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シン・短歌レッス73

今日の一句

ムクゲ。そうだ芙蓉とムクゲは似ているが夏芙蓉って、もしかしてムクゲのことかもしれない。夏芙蓉という種はないのだが中上健次の小説で印象的に取り上げられている。架空の花なんだけど、こういうのは面白いな。実際にない花を想像する。例えば冬紫陽花とか。

あと大江健三郎の「アナベル・リイ」のイメージしている花は「ノリウツギ」じゃないかと思う。家で薔薇には見向きもしないが「ノリウツギ」は目に止めていたいう。日本に自生していて糊にするための原料だったとか。

ムクゲに戻すと韓国の国家で近くの公園では白とピンクが咲いているのだ。明日ピンクを撮りに行こう。そうだ、芙蓉の花を鼻に付けて遊んでいたな。花びらが糊みたいになるのだった。ムクゲじゃなく芙蓉だと思ったけど。それで夏芙蓉が好きだったのか?小さい時は花でいろいろ遊んだよな。

日記の方で一句上げた。

ムクゲ咲く次から次へ忘れゆく

小野小町の和歌


うつつにはさもこそあらめ夢にさへ人目をよくと見るがわびしさ                    小野小町

この歌は『古今集』の「恋三」で、すでに相手と出会った後の歌だという。現実の密会でさえそうなのに夢までも人目を避けて行動しなければならないと嘆く歌。なにやら現在の不倫を詠っているような感情である。このへんが恋する乙女に支持される理由なのか?

二句目までは現実を詠んでいるのだがなんのことかわかりかねぬ書き方だという。「こそ………め」は係り結びで「あらめ」は「だろうけれど」で「さ」は強調。三句目の「夢にさへ」で現実との理不尽さを訴える「~だろけど夢にまでも」との意味だという。「人目」が恋の妨げになる世間の視線。「人目」は万葉時代から現在まで、恋の障害となっているというのが面白い(広末涼子の不倫を連想した)。そして「わびしさ」という小町の感情。この小町の歌はかな文字が出来る前に漢字で表記されたが、ゆっくりと歌われることによってその全体像が見えてくる時間構造をはらんでいるという。だから何だ、としかわからないが、和歌が音韻的に詠まれたということなのかな?漢字は表意文字だから読むためのものだが、かなは聴くためのものということなのか?

この歌から人目を避けねばならない小町の相手は、身分違いの目上のものだという説が生まれて、相手は天皇であるとされた(料理人ではないんだ)。でも逆に小町の方の身分が高い(広末の不倫ならば、広末のネームバリューの方が高い)とは考えられないのか?小町は藤原一族であったという説から(これは今は否定されているようだ)小町を更衣とする説があるようだ。そのことから女性歌人(和泉式部や伊勢)の先駆けとしての重要性があるという。

ただ現代の解釈では小町が身分差を気にしたことよりも、もともと内向的少女であったのではないかというのは貫之の序に「あはれなるやうにて強からず」という小町の性格を言った(和歌から読み取れる性格だと思うが)のだと言われている。この推理はすごいな。それよりも小町の歌に興味があった。この歌を本歌取り出来ないか?

夏至の日に誘われて夢現かな

うつつにも昼こそあらめロビーにて銀幕の夢誘う視線

平成歌合

今日の「平成歌合」は壬生忠岑(みぶただみね)。こちらもフリガナが無ければ読めないし、全然馴染みがない。それで『古今集』の選者で三十六歌仙の一人と言うのは凡河内躬恒と同じなのだが、息子の壬生忠見も三十六歌仙のひとりだという。

(歌合三十一番)
逢えばまたまつ日の遠くたちかへり逢ふもせつなき星合ひの恋
けふよりは今こむ年のきのふをぞいつしかとのみまちわたるべき

秋対決なのだが、右はひらがなばかり使っているのでなんとなく『古今集』のような気がする。左は恋の歌だよな。右壬生忠岑で勝ち。当たり。これは「七夕」の歌だった。そう言われればそうかと思うが歌だけだと全然わからん。「遠恋」(遠距離恋愛?)の歌だという。

(歌合三十二番)
山里は秋こそことにわびしけれ鹿の鳴く音(ね)に目をさましつつ
さなきだにかたはらさびしき草臥(くさぶし)につれなくも鳴くさ牡鹿の声

秋の鹿対決。左は意味がわかるが、右はさっぱりわからん。草の上に寝ているという歌か?左は分かり易いので正比古か?右は古語がわからん。違った。正比古はわからん古語も使うんだよな。「さなきだに」は「ひっそりと」、「かたわらさびしき」は「傍ら寂しき」か。上手いな。正比古は古語辞典を絶えず側に置いて短歌は古語でしか作らないという拘りなんだよな。

(歌合三十三番)
みよしのの山の白雪ふみわけて入りにし人のおとづれもせぬ
みよしのを見ねば知るまじ雪深きふみもあたはぬわれの庵を

左のほうが単純な歌で右は二重否定が使われているのか複雑だよな。正比古だろう。意味的には同じことを言っているんだよな。右の歌は左の歌の返歌だという。「を見ね」は「尾峰」の「ふみ」は「文」との掛詞。やるな。

(歌合三十四番)
堅雪のかげに下萌ゆさわらびは春かたまくるわれと見なむ
春日野の雪間をわけておひでくる草のはつかに見えし君はも

右の地名が詠まれているから『古今集』だと思う。恋歌一だからまだ片思思いの段階だ。左はやっぱ上手いな。正比古だと思うが。当たり。

(歌合三十五番)
風吹けば峰にわかるる白雲のたえてつれなき君が心か
風吹けば千切れて消えぬ雲に似て君が契りのはかなくもある

「恋二」だが、右は関係済みじゃないか?「恋四」ぐらいだよな。左が『古今集』で右が正比古。当たり。

4勝1敗。まあまあか。壬生忠岑の歌が理解できたと言うよりも正比古の歌から推測したのだが。これも壬生忠岑の名前を覚えたのでよしとしよう。

続いて素性法師。三十六歌仙というのは、平安王朝を求めて藤原公任(ふじわらのきんとう)が三十六歌仙を選定したのだった。時代は藤原一族の執政の頃で藤原兼家が太政大臣になり、公任の父が蹴落とされる。同じ藤原でも公任は「小野宮流」で兼家は「九条流」。派閥争いみたいなものだろうか?公任は「小野宮流」の貴公子であったのだ。そういえば絵も品がいい。

素性法師も坊主と言ってももと貴族という家柄というより桓武天皇の曾孫に当たるので由緒正しき血筋であって彼の歌にも「平安王朝」を求めるものがあるのだった。

平安王朝は桓武天皇から始まり、藤原兼家の執政でごたごたしていく。そういう歴史があったのだ。これは昨日から読み始めた目崎徳衛『百人一首の作者たち』に詳しい。

(歌合三十六番)
かざはなの舞へばうぐひすかたまてる花とや空に枝を探さむ
春立てば花とや見らむ白雪のかかれる枝にうぐひすの鳴く

左のほうが平安絵巻のような優雅さがあるな。右は写生和歌だった。左素性法師。違った。そうか、左も写生だけど平安絵巻に擬えたのだ。このへんの正比古の上手さだよな。春の雪は「風花」ということだという。この左の桜の歌は素性法師の代表作。

(歌合三十七番)
見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦(にしき)なりける
鶯の褥(しとね)ともしも背戸の尾は萌葱浅黄(もえぎあさぎ)に紅の綾

左の方が単純で意味は掴みやすい。右はカラフルすぎないか?正比古のような気がする。当たりだが、左が都で右は里山の歌だという。錦と綾を対置させたらしい。「紅の綾」がわからない。単に山が紅色ということだろうか?桜が紅色というのがいまいちわからん。紅色は今の色とは違うらしい。

素性法師は、遍昭(へんじょう)の息子であった。遍昭(六歌仙に入っていた)こそが平安王朝を知る貴族から出家したのだ。

そして遍照は立派な坊主になったが息子の素性法師はそうならず、仏道よりも色道を追いがちであったという。桜の歌はそれまで唐風の梅の花が好まれていたのだが、この歌のころから日本に自生する桜が都に移植されて詠まれたのだ。それで桜は山里の娘の比喩的な感じなのかな。素性法師は桜詠みの歌人だったという。

梅対決。左は日中の梅で写実的。右は夜の梅で香りだすれば香りの方が『古今集』だろう。右の方がすっと入ってくる。「氷輪」がわからない。正解だが、左も夜だった。「氷輪」が月の冷え冷え輝く様だった。

(歌合三十八番)
鶯は吾が音(ね)きけよと来鳴けども木(こ)の間立ち潜(く)き姿見せず
木伝(こづた)へばおのが羽風にちる花を誰におほせてここら鳴くらむ

右は桜だけど左は梅かもしれない。桜の素性法師ということで右か。左は花でなくとも新緑の感じもする。当たりだが右は梅だという。古今和歌集の頃は「花」は梅だと言うが、この頃に桜になったのだと思うが(「春下」だし、梅は「春上」だ)。

(歌合三十九番)
おもふどち春の山辺にうちむれてそこともいはぬ旅寝してしが
おもふどち春の山辺に円居(まどゐ)して酌めば紐解く四方(よも)の百花

左は修行の行き届いた僧侶だと思うが、素性法師はそいうことが嫌いなエロ坊主なのである。だから右に違いない。これが正比古だったら性格を疑う。違った。紐解くは打ち解けるという意味で深い意味はないという、でも百花とかいかにも快楽の園みたいではないか。引っ掛け問題か?

(歌合四十番)
秋風に山のこのはのうつろへば人の心もいかがとぞ思ふ
うつろへる君が言の葉散りぼひてわが身の内に秋深みゆく

あと素性法師は恋の歌が苦手だと出ていたな。エロ坊主だから強引すぎるのだ。左は人一般だが、右は恋の歌。でもこれは「恋四」だからな。左は強引に恋歌にしたのかもしれない。左素性法師。当たり。左の歌は推測通り、人一般に対する歌だった。右の歌の方が恋歌ならば勝ちだろう。

素性法師は思ったより難しかった。目崎徳衛『百人一首の作者たち』では素性法師は桜の歌が多いということだった。坊主なのに華やかな世界が好きなんだ。

うたの日

どんまいの後だけになかなかやる気がでないのだが、本歌取りの練習だと思って、今日は「烏(からす)6/26 13時」にしよう。それは「大鴉」のポーの詩のイメージにも繋がる。

『百人一首』は紀貫之か?やってなかったみたい。

大鴉心も知らず屍をついばんでゆく想いも無きに

よしこれでいい。♪1つという現実。

俳句レッスン

川名大『現代俳句』から、今日から自由律俳句。期待してしまう。尾崎放哉と山頭火はやったのでパスして、栗林一石路。プロレタリア俳句の雄。社会改革と社会批判の句。

シャツ雑草にぶつかけておく
大砲が巨きな口あけて俺に向いている初刷

「ぶつかえておく」という言い回しが野性的でプロレタリアというのだがこのシャツは白下着だよな。グンゼとか。ランニングならなおよろしいかと。タンクトップではない!

「大砲は」日中戦争が勃発した年だからそんな臨場感があったのだ。そして、そのニュースが飛び込んでくる。ただこれはその前に預言的に書かれた句だという。今読むと散文だし一息で読むには苦しい。二句だけだったので、そんなもんなのだろう。

続いて橋本夢道。この人もプロレタリア俳句の人だが新興俳句の人とも交流があったようだ。「京大俳句」弾圧事件で検挙されている。

大戦起こるこの日のために獄をたまわる
うごけば、寒い
石も元旦である

「獄をたまわる」という尊敬語か?「京大俳句」弾圧事件の句だ。

次の自由律は獄中でのものだという。普通逆だと思うのだが、それほど寒い場所だったのかも。

路傍の石も元旦を迎えたという自由律だという。俳句では虚子が

石ころも露けきものの一つかな

があり二大「石」俳句だと言うが趣が違うという。

今日はここまで、次が「新興俳句の系譜」という章で一気に紹介するようだ。

岸本尚毅『一七音の可能性』。岸本尚毅は「NHK俳句」でもおなじみのベテラン講師とイメージがあるが、先日読んだ宇井十間との往復書簡『相互批評の試み』が面白く、新興俳句からの問いに伝統俳句側から答えるというような、今まで伝統俳句が無視してきた問題(それは見えなかったのかもしれない。なにしろ俳句界には見えないことが多すぎる)に真摯に答えていて好感が持てた。また新興俳句を知る上でもかなり有用な理論性を持って伝統俳句の良さをアピールしていたと思う。

「近現代俳句の多様化」
俳句は元々は徘徊から来たコトバで、それは芭蕉の発句からきている。つまり正岡子規が「俳句」と発句から徘諧を独立させるまでの伝統が宿っていると考えるのが伝統俳句で、その意味で俳句の「句」のほうではない「俳」はなんであるかと考えるのが虚子の俳句性を言い当てているようだ。

敵といふものは今は無し秋の月  高浜虚子

詞書に「詔勅(天皇の言葉)を拝して奉りて、朝日新聞の需(もと)めに応じて」とあり、敗戦の世を迎えるに当たって、それまでの新聞の言論や「鬼畜米兵」ということを忘れたかのような新世界への挨拶句であるという。そうした強がりを装う姿の滑稽さは、落語の姿と重なる。そうした俳諧味が虚子の俳句の持ち味であったのではないか?

それは単独した短詩(近代性)としては成り立たない世界である。自由律が席巻したときに有季定型という俳句を再び見出して行ったのが虚子である。それは正岡子規の俳句という独立性から「花鳥諷詠」という伝統への繋がり(俳諧的連続性)を見出したという。それが季語の重要性で、俳諧の発句に繋がる座としての約束事として座(内輪のメンバー)に通じる言葉(落語の長屋の中の言葉とか)として成り立っていく。暗黙の了解的な、それは虚子の敗戦の俳句のようにその原因を問わないで内輪での了解事項なのである。

「ひらめきの瞬間―比喩の達人」
例えば落語で女房を「ニワトリみてえ」とか「百万年前のトカゲの親方みてえな面」という比喩が笑いを誘うのは、長屋の熊さん八つぁんの世界だからだ。それをフェミニズムの視点から論じるのが野暮というもので落語にはそういう仕来りがあるのだ。俳諧的比喩の達人もそういうところがあり、その人物や景色をよく知っているからこそ成り立つ比喩というものがあるという。

火を投げし如くの雲や朴の花  野見山朱鳥

まずこの俳句の場合「朴の花」を知らないとまったく意味が汲み取れない。また上五も夕焼けというのを理解してこそ、夕焼けの赤と朴の花の白の対称がわかる句である。さらに野見山朱鳥は『荊冠』という句集があるようにキリスト教の造形が深い作家であり、この句からキリスト教的イメージを掴めばなお深読み出来るという。「火を投げし」は『聖書』からのコトバなのである。

わたしが来たのは、地上に火を投ずるためのである

『聖書 ルカによる福音書』

それが解釈者の深い読みであり座の中での俳諧の楽しみ方であるのだ。だからこの場合読み手が『聖書』にボンクラだとただ綺麗だで終わって、深い精神性にはたどり着けないのである。

名句と呼ばれるものは、この解釈という優れた読み手を必要とするのが、名句はそのまま読まれるというよりも解釈によって成り立つものかもしれない。だから一句として独立したものよりも、継続した中で生まれてくる作家性みたいなものが見出されるのだ。単に一七文字だけではない世界が広がっているのだ。

例えば句会にしても「東京マッハ」のような句会と先生が仕切る句会では違ってくるのが当然なのだ。そのことは最初は全然理解出来なかったが。

比喩がわかるというのは、例えば大工なら大工の中の比喩は一般人にはわからないが、結構際どい差別語とかあるのだ。落語はほとんどそんな用語で成り立っているとも言える。

「無意味な世界を描く」
俳句の世界は意識的な世界よりも無意識的な世界だという。

鴨渡る明らかにまた明らかに  高野素十

何が「明らかな」のか、鴨が渡っていくという情景だけだ。ただそのリフレインによって明らかではない無意識的行動が例えば鴨の帰巣本能というべきもの。一羽が飛び立てばまた続くような無意識的な情景。

それは落語が弱い芸だと言われるような約束事によって噺家の仕草によって観客がイメージする、例えば扇子でズルズルと蕎麦をすするイメージするのは、意識的よりも無意識的な仕草によって芸を見るのだ。観客にそれを芸だとは意識させない芸と言えばいいのか?余白の文芸とはそういうことなのかもしれない。それは意識的なるもの(自我のアイデンティティ)よりは場の無意識的なるものを引き出すのが俳句的なのかもしれない。

「俳句と天才」
俳句の天才性を感じるのは下五なのであるという。その天才性を感じる俳人は虚子の娘の星野立子だという。

大雨のあとかぐはしや秋高く
興奮のすぐ汗ばみて恥しく
焼薯(やきいも)の風呂敷誰が持つ
紫のソーダ水ありまずからん
秋風や人違ひされ微笑みて

まあ虚子の娘だという優越ポイントもあると思う。この手の俳句はオジサンにはまず受け入れられない。

「俳句における写生の技」
虚子の子供でも長男の高浜年尾は虚子の言いつけを頑固まで押し通した写生俳句を極めたようだ。

火蛾落つる燈火に湖(うみ)の魚来る  高浜年尾

火蛾が季語で「ほが」とも読むらしい。飛んで火にいる夏の虫ということで夏の季語。上五は隙のない季語が立ち続いて「燈火親しむ」では秋の季語なんだが、ここは街灯という感じか。火がリフレインするのが幻想的というか。後の火は湖に映る火でもある。よく俳句のリフレインは先と後の意味が違うというのは一つのテクニックだ。湖を「うみ」と読ませるのは和歌にあったような。そのほうがすっきりするからな。そして落ちた蛾を求めて魚が集って来る様子を描いているのだ。隙がないというか、余白が全然ない油絵のような。先程の星野立子の余白ある感じとは随分違う。俳句としては星野立子の方が面白いと思うが。火蛾でネット検索したら火取虫(ひとりむし)で虚子の句が出ていた。

酌婦来る灯取虫より汚きが  高浜虚子

この一句で随分女性俳人が遠ざかったらしい。この句には虚子の人間性が出ている。まあ落語の熊さんと同じような洒落だったんだろうね。

俳句をやるようになってから長くなってしまった。今日で四日目だよな。

映画短歌

映画短歌は『それでも私は生きていく』。

『百人一首』は参議等か。等が名前なのか「ひとし」というようだ。「ら」かと思ったよ。

「しにぶれど」までが序詞で枯れ草などがぼうぼう生えている寂しい場所に忍んでいるけど恋人を思う気持ちはムラムラしているというような。むらむらしている気持ちを抑えるためにそんな場所に出掛けたという意味だという。上野正比古『百人一首と遊ぶ』は同じ趣旨で。

わびぬれて尾花の枯るる野をゆけば思ひ草ありなほに恋しき

わかりやすく詠んでいるよな。

老いし父惚けて出家ししのぶれど妻も忘れて子も忘れて

後半もう少し和歌に近づけたかったのだが妻子にすればいいのか?

老いし父惚けて出家ししのぶれど妻子忘れて尼僧求む

いまいちだな。暑くて浮かばない。


sただ上野正比古は本歌取りよりも歌合の雰囲気が強い。

右近の歌は男に忘れられた女が男に出した歌で(解釈として優しさか皮肉か分かれるのだそうだ)、正比古のはその返歌になっている。


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