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あの人は今の玉鬘

『源氏物語 46 竹河 』(翻訳)与謝野晶子(Kindle版)

平安時代中期に紫式部によって創作された最古の長編小説を、与謝野晶子が生き生きと大胆に現代語に訳した決定版。全54帖の第44帖「竹河」。玉鬘は夫に先立たれ寂しい生活を送っていた。二人の姫君には帝からお召しがあるが、娘の苦労を考え躊躇していた。薫や夕霧の子・蔵人少将も求婚していたが、玉鬘は決心して長女・大君を冷泉帝へ入内させた。大君は皇子を産みますます寵愛され、他の女御の嫉みを買ってしまう。辛い立場の娘を思い、後悔する玉鬘だった。

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玉鬘は「玉鬘十帖」があるように光源氏が生きているときは一世風靡で輝いていたが、セレブ生活が出来たのに一般人と電撃結婚して芸能界を去って行った。幸福に思えた結婚も「あの人は今」的な不幸をあら捜しされる婦人のように思える。娘の婚姻に自身の失敗を委ねてしまう母としてセレブ婚を望んだのだが、またもや失敗を繰り返してしまうのは何なんだろう?蔵人の少将の引き立て役という感じでもあるのは、かつての夕霧との叶わなかった恋の延長線なのか?

「竹河」は催馬楽の謡の題目だが、今までの展開と同じように催馬楽が奏でられると男が入ってくるのだ。催馬楽は入場行進曲か?このテーマ曲は蔵人の少将のものだった。

(蔵人の少将)
竹河のはしうちでしひひと節に深き心の底は知りきや
(玉鬘)
竹河に夜をふかさじといそぎしもいかなる節を思ひおかしま

(蔵人の少将)は母である玉鬘に認められていながら何故結婚ができなかったのだろう?玉鬘は才能(蔵人の少将)よりもブランド(帝)を選んだ。それは蔵人の少将の母が雲居の雁の息子だからなのか。雲居の雁は光源氏の取り巻き女を恨んでいた。さらに夕霧の性格が蔵人の少将に受け継がれたことも影響しているのだろう。見えない因縁があるのだ。蔵人の少将らの物語が自由に振る舞えないのはそうした見えない家系の影響を受けているからなのか?あと玉鬘の娘たちも玉鬘の性格を受け継いで囲碁などをやる娘だから男勝りで自立心が旺盛なこともあるのだろうから玉鬘とも対立する。そして、セレブ婚をさせた娘の不幸を聞くと不憫に思い、出家したいと思うのであった。

(蔵人の少将)
竹河のその夜のことは思ひ出づやしのぶばかりの節なれど
(藤侍従=玉鬘の息子)
流れてのたのめむなしき竹河によは憂きものと思ひ知りにき


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