見出し画像

シン・俳句レッスン1

今日から「俳句レッスン」を始めることにした。「シン・短歌レッスン」で「俳句レッスン」のウェイトが高くなってきたので、時間がかかるし長文になっているので切り離すことにしたのだ。「俳句レッスン」も「新興俳句の系譜」に入ってから面白くなってきている。俳句の見方も変わりつつあるのだ。

川名大『現代俳句』から「新興俳句の系譜」

虚子が正岡子規の「俳句」から「俳諧」的な伝統に戻したのは「花鳥諷詠」ということだった。ここで「花鳥風月」でないのに注意する必要がある。つまりそれは月的な夜の世界ではなく、昼間の明るい世界の写生句なのだ。

それに意義を唱えたのが主観や抒情を重視する水原秋桜子だった。虚子の客観写生よりも当時の青年たちを魅了した。何故なら虚子の写生句は日常で詠む写生句に対して社会のもやもやとか月的な和歌の浪漫とか詠めないからだ。詠めないということはないんだけど限定される。そしてもう一人は山口誓子は都会的即物的な俳句を発表する。

来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり  秋桜子
啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々     秋桜子
夏草に汽罐車の車輪来て止まる     誓子
マルクスを聴きて膝頭冷えまさる    誓子

新興俳句は出発点としてまったく異なる二人の俳人を擁した。秋桜子の系譜を継い俳人は、芝不器男、高屋窓秋、石田波郷、篠原鳳作がいた。

白藤の揺りやみしかばうすみどり  不器男
ちるさくら海あをければ海へちる  窓秋
プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ 波郷
月光のおもたからずや長き髪    鳳作

そして、新興俳句に圧倒的に影響を与えたのは山口誓子のほうであり、その影響下にあったのが内田慕情、西東三鬼、渡辺白泉らであった。

太陽と正し鼻梁と陰(ほと)隆く  慕情
右の眼に大河左の眼に騎兵     三鬼
繃帯を巻かれ巨大な兵となる    白泉

新興俳句は弾圧を受けていく。

岸本尚毅『十七音の可能性』

もこのへんのことが詳しく書かれている。

「俳句の印象派」

先程上げた水原秋櫻子(こっとは漢字が旧字で書かれていた)の代表作が、それまでの写実主義の俳句から印象派の俳句になった分岐点としてみる。

来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり  秋桜子

「来しかたや」が主観的表現。自分が通ってきた道で、選句ではこういう句は取りにくいという。個人の自我が立ちすぎて共感を得させるというよりわが道を行くみたいな、ふてぶてしさというか選者を舐めてんのか?という気持ちなのか?そこまで書かれてないが主観俳句は良くないとされている虚子の方法論ですから。そして「馬酔木咲く野の」が季語が含まれる中七。この部分から虚子の「ホトトギス」から離れて「馬酔木」という俳句誌中心に別の流派を形成する。

その「馬酔木」というとまっさきに思い出されるのが謀反を起こした弟大津皇子の死を偲んで詠んだ姉の大伯皇女が詠んだ歌ですね。これは時の権力者に反抗分子として処刑された馬酔木はまさにそのような花であり、花言葉も自己犠牲となっています。

磯の上に生ふる馬酔木(あしび)を手折(たお)らめど見すべき君がありと言わなくに  大伯皇女

『万葉集・巻二』

そのような歴史性を思い浮かべるとこの「来しかた」の覚悟も伺われる。そして、下五が「日のひかり」。印象派ならではものでしょうか?先程の和歌から類推すれば、日のひかりは本来大津皇子のものだった。この印象は深読みしすぎていますけど、それは印象派がやがて象徴詩や新古典主義に向かうのは虚子の客観写生の日常詠からはかけ離れていく。

それを岸本尚毅は絵画における写実主義(ダビンチ、ラファエロ、レンブラント)から印象派へとみたのです。

「人間探求派を巡って」

秋櫻子を堺に、仄めかす俳句から、述べる俳句への転換が始まっていく。有季定型の美しさよりも、人間の内面を述べることを優先した俳句が出てくる。その中で石田波郷の句が一つの転機になっていく。

はこべらや焦土のいろの雀ども  石田波郷

「はこべら」は春の七草で季語だが、ここで切れ字を入れて季語を立てているのは、その次の「焦土のいろ」「雀ども」を述べたいためである。「焦土のいろ」は空襲の焼け跡だが、通常の俳句では「焦土のいろ」とは述べず「焦土」とするのだ。またいろを具体的説明する。しかし、この「焦土のいろ」は「雀ども」にかかってくる。すると、「はこべら」の緑と対称的になり、また当時は食糧難から「はこべら」のような道草も食べていたのだ。「雀ども」はその諧謔性である。これは有季定型の俳句であり、花鳥諷詠だが、「焦土」という社会詠であり、「雀ども」という境涯俳句になっている。石田波郷に続いて、中村草田男、石田波郷らを含めて「人間探求派」というコトバが生まれてくる。ここで整理しておく。

伝統派(虚子の俳句)──俳句の主題は季語(季題)。花鳥諷詠。
新興俳句──俳句の主題は人間や社会である。季語はあってもなくても自由である。
人間探求派──俳句に主題は人間や社会である。季語は必要。

新興俳句が抜けていたが秋櫻子から山口誓子の都会的無季的になっていく俳句スタイルの変遷である。それは新興俳句からプロレタリア俳句となって、やがて弾圧されていく。

「自由律俳句」

新興俳句の荻原井泉水の弟子である尾崎放哉と山頭火の2大巨匠によって、さらに短さを極めた自由律俳句が出てくる。それは有季定型の季語や切れ字という手法を捨てて、思うままに短詩を述べる方法なのだが、まだ俳句らしさを残しているとすればなんだろうか?それは有季定型のアンチテーゼから生まれた俳句だからという。このへんは良くわからんな。

ずぶぬれて犬ころ  住宅顕信

ただ自由律の傾向が「破滅型」俳句にあるのは、尾崎放哉、山頭火、住宅顕信が付けた足跡かもしれない。現代自由律の大家であるせきしろも死の観念が漂う俳人だった。

今日の一句


ひまわりや月が出ても咲いている

実際には夜のひまわりは見たことはないが、たぶんつぼめないだろう。


この記事が参加している募集

#自由律俳句

30,079件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?