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『黒衣の短歌史』 中井英夫

『黒衣の短歌史』 中井英夫 (潮新書)

虚空に煌めく異才の歌人たち―寺山修司、中城ふみ子、春日井建、葛原妙子、塚本邦雄など。写真と脚注で資料性を重視。巻末に著者特別インタビュー、年表を収録。『虚無への供物』と対をなす幻視者中井英夫の戦後史。

出版社情報

中井英夫というと『虚無への供物』などのミステリー作家だと思っていたが、短歌雑誌『短歌研究』の編集長だったとは知らなかった。出版社に勤めていてたまたま短歌雑誌を任せれて、歌壇を盛り上げようとした人だった。また中井英夫の匿名批評やら、中城ふみ子や寺山修司をプロデュースした人だった。その時に歌壇からは随分と批判があったそうだ。特に中城ふみ子は歌壇からも「ヒステリックな身振りで誇張している」と言われたりした。その当時の歌壇は結社主義が酷くて外部からは新しい改革者は必要とせず、結社の中だけの世界で満足しきっていた。

同じ編集長だった『角川 短歌』の角川短歌賞の入賞者はいずれも審査員の結社の人で愛弟子を強く押すことでその賞は流れてしまったと。そんな中で中城ふみ子の批判は類を見ないものだった。しかし、その本が川端康成の推薦文と共に出版されると大いに議論を呼び、それまで中井英夫は彼女が癌だということも知らなかったのだが、映画も公開されて話題になった。でも今ではほとんど話題にする人もいないのだが。

寺山修司は別のことで誹謗中傷に晒された。寺山修司の短歌が著名な俳人のコピーであり盗作だというのだった。これは自然から盗めという写生派を活気づけたのだ。だがよく考えると短歌の伝統には本歌取りという手法もあるし、芸術は模倣から始まるものである。また芥川龍之介の翻案小説のたぐいも立派な芸術と認められている。さらにそのころは海外の詩ではバーローズやケルアックのカット&ペースト的な今で言うラップのような即興詩が注目されていたのだ。いかに日本の歌壇が小さな世界しか見てこなかったか?それは中井英夫に言わせると歌壇というシステム内だけで機能している小さな世界だったのだ。

葛原妙子を「現代の魔女」と名付けたのは中井英夫で、その御蔭で葛原妙子の短歌は「魔女」性ということで読まれてきた。それはある一面で葛原妙子の身体性を剥奪したものだと川野里子は論じていた。

ただ中井英夫は編集者で当時の歌壇で特異な存在である葛原妙子を誰もがイメージできるキャッチコピーを付けたものと思われる。それは規定の歌壇にあっていつまでも古い体質のまま写実的短歌や日常短歌が尊ばれる風潮を一気に変えていくには葛原妙子の短歌が必要だと願ったのだろう。

それは斎藤茂吉と釈迢空がなくなった翌年で短歌界も低迷していた。その原因を結社主義と短歌以外にアピールする歌人が出てこないという現在も似たような状況にあると思うのだが、そのころはやたらとリアリズム(写生主義)に重きが置かれ、虚構性(幻想)短歌は見向きもされなかった。そこに現れたのが塚原邦雄や葛原妙子であった。今やっていることと繋がっているというか、葛原妙子の評論を読んでこの本も読まねばと思ったのだが。


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