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孤独な声を聞きながら居眠りしていた映画

『孤独な声』(1978年/ソ連)監督:ソクーロフ 出演:タチヤーナ・ゴリャーチェワ、アンドレイ・グラードフ

現代ロシアを代表する映像作家アレクサンドル・ソクーロフの長編劇映画第1作。映画大学の卒業制作とするために作られたが、大学や映画当局の幹部からは作品廃棄の命令が下された。ネガやプリントはひそかに保存され、この作品を救うためにタルコフスキーが奔走したという逸話とともに、アンダーグラウンドでの上映活動などを通じて作品は伝説と化した。そして、1986年から始まるソ連のペレストロイカ(建て直し)の中でついに公開され、ソクーロフを一躍時代の寵児に押し上げたのである。
ロシアの片田舎の村へ、青年ニキータが戻ってくる。ニキータはロシア革命後の国内戦争に赤軍兵士として参加したが、戦いの中で人間的感情が麻痺し、心を開くことができない。幼なじみのリューバはニキータを愛情をもって迎え、やがて二人は結婚する。しかし、ニキータはささやかな幸せに耐えられないまま、放浪の旅に出てしまう。
20世紀を代表するロシアの作家プラトーノフの作品をモチーフとして、労働者の記録映像や古びた写真などを差し挟みながら作品世界を構築していく独自の手法は、その後の作家の展開を予言する。まさにソクーロフ映画の原点である。

迂闊にもほとんど寝ていた映画だったのだが重要性に気がついたのは帰って少しネットで調べて。なんでタルコフスキーに感謝する言葉があったのか映画だけでは理解できなかったのだが、そういうことがあったのかと。つまりソ連では上映禁止処分どころか映画そのものが没収されそうになったのをタルコフスキーが手を回してくれたのだ。

ソ連の権力が恐れたのは強制労働のシーンだろう。映画ではよく分からなかったのだが、プラトーノフ原作ということはそういう映画だったのだ。プラトーノフは最近も注目され始めている旧ソ連の作家。以前ブームだったときに岩波からでた短編集と『土台穴』を読んでファンになった。そうだ『ジャン』という名作があったのだ。世界文学全集に納められていたと思った。

そんなプラトーノフ原作の映画化だと知ったのは後からだった。まあ居眠りしていてはしょうがないが。ソクーロフの映画は眠たくなるのが多いが目覚めたときに異化世界に連れってってくれるのでそれだけで満足している。彼岸性(最近のキーワードだ)のようなもの。それで絵画的な幻想性があるのだが、すでにデビュー作からそうだった。今のテクノクラート史上主義にあるのとは逆のアート作品映画なのだ。技術は、次に凄いのが出たときには見向きもされなくなる(映画史としては貴重なのだろうが)。だからマルチバースがいくら凄くともソクーロフの視線(単一のと書こうとしたが二つの目で見ている)の社会性や芸術性には敵わない。



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