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「私なんてに、さよならを」 第5話(完)

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 ぱりっとノリのきいたシャツに、クリーニングに出してからまだ袖を通していないスーツを身にまとい、最後に落ち着いた色のネクタイをきつめに締める。

 娘さんを僕にくださいっていうのは、何だか物扱いしているようであんまり好きじゃないなと頭をよぎり、何と伝えるのが良いのか、とぐるぐる思考は巡る。

 ただ、今日1番緊張しているのは美月だ。自分のわがままに付き合わせるのだから、しっかり支えないといけない。

 決意を新たにしていると、準備できた〜?との声がする。

「よし、行こうか」

 手土産と新幹線のチケットだけは、しっかりと確認して家を出た。



 その日は、晩ご飯を食べながら、うちの親への結婚の挨拶の日程調整をしていた。今日は僕の得意料理のハンバーグだ。美月が好きだからよく作る。

「うちの親はええよ。私自身、何年も会ってないし」

 好物のはずなのに、美月は思わず手が止まってしまい、箸の先で付け合わせの人参を突ついている。

「いや、そこはきちんとけじめをつけておきたいな。本来は同棲する前に挨拶に行きたかったんやし」

 そう言うと、うーんと唸っている。就職のタイミングで、就職先の学校と転居先を伝えてからは没交渉らしい。大学入学時からもほとんど連絡していないことも考えると、6年弱もの間、ほぼやりとりが無いことになる。

 実家との話はぽつぽつと聞いていたから、会いたくないのはわかるけど、だからこそきっちりと為すべき事は済ませておきたい。

「そうやなあ、あの人と親戚になってもらわなあかんのやもんなあ。一応顔見せしといた方がええんかなあ」

 悩みながら話すから、言葉尻が変に間伸びしている。申し訳ないが、ここは譲れない。

「美月が嫌なんやったら僕が喋るから、隣で黙って座っといてくれたらええよ。アポだけとってもらえる?」

 そう言うと、渋々なのを隠そうともせずに頷いた。

“彼氏が結婚の挨拶に行きたいって言ってるけど、いつの土曜日やったら行ける?”

 そう送ったLINEには、早々に返事があったらしく、翌朝には再来週の土曜日に伺うことに決まった。

「今週と来週で、スーツをクリーニングに出して、手土産も買いに行かないと」

 あと、新幹線の予約もいるか、日帰りにする?泊まるならホテルとるけどと焦りだす僕に、初めて行くから道に迷わないといいな、とぽつりと美月が呟いた。



 美月を初めて見たのは、映画サークルに見学に来た時だった。ノックしたドアを開けたのが僕で、シンプルに、綺麗な子だなと思った。ただ、僕を見た美月にの表情に、一瞬の怯えが見えたのを感じて、女子校育ちか、男性恐怖症かななんて考えながら招き入れた。

「いらっしゃーい!1年生?来てくれてありがとう、ゆっくり見学して行ってね。もうすぐ開始時刻なんだけど、まだ部長来ないわね〜。何やってるのかしら、まったくもう」

 僕のオネエ口調に、びっくりした顔をしたものの、何とか平常心を保とうとしているのが見てとれた。あと、どことなくほっとした空気を感じる。

 この子の前では、徹底してこの口調を崩さないようにしてあげた方が良さそうだと思いながら、部室で観れるサブスクの話をすると、美月は目を輝かせている。これはかなりの映画好きだなと思い、伸び悩んでいた新入部員の確保に、部員1人ゲット!と内心で快哉を叫んだ。



 そもそも、僕が映画を好んで観るようになったのは、中学生の頃だ。

 ぐんぐん伸びた身長に対する周りの反応に、心の方が追いつかなくて、しんどくなっていた時、1本の映画を観た。いわゆる“オネエ”が活躍していて、次の日、保育園の手伝いをしながら、ふとそれを思い出した僕は、オネエ言葉で園児に話しかけた。

「ね〜え、おままごとしな〜い?」

 そしたら、園児たちに大ウケで、翌日以降もオネエ言葉で接するようになった。すると、今までこの身長に怖がっていた子たちも徐々に遊んでくれるようになってくれて、後に引き返せなくなった。

 一方その頃、学校でも、生意気だと目をつけられていた先輩に、廊下でぶつかられたことがあった。

「いや〜ん。いった〜い」と叫ぶと、先輩たちはぎょっとした顔をする。

 お前はそっちなのかと聞いてきたので、頑張って目を潤ませて、何も言わずに先輩の方を見つめると、ばたばたと去って行った。

 後日聞いた話によると、女子どもに手は上げてはならんというポリシーの元、僕に喧嘩を売らなくなったらしい。思ったよりも多様性に理解があって、なおかつ漢らしくてびっくりした。男にも喧嘩は売らないでほしい。

 それでも最初の頃は、家では普通に喋っていた。でも、自分が本当に女の子が好きなのか不安になって、自分が男友だちと付き合えるか真剣に考えてみたり、僕がオネエ口調で話していることを知らない、家庭教師の女子大生と付き合ってみたりと迷走していた。
 やっぱり女の子が好きだという確信はあったけど、段々と家の中もこの口調に侵食されていく。
 女の子たちには恋愛対象には見られなくなって、よき相談相手という扱いをされるようになって、家庭教師と別れた後に片想いしていた愛ちゃんに恋愛相談された時は、さすがにちょっとへこんだ。

「春ちゃんはやっぱり頼りになるわ〜」

「包み込んでくれるような安心感があるよなあ」

 いつからか、オネエキャラに合わせて、怒りも悲しみも、不安や嫉妬も、その口調の裏に隠すようになって、自分の感情が上手く出せないようになってしまった。いつも優しく、包容力のあるオネエさん。

 そんな、自分の感情を補完するように、当時の僕を救ってくれたと言っても過言ではない映画に、ますますのめり込んで行った。

 そして、大学に入って、保育園の手伝いと両立できるかも考えて、今のサークルに入った。



 入部から日が経つにつれて、美月の印象は、段々と“危なっかしい子”に変わっていった。なぜかえらく懐かれて、僕に時々相談しては、やめときなさいと言っても、ふらふらとしてしまう様子に、心配で目が離せなかった。

 ただ、映画への造詣は深くて、話していて飽きることがない。一緒にいてシンプルに楽しいと思える子。思いやりがあって、人のために行動できてしまう子。

 いつしか、この子のいつでも返って来れる所に、心の安全地帯になってあげるように意識する自分がいた。守ってあげたいなんておこがましいけど、少しでも支えになってあげたいと思う自分が、確かにいて。この気持ちの名前は知っているけど、付けることを拒否していた。

 どう考えても異性として認識されておらず、相談役にしか思われていない。陽太と別れたと噂で聞いた時も、内心はガッツポーズしていたが、何食わぬ顔で話を聞いていた。

 ここ最近は、上野春馬に恋愛相談すると恋が叶うらしいなんて噂が出ているらしい。吹奏楽部の煌びやかなグループから取り囲まれて恋愛相談を受けて、お礼にコンサートのチケットをもらったけど、本当は恋愛の経験値も少ないし、よくわからない。

 いや、自分がさっぱりわからない。このままオネエキャラを保ったまま、そばにいることを選びたいのか、それとも関係性を壊してでも一歩踏み出したいのか。

 意図せず2人で映画を観た時も、本当は緊張し通しで、ろくに映画の内容を覚えていなかった。話を合わせるために後日もう1度観に行ったのは、今でも内緒にしている。

 部屋でキスしそうになって逃げるように帰ったあの時、正直、本能的な欲求に負けそうになった。酔っている女の子に手を出すなんて最低、美月のことを大事にしたいという理性を後押ししたのは、僕の中にある“恐れ”だった。

 本来の自分を見せて、幻滅されるのが怖かった。僕なんて、好きになってくれるはずがない。そう思っていた壁をぶち壊してくれたのは彼女だった。



 僕たちの関係性が変わった、あの文化祭の日。

 まさか両想いだなんて夢にも思わなくて、椅子から転げ落ちて青あざを作った、情けないのはこの僕です。



 オネエキャラを無理して続けなくても良いと、素の僕を引き出してくれたのも美月だ。

「春ちゃん、ちょっと突っ込んだこと聞くけどな。喋り方がオネエなだけで、女の子が好きってことでええん?」

 付き合って1ヶ月ほど経ったある日、前回映画の後に送りに来て以来の美月の部屋。

 ソファに座る僕ににじり寄ってきて、おずおずと切り出された。付き合う日に、サークル以外では極力敬語抜きで話してほしいとお願いしたのが、やっと身を結びだしたなと考えながら話を聞く。

「うん、そうよ〜。前にも話したけど、園児には怖がられるし、上級生には絡まれるしで生み出した苦肉の策よ」

 苦笑して答えると、頭にぽんぽんと乗せられた手。

「大変やったね。中身は今まで通りやのに、周りに受け入れてもらえないって、きっとしんどいやんね。あんな、もうこのままいくんやっていうんやったら全然そのままでいいんやけどな、私の前ではオネエ口調無しで喋ってくれてええんやで」

 そのままぎゅーっと抱きしめられる。心の中で凝り固まっていたものが、解きほぐされていくのを感じる。

 目頭が熱くなるのを、こちらからもお返しとばかりに抱きしめて誤魔化す。

「ありがとう。じゃあ、ちょっとずつやけど、普通にも話していこうかな。好きやで、美月」

 そう耳元で話すと、顔を真っ赤にして逃げようとする美月を捕まえて、おでこにキスをした。



 付き合って3年、美月が就職するのを待って、プロポーズをした。美月が大好きな映画に出てくる小さなレストランを予約して、指輪も頑張って用意して。

 無事にその指にはめることが叶った時の幸福感ったら無かった。目の前でほとほとと泣いている美月の涙をぬぐってやると、くすぐったそうに笑った。

 結婚の準備は結構大変だと聞いていたから、一緒に住もうと誘った。

 保育園で頑張っている両親を支えるために、昔から家事はやってきた。一緒に住んで家事を分担することで、教師の仕事を頑張っている美月を応援したいという気持ちもあった。

 忙しい仕事の間を縫って、家を探して、家具を選んで。やっと一緒に住み始めたから、結婚を前に進めるために本腰を入れ出して、今に至る。
 帰ったら美月が家にいる。もしくは、自分の元に美月が帰ってくる。それだけで幸せな気持ちになれる日々が、毎日のささやかな小さな出来ごとが、ただただ幸せ。

 だからこそ、きちんと過去にけりを付けて、2人で前へと歩いて行きたい。



 なんとか迷わずにたどり着いた美月の実家のインターホンを鳴らす。

「いらっしゃい。遠い所はるばるありがとうね」

 お母さんだろう。目元が美月に似ている。

「上野春馬と申します。本日はお忙しいところ、お時間いただき、ありがとうございます。これ、ささやかですが」

 そう言って、手土産を差し出す。

「あらあ、ここのお菓子、お父さん好きなんよ。わざわざありがとうね。古い家やけどどうぞ」

 和室があるかと大学の近さなどを考慮して、この家を買うことにしたけど冬は寒くてねと話すお母さんに頷きながら、靴を脱いで、後ろについていく。

「お父さん来られましたよ」

「おう」

 低くて太い声。一気に緊張感が高まる。

 美月の体が強張っているのを感じて、一瞬、ぐっと手を握る。こちらを見上げた美月に視線に数年ぶりのウインクを投げて、失礼しますと声を上げた。

 襖を開けると、大柄でがっちりとした和服の男性が、座卓の前に座っていた。


 お茶を淹れてきますね、とお母さんの足音がぱたぱたと去っていくのを聞きながら、部屋の中に漂う重苦しい空気に、息が詰まりそうになる。

 戻ってきたお母さんが座るのを確認して、口火を切った。

「初めまして、上野春馬と申します。本日はお忙しいところ、お時間をいただき、ありがとうございます。今日は結婚のご挨拶にお伺いさせていただきました。美月さんと結婚したいと思っています。2人の結婚を許していただけますか」

 少しの沈黙。もう少し話した方がいいのかと、口を開こうとした瞬間、目の前でお父さんが勢いよく頭を下げた。びっくりして、美月の方をちらりと見ると、目が点になっていた。僕も似たようなものかもしれない。

「春馬くん、美月を連れて来てくれてありがとう。あの日、あの高校の面談の日から、ずっと考えてきた。教育者として打ち込んできた自分ではなく、あの先生みたいになりたいと言われた事を」

 そう言うと、お父さんはそっと顔を上げて話し出した。机では、出してもらったお茶の湯気が揺れている。

「書籍も読み漁ったし、恥を忍んで周りにも相談した。

『それは教授が悪い』『娘さん、もう連絡しないであげた方が良いと思いますよ』『家での自分の在り方を見直さないと、そのうち奥さんにも捨てられますよ』

 散々な言われようだった。頭をがつんと殴られたような衝撃だった。でも、その中で自分の思考が凝り固まっていたこと、時代に即していないことを理解できた」

 就職先が決まったことも本当では祝いたかったが、自分に会いたくないだろうと思ったこと。自分に従わざるをえなかった妻からの連絡も負担になるだろうからしない方がいいのではないかと、2人で決めたこと。今回の結婚の挨拶の連絡がとても嬉しかったこと。
 滔々と語るお父さんの勢いにおされて、ただただ頷き続けた。

「美月はうちには来たがらないだろうから、今回挨拶に来ようと言ってくれたのは、きっと春馬くんだろう。ありがとう。結婚はもちろん認めるし、そもそも親が認めないといけないものではないと、今では理解できる。結婚おめでとう」

 ずっと黙って聞いていた美月が、ここにきて静かに口を開いた。

「人ってこんなに変わることがあるんだね」

 ぽつりと囁かれた言葉には、これまでの苦悩が詰まっている。

「ずっと不細工って言われて、本当にそうなんだと思い込んでた。家事に困らないのは有難い事ではあるけど、もっと放課後に友だちと遊んだりしたかった。“女の子”という括りでなく、私自身を見てほしかった」

 神妙な顔で頷くご両親に、ヒートアップしつつある美月の背中をそっと撫でる。前傾姿勢で声が大きくなっていっている事に気づいたようで、再び席に着く。

「全てを水には流せないけど、年1回くらいなら顔を出してもいいかな」

 美月がそう言うと、ご両親は口々に「ありがとう」を繰り返していた。




 やっと今日という日を迎えられた。会場選び、衣装合わせ、招待状の作成、メニューの決定、プロフィールムービーを作って、席次表を考えて、余興の調整。仕事の忙しい時期と被ったから、目が回りそうな忙しさだった。

 男の人は任せっきりの人も多いと聞いていたから、きちんと一緒にやってくれる人で良かった。

 新郎からの手紙を聞いて、目が潤んだけど、私にとってはここからが本番と気合いを入れ直す。

 読み終えて、ほっとしている春ちゃんに対して、再び司会が話し始める。

「ここで、新婦様からも新郎様にもお手紙があると言う事で伺っております。お互いが内緒でお気持ちをお伝えしたいと準備されるとは仲がよろしいですね。では、新婦様どうぞ」

 私の元にスタッフさんがマイクを渡してくれる。まさかの展開に、春ちゃんはびっくりした顔をしている。パイプ椅子から転げ落ちた時のことを思い出した。

 盛り上がる会場の後ろの方の親族席には、お父さんとお母さんの姿が見える。

「春ちゃんへ

 今日という日を迎えられたこと、とてもとっても嬉しく思います。

 春ちゃんに気持ちを伝えられたあの文化祭で、私は、それまでの“私なんて”と思っていた私自身から一歩踏み出すことができました。

 そして、その日から今日まで、春ちゃんがずっと気持ちを伝え続けてくれたから、今の自分を好きになって、大事にしようと思うことができるようになりました。

 これから大変な事もあるかもしれない。

 でも、大切なことは口に出して伝えて、感謝と思いやり、相手への尊重を忘れずにいれば、きっと乗り越えられると信じています。

 いつもありのままの私を大事にしてくれてありがとう。これからもよろしくお願いします。

 美月」

 会場からの拍手が止まらない。春ちゃんがつかつかと早足で近づいてきたと思ったら、いきなり私をお姫様抱っこする。

 あまりの勢いに驚いて首に腕を回した私を、春ちゃんはぎゅっと抱きしめて、ありがとうと言ってから、頬にキスをした。

 こちらこそ、ありがとう。

 私なんてに、さよならを。私は私を、幸せにする。

「私こそありがとう。大好きだよ!」
 そう言って私も、春ちゃんの頬にくちづけた。

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