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『失われた時を求めて』の部屋を出て、ベル・エポックと同性愛の入り口本

海野弘『プルーストの部屋―『失われた時を求めて』を読む』

アール・ヌーヴォーの装飾に彩られた華やかな社交界に存在する娼婦や同性愛者たちの地下世界までも作品に描きこんだプルースト。彼がみつめていたのは、彼が生きた時代そのものであった。風俗史、美術史、演劇史など、作品の厖大なディテイル研究を通してその新たな魅力を浮かび上がらせる。

プルーストが『失われた時を求めて』で描き出した豊穣な作品世界は、観念的に読むだけでなく、より視角的に、具体的にとらえることによってさらなる魅力を増す。十九世紀末パリの街角、豪奢なアパルトマンの室内装飾、そして優美な衣裳を身につけ笑いさざめく女たちの姿がもの語るものは。

目次
記憶の水中花
パリ生活のパノラマ
ファッションと愛と
オペラ座の桟敷で
海辺のサロン
世紀末の画廊
作家への旅立ち
ジャン・コクトーの影
2つの道
ベル・エポックの終末
パリの闇にまぎれて
文学の扉が開く
見出された時〔ほか〕

先に同じ著者の『失われた時を求めて』解説本、『プルーストの浜辺―『失われた時を求めて』再読』を読んで面白かったので、海野弘が先に出した『プルーストの部屋―『失われた時を求めて』を読む』を読んだ。姉妹本と言っていいと思う。

海野弘は、プルーストの過去や歴史を紐解いて作品に関連付ける手法で、プルーストがサント=ブーヴでその批評の仕方を批判して、『失われた時を求めて』を書いたのだが、読書としては参考になるところもある。それは精神分析批評というものだろうか?

ジルベルトのモデルとなった思春期の恋愛で、母親に禁止されたのが失恋の経験だったと書いている。それは母殺し(精神分析上の)に失敗したので、プルーストが同性愛に走ったとか。

それとジルベルトよりもスワン夫人の方に恋心があったというのは、プルーストの過去の歴史や芸術を恋する心情だった。それはファッションや芸術としてのモードということだろうか?海野弘がそのへんのバブル世代の編集者だったので、モード(流行)ということに対しての強みは感じる。

アルベルチーヌの場合は、乙女たちの一人であるという意味で、個人としてではなく花のような群れとして愛でていたのだという。そのかげに苦い体験があったのだ。

アルベルチーヌの登場は、実際はもっと新しく(自転車に乗る女性が現れたのは第一次世界大戦以降)、シャネルのスタイルを彷彿とさせる。活動的なスポーティな姿の女性。「花咲く乙女たちのかげ」まで。

図書館本なので読みきれずに文庫本を借りた。この本を読む人はすでに『失われた時を求めて』を読んだ人前提に書かれている。先行する批評からの引用も多く著者の読書ノートという意味合いが強い。プルーストの文章を長く引用してくれているのは思いだすので助かるが原稿料稼ぎなのかと思ってしまった。二巻本にするほどのことがあったのか、後半に入ると大体語られていることはベル・エポックの終焉とパリやヴェネチアの都市のファッションや流行について。モデル探しでいちいち誰とかはあまり興味がなかった。サロンのゴシップ的な話題のようで大した興味を引かない(そういう意味で『失われた時を求めて』を模倣したのかもしれない)。

シャンタル・アケルマン監督の映画『囚われの女』は、部屋が改装されているのが不思議だったのだが、海野 弘『プルーストの部屋〈下〉』を読んでいたらアルベルチーヌが一つの部屋でその出口がいろいろあると書いてあり、なるほどと思思った。

ただ海野弘はあまりにも精神分析批評すぎる。白鳥の首が男性器を象徴して、アルベルチーヌが男の性格も併せ持っているとか。プルーストの体験した同性愛の関係性がそこに現れているという。アルベルチーヌは行動的な女性でシャネルがモデルだったというのは納得できるのだが。

同性愛についてはかなり突っ込んだ話がなされる。シャルリュス男爵はプルーストの分身として、この作品でもっとも厳しい仕打ちに合うのだが、シャルリュスが芸術観や美的感覚を活かしいてプロの書き手としての批評家になっていたら、あそこまで落ちぶれることはなく、そういう意味では彼もディレッタント(好事家)に過ぎなかった。

その反対に作家になる語り手はシャルリュス氏を反面教師としたのかもしれない。そして語り手は親友であるサン=ルーの同性愛を見抜けなかったことに、一番ショックを感じているとし、ジルベルトとのプラトニック的な結びつきは愛の敗者としての(異性愛が同性愛に負けてしまった)同じ境遇同志なのだった。

ヴェネチア旅行は、トーマス・マン『ヴェニスに死す』と比較影響関係が述べられる。同時代の同性愛作家たちとの交流ジャン・コクトー、ジイドとの同性愛の比較(ジイドは同性愛を隠さねばならないものだとしていたがプルーストはそもそも自分を同性愛者とは認めなかった)。



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