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ソクーロフの映画

『ソクーロフとの対話―魂の声、物質の夢』アレクサンドル・ニコラエヴィチ ソクーロフ,前田 英樹

タルコフスキー以降最も注目されるロシアの映画監督が独特の思想、映画論、そしてロシアの悲劇についてすべてを語り、魂と生へのふかみへと読むものを導く日本初のソクーロフの本。

ソクーロフ『独裁者たちのとき』の公開と共に各ミニシアターではソクーロフ特集が組まれていた。

ソクーロフの映画で不思議なのはけっこう居眠りしてしまうのだが、それでも好きな監督であるのだった。映画の展開が目が離せずサスペンスとして観られたならそれは映画の至福のときなのだろうが、ソクーロフの映画はどうもそれとは違う。一つ一つの映像の強度か?絵画的というのがある。そして、昨今のドラマのようなサービス精神に乏しいので延々と長回しのように眠りを誘っていくのだ。

また映像の色調というのも拘りがあって、カラー映画の華やかさな世界とは違うのだ。『エルミタージュ幻想』も一見華やかな世界を映し出しているが、色調としてはゴールドに彩られている。その黄金は儚さを伝えるものだ。だから長回しを一瞬の夢の時間のように映画では見せていく。

色調でソクーロフの発言は、日本の墨絵(中国の墨絵だと思うが)を参考にしたと言っている。そういえば今回一番感動したのは、黄土色で染められた『チェチェンへ アレクサンドラの旅』だった。他に役者について、その存在こそが伝説上の人物であるようなと言っていた。まさに、ガリーナ・ヴィシネフスカヤはそういう人だったのだ。

これが出てのが『オリエンタル・エレジー』という映画を撮りに日本に来ているときで、思い出したがネットで知り合った人が今ソクーロフが映画を撮っていると教えてくれたのだ。もう30年も前のことだった。そこは奈良の吉野(天川)の山奥で陸の孤島というような場所だった。大江健三郎の四国の森のイメージするような。しかし、そこは日本の古来の思想が埋もれている場所でもある。

そういう日本の失われた聖地を求めながら、しかしすでに日本の都市ではそういう場所も失われている、それを映像に残すというような作品だった。それがソクーロフの言う自然とか神に繋がるのだが、それは失われた世界であって今では夢見るようにしか感じられない世界を描くのがソクーロフの特徴となっている。

ソクーロフが日本の映画でもっとも感銘を受けたのが新藤兼人監督の『裸の島』で、それは神がかっているという。新藤兼人は多作の監督だが、溝口健二の助監督などもしていただけであって、初期は独立映画会社などを作っていたのだが次第に商業映画に飲み込まれていった。『裸の島』は独立プロの作品だと思った。今で言うインディーズ映画なのだが、モスクワ映画祭で賞を取っていた。奇蹟の映画という感じか。

ソクーロフが狙うのはそんな奇蹟の映画なのだと思う。宗教的と言ってもいいかもしれない。最新作『独裁者たちのとき』も聖書の黙示録をモチーフとしていたのだった。最後の往復書簡で自然/ 堕天使と語っているは自然=神というような汎神教的な思想で、それを改変していく堕天使=人間というのがソクーロフの映画の思想なのかと思った。その歴史に天使のような登場人物を見出す。たぶんそんなところ。

そういえばこの本でデビュー作と言われている『マリア』を観てないからなぜそこまでこだわるのかと思ったらそういうことなのだ。同じ学生時代の卒業制作として創られたソクーロフの長編処女作と言われている『孤独な声』は、一人の映画監督によってすくい上げられた映画だった(ソ連では上映禁止どころかフィルムも没収されそうになった)。その監督がタルコフスキーなのである。ソクーロフが映画の師とするのはタルコフスキーとはそうした精神的繋がりにあったのだ。

またソクーロフの映画はしばしば原作ものがあるが、それは原作も一通りではないのにソクーロフの映画的解釈も入るので余計にわかりずらくなっていると思う。それはソクーロフが精神的なものを描こうとするからだろうか?例えばゲーテ『ファウスト』はそうしたソクーロフの精神性を表している映画なのだ。

それでもなによりもソクーロフはドキュメンタリー監督として素晴らしい作品を残している。それらはロシアの戦争ドキュメンタリーだが、声高に反戦を訴える映画でもないし、政治状況がそうなってしまう中で従わなければならない人民の感情として戦争の無力さを見せつける。

日本でも多くの映画を撮っているが劇映画としては昭和天皇の敗戦の様子を描いた『太陽』が面白い。それは天皇を演じたイッセイー尾形と皇后を演じた桃井かおりの伝説と言ってもいい演技を引き出している。それは一人の人間天皇の姿の中にある弱さと夫婦を巡る愛おしさ。敗戦の日本の姿だが日本人の姿もそこに見出していると思う。

ソクーロフの中にある母性愛や家族愛のようなものは、それがテーマとして描かれた映画『マザー、サン』のようなものから、晩年のレーニン像を見事に現代の老人問題のように描いた『牡牛座レーニンの肖像』は権力者の中に一人の人間がいる様をするどく描き出す。



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