短歌レッスン79
今日はすでに日記の方で俳句を披露したので、ここでは俳句のコーナーはないです。期待させた人ごめんなさい(日記をよんでね)。
茂吉短歌
「赤茄子」が「トマト」のことであると知ればそれほど難しいことを言っていると思えないが茂吉の「謎」歌の一つとされている。「腐れてゐたるところ」をどうして歩いていたのかとか、田舎だったらごく日常の風景だと思う。ただ茂吉カラーの「赤」に異様に反応してしまうのだろう。解説には人間の一瞬の心理の不可解さとか。
模範十首
今日の模範十首は『眠らない樹vol.4』から「短歌とジェンダー」苦手なところかもしれないが、あえてやるのも勉強になるかもしれない。
『カミーユ』という歌集がジェンダーを扱っているらしく、このタイトルはロダンの弟子であった「カミーユ・クローデル」だろう。イザベル・アジャーニの映画で有名だから女性だと芸術家として社会的にチャンスがない。むしろ愛人としてその立場を貶められていく。これなんか高村光太郎と智恵子の関係を思うのだが、そういう歌もあるのか、ちょっと興味を引く歌集ではあるな。掲載歌は、チンギス・ハーンの皆殺しで女は性奴隷として対処される。「紫陽花」は「桜」とは対称的にうたにはなりにくい花だった。
春日井建の歌は、80年代に出た最初の頃の「ジェンダー」短歌だという。春日井建はゲイであったようでセクシャル・マイノリティーとしての歌のようでもある。
斉藤斎藤は男の存在が先立って、女の存在は雌として認識されるというわかりやすい歌。女性歌人とか女流歌人とか。男性歌人とは言わない。「なかに出すまで」が露骨な表現だった。
学校教育は軍隊から始まったという前提があり、女子はそのなかで貞操教育がなされたということが、女子だけに性教育は施されるという日本の後進化を示しているのだろう。
俵万智の歌は時代遅れの歌としてのジェンダー短歌。こういう歌が今もあるんだよな。
水原紫苑の短歌はアンチ俵万智の系譜で、林あまりからの系譜だと思うのだが、ここでは生みだすのが子供じゃなく作品となっているところのジェンダー観。芸術観と言ってもいいのかも。
今橋愛の歌は、それまで女性歌人は女性としてのジェンダーで読まれてしまうのだが、40過ぎるとそんな問題もなくなるというのを、解放されたと詠むのだろうな。
短歌の美意識が戦争の死と深く結びついているおとこ歌の系譜がある。それの批判というよりこの歌も美意識を歌ったものだと。この短歌にはホモセクシャル的なものを含んでいる。そして腐女子と呼ばれる女性たちはこういう世界に喰いつのだった。
坂井修一の歌は女性の「ジェンダー」を「産む機械」として捉えた社会通念の歌だと思うが、男が無理して作るとこんなもんかもしれない。
今橋愛のニ首目だが、これは男女関係ないとは思うが子育てしている者でないと見えない視点だった。それだけ都市というものが男性中心に作られていると気付かされる歌で、今回はこの人が一番鋭いかなと。観念じゃなく身体的なことの発露だよね。
「うたの日」お題
また今日も出遅れ。「偉大」「代替魚」「偉業」「餃子」「うざい」「財産」「三三七拍子」「牛若丸/弁慶」「契約」
無難なのは「契約」かな。「契約論」とか。そのへんで。「偉大」はもう終わった。「偉大」には魅力を感じない。「代替魚」とは?回転寿司で寿司ネタに違う魚が使われているということらしい。別にそう思えばそうなんだでいいんじゃないか。「蟹カマ」を本物の蟹だと思って育つのも。「偉業」も「偉大」と変わらぬお題だった。「餃子」はよく作るな。昨日も水餃子だった。夏は焼餃子で冬は水餃子が定番メニュー。白菜安いし、水餃子も安いし、手間いらず鍋。これもいいかも。「うざい」は私の存在事態「うざい」とかいわれそうだからパス。「財産」もそれほどないからパス。「三三七拍子」は酉の市とか。これも縁遠い。「牛若丸/弁慶」は『鎌倉殿』の影響かな。これも対して興味がない。『勧進帳』とかで歌うのもありだと思うが相手にされないだろう。「契約」は契約社会、神との契約といろいろあるが、それだけに違いを出すのが難しいかな。
これでいいか?
「この女」に一工夫欲しい。鶴女とか?
句読点は無しがいいか?
鶴女→鷺女
猫舌男は最後がいいな。
結果
安定の♪一つ。自分の世界に入っているから結果を気にしてもしかたがないのだった。当たり前の歌は読みたくないから。
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