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ホフマンスタールの詩「無常について」
100円本で買った『ドイツ名詩選』にホフマンスタールの詩があったので、写経します。
無常について ホフマンスタール
まだわたくしは頬にその息吹を感じている。
どうすれば信じられよう、これらの身近な日々が立ち去ったとは、
永久に去り、まったき過去になったとは。
これこそ、だれにも説きあかせぬ一事、なげくにもあまりにむごたらしいことなのだ、すべてが滑り去り、流れてかえらず、
わたし自身の自我もまた、さえぎるすべもなく、幼いこどもからすべり出て、一匹の犬のように、わたしにもぶきみに、だまって、見知らぬさまにみえるとは。
そうしてさらに、わたしが百年の前にも存在し、屍衣につつまれたわたくしの祖先らが、わたし自身の髪の毛のように、わたしと似かよっているということは、
本当にわたし自身の髪の毛のように、わたしと一体であるということは。
この詩は、母親代わりとされる貴族の夫人に捧げられているので、喪失の悲しみを歌ったものであろう。
ただその嘆きよりも、「わたしが百年の前にも存在し」とは万物は繰り返すと言っているのだろうか?そして祖先が一体であるように、死者も一体であるという。
「無常感」から来る信仰の拠り所のようなもの。日本人の鴨長明とかの「無常観」とはまた違う。「無常感」というのは、私の存在が消えてもまたふたたび存在するだろうという不変性を言っているような。一神教的なことかもしれない。
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