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シン・短歌レッス107

西行


あはれあはれこの世はよしやさもあらばあれ来む世もかくや苦しかるべし                        西行『山家集』

「あはれあはれ」と嘆きのリフレインから始まり「この世」と「来(こ)む世」、現世と来世に対する嘆きなのだが、現世はあきらめるかのような「あ音」であり来世は「か音」が苦しみを予感させている。

西行は和泉式部の歌を特に好んだという。それは繰り返される音韻の業なのか?

冥きより冥き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月  和泉式部

『拾遺和歌集・哀傷』

地上の道は永劫回帰のごとく暗い道なのだが、天には月の世界が見えている。それはこの世ではない来世の願いなのだ。西行はその救済は仏道以外にはないと思っていたらしい。

来む世には心のうちに飽かでやむぬる月の光を  西行

『山家集』

伏見すぎぬ岡の屋になほ止まらじ日野までゆきて駒こころみん  西行

『山家集』

出家以前の鳥羽院を警護する北面の武士時代の歌。「伏見」は地名と同時に人(西行)が伏す(天皇)にという掛詞であり、「岡の屋」も地名と船が止まらないという意味を掛けていて、都から疾走していく馬上の西行が感じられるという。

西行は鶴岡八幡宮で源頼朝と対面し、歌だけではなく、武士にまつわる弓や馬ことを一晩中語り明かしたと『吾妻鏡』は伝えている。西行の祖父源清経は蹴鞠と今様の名手であった。その影響が西行にあるという。

この歌は伏見→岡の屋→日野と地名が一つの歌に三ヶ所も登場してくる。これは当時の今様からの本歌取りであるという。

日暮れなば岡の屋にこそ伏し見なめ、明けて渡らん櫃河や櫃河、櫃河の橋

『梁塵秘抄』

惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは身を捨ててこそ身をも助けめ  西行

『玉葉集・雑』

この歌は鳥羽院に出家の許可を請うた歌。「惜しむ」と「惜しまれぬ」、「身を捨て」と「身を助け」という出家前の気持ちと出家後の相反する行為で表している。問答のようでもあり、西行の論理が垣間見え、熟慮した結果の行為だったと伺わせるという。

西行が出家したときに幼い娘を蹴落としたというエピソードは『西行物語』にあるがその時の気持を歌にしている。

捨てがたき思ひなれども捨てて出む真の道ぞ真なるべき  西行

『聞書集』

また『法華経』を踏まえての歌も詠んでいる。

根を離れ繋がぬ舟を思ひ知れば法(のり)えむことぞ嬉しかるべし  西行

『聞書集』

その結果鳥羽院の許しを得て、二十三歳で出家するのだ。鳥羽院が崩御したときには高野山を下って晩歌を残した歌僧西行が誕生したのである。

弔(と)はばやと思ひてよりぞ嘆かまし昔ながらのわが身なりせば  西行

『山家集』

鈴鹿山うき世をよそに振り捨てていかになりゆくわが身なるらん  西行

『山家集』

出家直後に鈴鹿山で詠んだ歌で出家後の心中が詠まれている。西行が出家した年(保延六年「1140年」)は崇徳院が鳥羽院によって攘夷され高野山で覚鑁が追放さてた波乱の年であった。

鈴鹿山は難所である関所で上句で「うき世をよそに振り捨て」という出家の決意が歌われているが、下句では「いかになりゆくわが身なるらん」という不安を表出しつつ鈴鹿山を超えるのであった。

言の葉のなさけ絶えにし折節にあり逢ふ身こそ悲しかりけれ  西行

山家集

崇徳院が讃岐に配流されてから和歌が衰退してしまったことを友人の寂然に訴えた歌だという。

崇徳院と西行の関係は、崇徳院の母待賢門院璋子の実家である徳田寺家に仕えていたことに始まる。崇徳院は系図上では鳥羽院の皇子であるが実際には鳥羽院の祖父白河院の子であると言われている。その為に鳥羽院は崇徳院を嫌っていたのだが鳥羽院が亡くなると保元の乱を起こして失敗して讃岐に配流された。西行は罪人となった崇徳院を仁和寺まで訪れて歌を残した。

当時崇徳院が歌壇のパトロンとして中心的な位置にいた。院は盛んに歌会を開き、六番目の勅撰集である『詞華集』を命じた天皇だった。西行の歌が勅撰集に最初に載ったのは『詞華集』であったと言われいる(詠み人知らずになっている)。

身を捨つる人はまことに捨つるかは捨てぬ人こそ捨つるなりけり  詠み人知らず

『詞華集・雑』

保元の乱以後天皇になった後白河院は和歌にあまり興味を示さず今様を愛好した。そして『詞華集』から次の勅撰集『千載集』が完成するのに40年の時代を経ていて、西行は『千載集』の頃には亡くなっていた。この歌を贈られた寂然は返歌した。

敷島や絶えぬる道に泣く泣くも君とのみこそ跡を偲ばめ  寂然

『山家集』

二人は崇徳院の配流の後も女房たちと和歌のやり取りをしたり面倒を見ていた。また崇徳院は仏道に専念したという歌もあり、こうした積極的な行動が出来るのも出家者でありながら朝廷に仕えていたことが大きい。崇徳院はその後崩御するが西行は讃岐白峰の地を訪れて歌をささげている。

よしや君昔の玉の床とてもかからん後は何にかはせん  西行

『山家集』

この歌は崇徳院の怨霊を鎮めるためとされているが西行は崇徳院がどんな仕打ちをされようと慕っていたのであった。西行は鳥羽院の死、保元の乱、崇徳院配流、平治の乱という平家一門の隆盛と衰退、奥州藤原氏の滅亡という時代を生きて、世の無常や来世を願いを歌に託したのであった。

夜の鶴の都のうちを出でてあれな子の思ひには惑はざらまし  西行

『西行法師家集』

清盛の死後、平氏の長となった宗盛は処刑にあっても息子の生死を気にしていた。白居易の「夜鶴」を「親鶴」に喩えた詩の引歌として、宗盛の清宗(子)を思う気持ちを歌にしたのである。しかし、西行はそのような宗盛にそういう執着を捨て仏道に帰依することを願ったのである(自身の出家の動機と重なるのか)。

立てそむるあみ捕る浦の初竿は罪の中にもすぐれたるかな  西行

『山家集』

西行が旅の途中で漁師に出会って詠んだ歌。捕獲される魚に対しての罪業を問うたのである。「立てる」は仏教の請願を立てるということの掛詞。同音異義語は掛詞というよりも俗世間の世界と仏道の世界が裏表であると解くのである。その他にも『山家集』では漁師の罪業を問う歌が続く。

下り立ちて浦田に拾ふ海人の子はつみ(つぶ貝)よりも罪を習ふなりけり  西行

『山家集』

西行は旅の行く先々でこのような俗世間の罪業と仏道を求める歌を残した衆生済度の道を説く歌人であったのだ。

ここをまたわれ住み憂くて浮かれなば松は一人にならんとすらん  西行

『山家集』

漂泊の仏道修行者西行の一面を示した歌。「浮かれなば」は松を見てもそわそわと歌心が出てきてしまう心持ちで、その心は西行に取ってどうしようもないのだった。

浮かれ出づる心は身にも叶はねばいかなりとてもいかにかはせん  西行

『山家集』

それは桜花の歌でも。

盛りなるこの山桜思ひおきていづち心のまた浮かるらん  西行

『山家集』

崇徳院崩御の後に善通寺に庵を結んだ。「ここ」とは善通寺のことである。ここを離れれば松はまた一人になってしまうと人間のように気を使っているのである(情緒不安定すぎだろう)。松は霊力を授かる木とされ、特に一本松は神の宿る木とされていた(御神木か)。他にも松を詠んだ歌がある。

谷の間に一人ぞ松も立りける我のみ友のみ友はなきかと思へば  西行

山家集

定形短歌との戦い──塚本邦雄を継承できるか?──

小林幹也『定形短歌との戦い』から「共有しうる嫌悪──小野十三郎を擁護する──」。小野十三郎の「奴隷の韻律」は桑原武夫「第二芸術論」とも共に短歌界では敵とみなす言説だが、「奴隷の韻律」は少なくとも戦後出てきたのではなく、戦時に短歌が戦意高揚歌を垂れ流している時に出た批評だった。

そして短歌の叙情性を問題視したのは小野十三郎以前に釋迢空がいて、定形を拒むものとしては石川啄木の行分け短歌があった。石川啄木は新たな抒情性を求めた歌人なので、ここでは釋迢空の歌論を見てみる。

釋迢空は短歌には叙事詩的なものがない(そこは疑問に思うが)、短歌に叙事詩的な歌を呼び込もうとしていた。それは正岡子規の写生という方法で、抒情性を排して客観的な視点で歌を作ったのである。そして「万葉調」を巡って斎藤茂吉とも議論になったことがある。釋迢空は、「万葉調」の詠嘆表現を嫌ったのだった。しかし釋迢空のそのこころみ(句読点を付けたり短歌の定形を崩していく方法)は失敗だったことを後に認める。

写生ということに対しては漱石も「非人情論」で西欧的な論理の導入をめざしていた(これも失敗だったのか?)。写生は音楽的な感情芸術から絵画的な論理の方法だったのだ。それを徹底させたのがダ・ヴィンチだという。

塚本邦雄はダ・ヴィンチに対しての短歌だけでなく小説もあるのだった。

そうしたダ・ヴィンチの写生の方法は超現実主義のシュルレアリスムの方法に繋がっていく。斎藤茂吉の写生論からシュルレアリスムを導き出したのも短歌に対する抒情性の「奴隷の韻律」を排したのだ。

うたの日

「矢」だった。「光陰矢の如し」か?先日俳句で作っていたな。

『百人一首』

「我が身なりけり」は使えるな。俳句で作ったのは

夕陽みて時の矢放つ師走かな  宿仮

夕陽みて時の矢放つクロノスはアキレスを撃つ我が身なりけり

和洋折衷。俳句と短歌の折衷だからな。順番を間違えた。これは先日やった「百人一首」だった。今日はこれだった。♪5つ。思いつきは駄目だな。

こっちの方は難しいから、前のでいいか?一回作ってしまったから。これは映画短歌に回そう。

映画短歌

『ジャム DJAM』

『百人一首』

風そよぐ無人駅にて踊る君夏の終わりに島唄送る

先日観た『ブリング・ミンヨー・バック!』の方の歌かもしれない。


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