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安藤大尉は島耕作か?

『新装版 昭和史発掘 (8)』松本清張 (文春文庫)

戦勝気分に酔う青年将校たち、しかし天皇の意志は固く——

「兵に告ぐ。勅命が発せられたのである、既に天皇陛下の御命令が発せられたのである」日本を震撼させた4日間は、悲劇の終幕へ

担当編集者より
尊皇討奸を合言葉に昭和維新を夢見た叛乱将校たち。しかし、重臣を惨殺された天皇の怒りは激しいものだった。日本を震撼させた4日間は、天皇の強固な意志と奉勅命令のトリックで、一挙に終幕を迎える。「兵に告ぐ。勅命が発せられたのである。既に天皇陛下の御命令が発せられたのである」——絶望と混乱。叛乱将校らの運命は。
目次2.26事件4
奉勅命令
崩壊
特設軍法会議

前回。

奉勅命令

「奉勅命令」とは天皇から皇軍に出される直接的な命令なのだが、内閣はそれを維新軍に伝えなかった。それは伝えたときに反抗されると皇軍同士の血を流す戦いになるので、それを回避したかった(松本清張は弱腰だというのだが)。

政府側としては圧倒的に軍隊(武力)を揃えた時点で短期決戦に持ち込みたい。しかし維新軍に付く維新同情者も多くいると思われた。その力の結集が天皇の弟秩父宮を立てるという勢力だったのだ。

しかし秩父宮は自分が天皇になる野心を持ちながらも時期早々と見ていたので、天皇と直接会うと協力を惜しまないと約束をする。それは維新軍に取って立てるべき人が居なくなってしまったので、大きなマイナスとなることが必然だったのだ。また秩父宮から維新軍に手渡された手紙を政府が先に読み、それを公式の秩父宮からの命令としてしまったのだ。

そのことで維新軍は形成逆転の憂き目にあい、維新軍から反乱軍へと転落していくのである。このことから青年将校の中心メンバーの磯部は秩父宮を怨んだとされる(『行動記』)。

このことから維新側に付く軍隊も少なく政府側はすべての準備を整えたところで「奉勅命令」を出したのだ。それは維新軍から叛乱軍へと、もはや皇軍でもなんでもなく敵軍として壊滅させれば良かったのである。そこに集まってきた大軍は叛乱軍を圧倒していたので、叛乱軍内部でも混乱が生じ自決する者も出た。なによりこの負け戦で部下たちを犬死にさせるようなものだから、帰還するように工作がなされるのである。

その説得は皇道派の重鎮もこれ以上叛乱軍に関わると自分の生命も危ういとする者が出ていた。真崎大将は最初から天皇の気持ちの情報を得ていたので維新軍とは関わりを持たないようにしていた。また北一輝もこの頃憲兵に逮捕され、もはや中心を失った維新(叛乱)軍は負けるより仕方がなかったのである。それで下士官をどう帰還させるかが今度は問題となってくるのである。

崩壊

天皇の奉勅命令が出ると一気に形成が逆転していく。それまで青年将校たちは自分たちの主張が天皇まで届き昭和維新として役割を果たしたと思っていたのだ。しかし、その要求は政府が預かり天皇の奉勅命令も伝えてなかった。

それは権力側の策略とし、少しでも体制を整えたいことからあえて伝えなかったのだと思う。秩父宮の心変わりが一番大きいのだが、それによって皇道派に付く者がいなくなってしまった。天皇に変わる長が居ないのである。

青年将校たちはその長を明確に決めてなかった。真崎大将にしても秩父宮にしても皇道派と意見を同一にするかと思ったら違っていたのだ。彼らは早くから天皇の怒りに気づいて、それに敵対することは時期早々と考えて保身してしまったのだ。青年将校にしてみれば頼りになる上がまったく当てが外れ梯子を外されてしまったので、自決するか逮捕されるかの選択権しかなかった。中には最後まで命を張って戦うにも軍隊の数が違って包囲されていたのだ。

その混乱した様子は悲惨きわまりない。政府側の司令官は青年将校の幹部に自決を進める。それで下士官は問題なく帰還出来るとするのだった。しかしその言いなりになることは叛乱軍の謀反で自決することなので、後々まで残っていく。むしろ生きて裁判で主張できることは主張したほうがいいという磯部などの主張で自決しようとしたものも考えを変える。

しかし、安藤大尉は責任問題として自決しようとする。それで周りが止める。しかしピストルで自決しようして、病院に運ばれたのだ。安藤を死なせるな、周りの声は感動的な話になっている。松本清張も安藤大尉を一番のヒーローに仕立てたのは、エリート将校であり、部下からも上からも信任が厚い、企業戦士に例えるなら島耕作ぐらいの人徳なのだ。しかし、妻の側からみれば澤地久枝『妻たちの二・二六事件』で描かれた通りなのだ。このへんの違いは面白い。

また病院に事件後怪我をして入院していた将校が、奉勅命令が出ると果物ナイフで自決したという事件もあったようだ。それでも自決者が少なかったのは磯部のように政府に騙されたという思いが強いのであった。

特設軍法会議

その前に内閣改造があり、亡くなった大臣やら駄目大臣は責任を取らされて辞任することに。その中で軍事内閣という陸軍の要請もあったのだが、なんとかそれは阻止したが総理がまた優柔不断な奴だったので陸軍の思うままに軍国化に進んでいく。軍の責任は皇道派に負わせてより統制派の思うままに締め付けていく。それが軍事国家へと大きく進んでいく結果になっていく。

軍法会議は統制派の隠蔽裁判となって、戦犯に控訴はなく一審だけの刑で決まり弁護士も付けられなかった。維新軍の上申書が天皇に届けらずに、天皇は最初から叛乱軍であると怒り、それが決定的に頼りにしていた秩父宮も真崎大将も自身の保身に走るのだった。そんな中で北一輝の金の出処が三井財閥で贅沢三昧の生活をしていたとか(上層部はどこも似たような財閥だよりで)。裏でいろいろ政治力が働いて実直な青年将校たちは梯子を外されたような結果になってしまった。

また北一輝の妻は巫女的な役割で今のカルト宗教と政治問題にも繋がっていくと思う。そのへんの北一輝の評価は魔王(ラスプーチンみたいな)と呼ばれる人物として松本清張は捉えているようである。


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