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『海潮音』は、ヌーヴェルヴァーグ詩集だ

『海潮音』上田敏 (青空文庫)

明治から大正初期の文学者、評論家、啓蒙家、翻訳家である上田敏の翻訳詩集。1905(明治38)年、本郷書院より出版された。1902年~1905年に「明星」「万年青」「白百合」等の雑誌に発表された作品がまとめられている。新しい詩を日本に紹介する必要性を感じた作者が、初めて象徴派の詩を紹介したことで知られる。冒頭には森鴎外に捧げる献辞がある。

ヨーロッパの29人の詩人の翻訳詩集。フランス・ドイツの高踏派や象徴派など、それまでの日本の叙情詩にはない神々しいダイナミックな世界や悪徳な世界を伝えている。映画でスクリーンがワイドになりスペクタクルなハリウッド映画やフランスのヌーヴェルヴァーグ的な斬新さがあるような。詩だけではなく批評も同時に載せているのがわかりやすい(文体が文語体だが)。上田敏の批評の言葉が詩的なのだ。

然れども又徒(いたづら〉に晦渋と奇怪とを以て象徴派を攻むる者に同ぜず。幽婉奇聳(きしよう)の新声、今人胸奥の絃に触るるにあらずや。坦々たる古道の尽くるあたり、荊棘(けいきよく)路を塞たる原野に対(むかひ)て、これが開拓を勤むる勇猛の徒を貶(けな)す者は怯(き)ように非(あ)らずむば惰なり。

それぞれの詩のリズムが翻訳調でもなく、自然と口ずさみたくなる。中には和文調?と思えるものがあるが、それがかえって面白い。多分に日本の詩人たちは衝撃を受けたと思うのだ。新しい言語に立ち会う瞬間の素晴らしさ。

ルコント・ドゥ・リイル

フランスの高踏派の詩人で、オリエンタリズムの詩情溢れる世界を描き、フランス浪漫派の音楽にも影響を与えた。

象       ルコント・ドゥ・リイル

命も音も絶えて無し。餌に飽きたる唐獅子も、
百里の遠き洞窟の奥にや今は眠るらむ。
また岩清水迸ばしる長沙の央(なかば)、青葉かげ、
豹も来て飲む椰子森は、麒麟が常の水かひ場。

大日輪の走せ廻ぐる気重き虚空鞭うつて、
羽掻(はがき)の音の声高き一鳥遂に飛びも来ず、
たまたま見たり、蟒蛇(うはばみ)の夢も熱きか円寝(まろね)して、
とぐろの綱を動せば、鱗の光まばゆきを。

ボードレール

ご存知有名すぎるフランスの象徴派詩人。でもこの「信天翁(おきのたゆう)」は、異化された日本の能のような舞を感じる。

信天翁(おきのたゆう)   シャルル・ボドレエル

波路遙けき徒然の慰草(なぐさめぐさ)と船人は、
八重の潮路の海鳥の沖の太夫を生檎(いけどり)ぬ、
楫(かぢ)の枕のよき友よ心閑(のど)けき飛鳥かな、
津(おきつ)潮騒(しおざる)すべりゆく舷(ふなばた)近くむれ集(つど)ふ。

あま飛ぶ鳥も、降りては、やつれ醜き瘠姿(やせすがた)、
昨日の羽根のたかぶりも、今はた鈍(おぞ)に痛はしく、
煙管に嘴はしをつゝかれて、心無しには嘲けられ、
しどろの足を摸(まね)されて、飛行の空に憧(あこ)がるゝ。

ヴェルレエヌ

ヴェルレエヌの音楽性もリズミカルに余すことなく伝えている

落葉      ポオル・ヴェルレエヌ

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

ハイネ

ハイネは、あのピアニストのルビーシュタインなのかなと思うと音楽が聴こえてきそうである。

ルビンスタインのめでたき楽譜に合せて、ハイネの名歌を訳したり。原の意を汲くみて余さじと、つとめ、はた又、句読停音すべて楽譜の示すところに従ひぬ。
花のをとめ   ハインリッヒ・ハイネ

妙に清らの、あゝ、わが児よ、
つくづくみれば、そゞろ、あはれ、
かしらや撫でゝ、花の身の
いつまでも、かくは清らなれと、
いつまでも、かくは妙にあれと、
いのらまし、花のわがめぐしご。

シェイクスピア

民謡調?

花くらべ    ウィリアム・シェイクスピヤ

燕も来ぬに水仙花、
大寒こさむ三月の
風にもめげぬ凜々しさよ。
またはジュノウのまぶたより、
ヴィイナス神がみの息いきよりも
なほ臈(ろうたく)もありながら、
菫の色のおぼつかな。
照る日の神も仰ぎえで
嫁もせぬに散りはつる
色蒼ざめし桜草、
これも少女(をとめ)の習(ならひ)かや。
それにひきかへ九輪草、
編笠早百合(あみがささゆり〉気がつよい。
百合もいろいろあるなかに、
鳶尾草(いちはつぐさ〉のよけれども、
あゝ、今は無し、しよんがいな。

マラルメ

口ずさみたく調べだ。

嗟嘆(といき)     ステファンヌ・マラルメ

静かなるわが妹、君見れば、想(おもひ)すゞろぐ。
朽葉色(くちばいろ)に晩秋の夢深き君が額(ひたひ)に、
天人の瞳なす空色の君がまなこに、
憧るゝわが胸は、苔古(こけふり)し花苑(はなぞの)の奥、
淡白(あはじろ〉き吹上の水のごと、空へ走りぬ。

その空は時雨月(しぐれづき)、清らなる色に曇りて、
時節(をりふし)のきはみなき鬱憂は池に映(うつろ)ひ
落葉の薄黄(うすぎ)なる憂悶(わづらひ)を風の散らせば、
いざよひの池水に、いと冷ひやき綾は乱れて、
ながながし梔子(くちなし)の光さす入日たゆたふ。


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