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シン・俳句レッスン141


風は季語ではないが俳句でも様々な風が詠まれている。季節風なもの。夏から秋に変わるもの。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行

夏と秋とゆきかふ空のかよひぢはかたへすずしき風や吹くらむ 凡河内窮恒

物言えば唇寒し秋の風 松尾芭蕉

秋風やむしりたがりし赤い花 小林一茶

石山の石より白し秋の風 松尾芭蕉

白秋は漢詩から来ているという。石山の石は場所が不明だが鳥の糞によって白くなったという説も。

秋の風言の葉落書き落葉かな 宿仮

現代俳句

『現代俳句 2024年8月号』をネットカフェに落としたのだが、7月号が届いていた。最初に7月号から気になった俳句。

四番、ピッチャー、ハイビスカス(妹) 穂村弘

穂村弘も俳句をやるのかと思った。かなりの前衛俳句だ。良い子は真似をしないように、という感じか?穂村弘のネームバリュー。

縄跳びに富士がくぐつて来るところ 花房華

「~ところ」は短歌で正岡子規に倣って斎藤茂吉にあったような。無季の句だが俳諧味がある。富士だから冬なのか?

もりそばのおつゆが足りぬ高濱家 筑紫磐井

句会での一句か?星野高士がこれぞ「花鳥諷詠」と褒めたとか。挨拶句ということか?俳諧味がある。

蝸牛化石に成りに行く途中 志村宣子

アンモナイトの過程のような大きさの中に諧謔性か?

とりあえず十句ぐらい選ぼうと思ったけど、こんなところか?

「二句一章と取り合せは違う?」

ネット配信で『いまさら俳句第一回 「二句一章と取り合せは違う?」』を見る。二句一章と「取り合わせ」は違うという川名大の意見。「や」の取り扱いで「に」の意味になるものがあり、それは一物仕立てだという。

古池や蛙飛び込む水の音 松尾芭蕉

高山れおな『切字と切れ』

夏の河赤き鉄鎖のはし浸る 山口誓子

夏草に機缶車の車輪来て止まる 山口誓子

「に」が切れ字としての効果だが文章は繋がっている。ただ景が「夏草」と「機関車」というコントラストがある。川名大は面倒くさい人だな。だから批評家として存在感があるのかもしれない。

百人一句

やっと五十句だけど重なっている人がいるかも。意外に一人一句は難しかった。過去レッスンを調べて出てきた句。


71 ピザハットの真っ赤なバイク桐の花  山本敦子

「ヒヤリハット」という言葉の連想なのか?桐の花も赤ではなく薄紫で関連性がよくわからん。桐の花がピザの美味を引き立てているとか。そうかな。「ピザハット」ぐらいで。

72 明易し大阪環状線始発  小川軽舟

「明易し」が季語。青春18きっぷの旅を思い出す。始発駅だから「夜明け」が眩しいのかな。神戸だっけな、駅の屋根が透明だったのは。そこから朝日が差し込んでいたような気がした。

73 水を汲む豊かな音に夏暁(あ)けぬ  阿部みどり女

「暁(あ)けぬ」が「明けぬ」よりもジリジリ来る日差しのようだ。井戸水なんだろうな。これはけっこう好きかもしれない。

74 少年のかかと歩きの立夏かな  中原幸子

「かかと歩き」はいい。かかとに車輪が付いているスニーカーで滑っている子供を見るとやってみたくなる。大人用はないよな。あったけどもはやローラースケートだよな。懐かしの東京ボンバーズ。

75 目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹  寺山修司

寺山修司を忘れていた。寺山は短歌の方が好きかな。青春俳句。

76  母の日が母の日傘の中にある  有馬朗人

中七は「母の、日傘の」ということだった。リフレインかと思って、「母の日、傘の」と思ってしまう。もしかして二通りで読ますことによって、最初は雨だったのに、二度目に読む時は晴れになるということだろうか。高等テクニックだ。普通こういう句割れは、句跨りにするんだけどな。そこまで出来たら良かったのに。

77 夢の世の葱を作りて寂しさよ  永田耕衣

幻想俳句だが、芭蕉の句とか踏まえているのかな。現実には葱を作る生活ではないけど俳句ではそう詠む。それを寂しい行為だとするのか?

78 くさめして見失うたる雲雀かな  横井也有

いいかもしれない。仰ぎ見てハックション。「くさめ」は使いたくなる。

79 からし菜漬けの哲学的葉脈  厚井弘志

「からし菜漬け」がよくわからん。普通は「哲学的葉脈」のほうだとは思うのだが、~的という言葉を俳句に使うのが面白い。それも哲学的だった。葉脈は哲学の系譜みたいなものかな。からし菜は、どのへんかな?小松菜の孫あたりか?叔父さんが高菜だったり。

80 どらとらのらみけや猫の恋バトル  大田正己

この句の中にドラ・トラ・ノラ・ミケと4匹いるという。季語は「猫の恋」。破調だった。でも十七音だから句跨りになるのか。変拍子テクニックだった。

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