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七月は、中国初の27クラブのメンバー

『ソウルメイト/七月と安生』(中国・香港/2016)監督デレク・ツァン 出演チョウ・ドンユ/イマー・スーチュン

解説/あらすじ
ある日、安生(アンシェン)の元に映画会社から連絡が届く。彼らは、人気ネット小説『七月と安生』を映像化したいのだという。作者は七月(チーユエ)という名の女性だが、所在は不明。物語は幼馴染の女性2人の友情を描いたもので、作者の自伝的な要素が強いという話だった。そこで彼らは、もう一人の主人公のモデルを探し、アンシェンに連絡をしてきたというわけだ。だがアンシェンは「チーユエなんて人は知らない」と彼らに嘘をつく。チーユエ…彼女はアンシェンにとって特別な存在だった。何よりも大切な親友、そして誰よりも激しくぶつかりあった戦友、互いに魂の奥深いところでつながっていたはずの2人。それなのに、彼女たちの間に一体何があったのか?恋を知り世界を知り、移ろいゆく時代の中で、彼女たちは何を選び取り、何を捨てたのか?小説に描かれた2人の物語に秘められた驚きの真実が、今明かされようとしていた。

これは中国の青春映画だけど、青春時の二項対立を巧みに織り込んだ三角関数ならぬ、三角関係の永遠の青春ドラマになっている。二人の少女、対照的な一人は温かい家庭があり何不自由がない七月とシングルマザーの孤独な少女との出会い。

この映画は、『少年の君』でヒロインを演じたチョウ・ドンユが不良少女を演じているのだが、もう一人の優等生タイプの七月を演じたイマー・スーチュンもいい。二人共女優賞取っていた。

対照的な二人は、白と黒、優等生と不良、中国と香港、北京と上海のように二項対立なのだが、その心の中は同じ孤独と自由があるのだ。そんな二人の前に異性である彼が現れる。村上春樹的なストーリー・テーリング。ネット小説から始まるというのも面白い。

ブラジャーのエピソードがいい。七月は親からダサいブラジャーを買ってもらって付けているのだ。小学生だけど。安生は胸がないのでブラジャーするほどでもないのだが、親がそこまで気が回らないそういう家庭の違い。初めて安生が七月の家に泊まりに行って、温かい家庭に触れた後に一緒に風呂に入る。そこで二人の違いを鮮明にする。

それは成人して、安生が黒い下着を付けて社会に溶け込もうとする時に事件が起きるのだった。彼を安生に取られたと思った七月が、安生と彼が一緒にいるところにやってくる。安生と彼は、偶然北京で出会ったビジネスパートナーなのだが、安生が酔っ払って介抱しているところだった。そこに婚約者である七月がやってきて彼ではなく、安生を問い詰める。このシーンは凄い。

黒い下着を付けていることを非難するのだが、それまでノーブラで自由な不良娘だった安生が安定を求めて(もともとその傾向はあるのだ。名前がそれを表している)て下着を付けていることに我慢ならない。それは男を誘惑するための黒い下着で、彼が好きなのはダサい白い下着なのだと言い張る。でもそれは彼を愛していたことよりも安生の生き方を変えたことに対する非難のようにも思える。同性愛的な気持ちを抱きながら敵対してしまう二人なのだ。だからお互いに無いものを求めている。安定と自由という相反する心。

それは例えば香港の置かれている立場を表してはいないだろうか?この映画が自由を謳歌する青春映画でありながら、どこか規律を求める中国の姿と重なっていく。結婚という形はその最たるものだが、そこに悲劇が生まれる。

そのことに気付かされるのが異性愛なのだ。二人は同性愛(幼い時代のものであっても)で惹かれ合っていたから地獄絵図の三角関係になってしまう。結局、彼と七月は結婚するんだが、彼はどっちつかずというか本当は安生が好きだったのか?その関係をネット小説で書いているのだが彼は七月と別れていた。

その展開が神がかっている面白さなんだが、ネット小説というファンタジーと現実と過去の中で三人が生きている。そこが村上春樹的。七月は、僕にとって鼠のような影の存在。影を踏み続ければ永遠に別れないという幼心に信じた迷信があった。この映画は原作があるのだが、それも読んでみたい気がする。たぶん、映画以上に面白い感じがする。

そして、青春の白か黒という2つに一つしか回答がないとする痛々しさと刹那さ。七月は、27クラブのメンバーだった。中国では最初の。それではジャニスでも聴きますか?



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