかなか言葉が出てこない。視線は机の上に落ちたままで、彫刻刀かカッターで彫られたであろう相合傘の落書きを見ていた。

 普通は3者面談だと思うけど、うちは毎回4者面談だ。子煩悩な訳ではない。この人は、自分の思い通りにしたい気持ちが強いだけだ。

 でも、それも、もう終わりにしたい。顔を上げて、仲野先生の方を見る。

「先生、私やっぱり大学に行きたいです。勉強好きやし、まだやりたいことがよく分からないから、広く学びたいんです」

 ばん、と机が強く叩かれた。思わず肩が上がる。それは、父の反対側に座る母も同じで、身を縮こまらせていた。

 そんな中、仲野先生だけが、ぴくりとも反応せずに、背筋を伸ばしたまま、真っ直ぐと父を見据えていた。

「お父さん、何かおっしゃりたいことがあるなら、そうやって圧をかけるのではなく、口でお話ししてください」

 父にここまではっきりと言う人は初めて見た。

「娘は女なのだから、大学に行かせるつもりはありません。この進路希望にかかれている内容で十分です」

 父は、田舎の旧家の出で、いわゆる名士と言われる家庭で育った。男がふんぞり返って酒を飲む中、女が召使いのように働かされる正月や盆に、私は行くのが嫌で仕方無かった。次男なので、家を継がせてもらえず、勉強に打ち込んできた結果、家の伝手もあり今では大学の教授をしている。

 女は家のもので、何を言ってもさせても構わない。そういう祖父の考えがべったりと張り付いた父。そんな父に何も言えずに従う母。

「お父さん、それ本気で言っていますか」

 しんと、空気が凍りつく。父の眉が顰められる。

 失礼ですが、大学の先生とお聞きしています。生徒さんの中に女性はいないのですか。女性の学生の中には舌を巻くほど優秀な子もいるのではないですかと先生は、淡々と言葉を重ねていく。言われている父の口が、段々と真一文字になる。

「これは、生徒の親御さんとしても言ってますけど、対教育者としても言っています。私が親なら、そのような偏った考えを持った先生に子どもを預けようとは思いません。周りの方はご存じなのですか」

「それは、私への脅しですか」

 睨むような父の目つきに、心がすくみ上がり、再び俯いてしまう。

「例えそう取られても、美月さんが行きたい学校、やりたいことを叶えられる方が良いです」

 その言葉を聞いた時、私の中に電流が走った。やりたいこと、これだ。思わず立ち上がった拍子に、座っていた椅子が大きな音を立てて倒れる。

「先生、私、教育学部に行きたいです。仲野先生みたいに、困っている誰かを支えられる教師になりたい」

 先生は、大きく目を見開いて、それからにっこり笑った。

 そんな様子を見て、舌打ちした父は何を思ったのか、勝手にしろと一言吐き捨てると、教室を出て行った。

 その後、本当に大学に行くの、と父の影に怯えながらびくびくとする母の横で、成績を考えて、おすすめの教育学部がある大学をいくつかピックアップしてもらい、資料をもらった。

 その後、父とは会話が無いままだったけど、母を通じて必要な書類の準備や振込みはしてくれたから、あの面談で何か思うところがあったのだろう。

 家から通える範囲の大学に受かったが、父の方が遠くの大学からより良いポストと条件の話が来て、そちらへ移ることになったことで、私は一人暮らしを勝ち取った。

 今も新しい実家に行ったことはないし、父や母から連絡が来ることもない。前の生活に戻りたくは無いが、ずっとこのままなのかなと、ふと思うことはある。



 それでも、私は私の行きたい道を行く。あの日、見つけたこの想いを大切に生きていく。


第4話


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