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武田百合子のモデル小説

『風媒花 』武田泰淳(講談社文芸文庫)

日本と中国との間には断崖がそびえ、深淵が横わっている。その崖と淵は、どんな器用な政治家でも、埋められないし、跳び越せもしない。そこには新しい鉄の橋のための、必死の架設作業が必要だった。頽れる堤と頽れる堤のあいだに、何度、いいかげんな橋を渡しても、無駄であった。贋の橋や仮りの橋は、押し流されるより先に、ひとりでに腐り落ちた。峯たちには、架けねばならぬ新しい橋の姿が、おぼろげながら想像できた。

作家・峯三郎を視点とし戦争直後の中国文化研究会に焦点をあて、群像劇にとどまらず……拳銃の暴発、青酸カリ混入、といった事件の大きな波に登場人物たちが飲み込まれていく姿を描く。憧れの象徴である中国大陸の文化と歴史に対する、さまざまな立場からの考証が作品の底に流れる戦後文学の記念碑的傑作であり、著者の代表作。

<中国文化研究会のメンバー>
●軍地先生――頭のハチ割れそうな難しい顔つきしているけれど、みんなをギューギューいじめっころがす。
●新聞社の西さん――気の弱そうなやさ男だけど、可哀そうなほど正直なひと。
●失業中の中井さん――三亀松の声色もへたなくせに、いつまでも「湯島天神お蔦涙の別れ」を止めようとしなかった。
●梅村先生――エンサイクロペジアって悪口言うけど、何を聴いても「アッそれは」って答えられるから、たいしたもんだわ。……そして作家の峯三郎などなど。
彼らと情人蜜枝、桃代が織り成す戦後文学の記念碑的作品

※本書は、筑摩書房『武田泰淳全集』第4巻(1971年8月刊)を底本として、講談社文芸文庫版(1989年3月刊行)を適宜参照し多少ふりがなを加えました。

出版社情報

「風媒花」は植物に「虫媒花」と「風媒花」があり、イネ科のように風によって花粉を運ぶ種類を「風媒花」という。それを戦後の日本人に喩えているのか。風任せ的な。

戦時中、中国で中国文化研究会の名目で働いていたがそれは日本の占領政策の一環だった。その下で働く漢奸のように敗戦後は逆転していく中国との関係(著者はそれを上海で経験して日本に戻ってくる)。それは例えば蜜江(この小説のヒロイン・武田百合子がモデル)が生活のためにデパートで万引きをしたり、売春をしていかなければ生きていけない現実だった。

ちょうどこの本を読んでいる時に西武のストのニュースがあったが、日本ではストは悪しきものと捉えられている。

当時は当然の労働者の権利と描かれているのだが、ただ物語はその最中に万引きをする蜜江の姿として、ブルジョア生活を送る者たちとの対比で描かれる。蜜江が万引きしたのは子どもを背負う兵児帯で、彼女は中絶を繰り返していたのだが、このお腹の子は産もうとしたのだ。そしてやむにやまれず万引きすることになる。そして、それに失敗すると今度は売春婦として生きていこうとするのだ。その蜜江の姿をあっけらかんとした描写で読ませる。

モデル小説として武田百合子や竹内好が描かれているが他にもいるようだが、よくわからない。三島由紀夫が蜜江の描き方を褒めた(売春婦をして右翼の連中に絡まれるが魯迅の詩を寄せ書きに一気に書いた)というが、大江健三郎が当時読んで衝撃を受けたという。それは武田泰淳の自己批評の書だったからだと思われる。

スト中のデパートの描写も面白い。ブルジョアの男どもは迫力がなく、女の方が切実だったとか。万引きで捕まって謝罪文書かされるのだが、峯三郎(泰淳)の愛人の名前を書いたりする。愛人の桃代は大物右翼の娘なのでブルジョア女子大生で表向きは蜜江の弟の彼女なのだが、裏では峯三郎と出来ていた。その辺が大衆小説のようであって泰淳は当時大衆作家としてエロ小説を書いていたとするのだが(メタフィクション的になっている)。

その当時は日本はまだ米軍の占領下の混乱期で、一方で中国の毛沢東主義の信望者がいた(竹内好とか)。日本の社会は経済発展するために軍事工場をそのまま朝鮮戦争のための工場として稼働させていく。また台湾に、武器を密輸する右翼活動家(共産党と闘う勢力を応援する)たちがいて大金を得ていたりした(笹川良一とかそんな感じか?)。

中国の関係にしても漢奸として生きていかねばならなかった。そこには個人の意志などなく、個人として生きていくには蜜江の峰に対する愛の行為だけなのだった(そこは理想的に描かれているかもしれない)。

社会小説でありながら恋愛小説として読ませる。特に蜜江の描き方が読ませる。



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