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弱者から見た正義論

『差別はたいてい悪意のない人がする』キム・ジヘ( 著 ),尹怡景(翻訳)

あらゆる差別はマジョリティには「見えない」。日常の中にありふれた
排除の芽に気づき、真の多様性と平等を考える思索エッセイ。
目次
プロローグ あなたには差別が見えますか?
1 善良な差別主義者の誕生(立ち位置が変われば風景も変わる;私たちが立つ場所はひとつではない ほか)
2 差別はどうやって不可視化されるのか(冗談を笑って済ませるべきではない理由;差別に公正はあるのか? ほか)
3 私たちは差別にどう向きあうか(平等は変化への不安の先にある;みんなのための平等 ほか)
エピローグ わたしたち

韓国のリベラル・フェミニズムは日本より先を行っている感じだが、キム・ジヘのこの本が特異というわけではなく、ロールズ『正義論』の「無知のベール」や男性原理のこれまでの形而上学を女性や弱者から見ていくもので、そのための権利が悪法よりも優先されるという。

例えばそれは黒人の人種差別がアメリカのジム・クロウ法で国家により保証されていたとしても黒人の人権問題を蔑ろにする奴隷制的考えは悪法であり、そのために黒人の公民権運動は行われた。国民というメジャー視点に立つのではなく、弱者という少数派に立つ正義論なのかと思う。

クィアというのは差別用語から、むしろそれを無効化するために性的少数者が使い出した言葉でそれが広く使われ始めている。それは黒人のニグロという差別用語をブラックという肯定的に使うことと似ているのかもしれない。

かつてお笑いで、黒人を揶揄した笑いが当たり前のように存在していたが、今はそういうお笑いをする者は表面上はいないのだが、それでも差別感情は残っているのだろう。それがヘイトとして表現の自由として受け入れられると暴力として弱者がさらされていく。

例えば国民として保証されない移民に対する暴力とか弱者について回るのだ。それは大多数の人は見ないふりをしてしまうということだ。なぜなら、彼らはメジャーな人であるという恩恵に預かっているからだという。

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