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日本人の情操教育は万葉集から

『万葉のいぶき 』犬養孝(新潮文庫)

千三百余年の歴史を超えてよみがえる、万葉のロマン。――〈万葉のこころ〉を愛し求め続ける著者が、読者をおおらかな古代人の世界へと誘う。万葉の歌を《愛》《旅》《四季》という角度から捉えた本書は、全国の万葉故地をくまなく訪れた著者ならではの語りかけで、風土のなかに生まれ、息づいた歌ごころを、もっとも古くて、もっとも新鮮な生のいぶきとして伝える。

最初に『万葉集』の本を紐解いたのは、中西進『古代史で楽しむ万葉集』で万葉集というより古代史からの興味だった。

万葉集が叙事詩として日本の歴史を語っている。詩としての興味を持つに至り、日本文学全集(池澤夏樹=個人編集)の『口訳 万葉集 折口信夫』から入ったので、歌の意味とかは我流解釈だっであったと思うのだが、折口信夫の方針は、歌はまずリズムであるという公的な祝詞から始まる?歌謡だった。

そして解釈として詳しく分析したのが『私の万葉集 一(全5巻) 』大岡信で、これで詩人ならではの現代的な解釈を理解した。

万葉の愛

この本は『万葉集』入門であると思うのだが、大学の先生らしく、女子大生が興味を持つように恋の話からしている。それによると、万葉人は「恋」とか「愛」(当時はこんな言葉なかっただろうが)とかの観念的な言葉を使わずに日常的な言葉でそれを匂わす。

例えば衣服の紐を結ぶというのは、夫が旅立つときに魂を込めるとか。面白いのは下着を交換してものに宿るそれぞれの魂を身代わりとして持つという。それで紐を結ぶ時には、それを込めるというわけで、人麻呂の有名な和歌を解説する。

淡路の野島の崎の浜風に妹が結びし紐吹きかへす 柿本人麻呂

そして、夫が会社に行くときにネクタイを直してあげる話を付け加えて情操教育もありがたい話になってくる。この本では、全体的に夫婦愛の和歌を取り上げることが多い。抒情詩的な歌の例題が多い(日本人の心というような)。そうした面に反発を感じたのが、『「万葉集」を旅しよう』大庭みな子なのか、この著者の名前を出してあえて違うものにしようという意気込みがあったのだと思う。

『万葉集』が情操教育として取り入れられた歴史のようなものは、戦時に「防人の歌」の初めの歌は天皇の軍隊を詠む歌だった。

今日よりはかへりみなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出立つ吾は  (巻20-4373)

その和歌が太平洋戦争で軍部のプロパガンダとして喧伝されたのだが、戦時に伏せられた「防人の歌」があり、それは妻を想うものだった。それは同じ作者(調べたらちょっと違うようだった)によるものだという。

筑波領のさ百合の花の夜床にも愛しけ(かなしけ)妹そ昼も愛しけ (巻20-4369)

犬養孝先生は、意識的にか無意識なのか夫婦の絆の強さの愛の歌を選んでいるようにも思える(不倫の歌がない)。もっとも妻通い婚だったので、あっちこっちの妻がいても当然だったわけだが。先の柿本人麻呂の歌も何番目かの妻だった。

万葉の旅

万葉集の旅が我々が思っている旅行とは大きく違って自由にあっちこっち行けるのは天皇ぐらいでそれは行幸という一つの天皇の役目でもあったのだが、他の人は任務であっちこっち移動したのである。だから我々が万葉集の土地の歌を知るには彼らが歩いていく苦労と新しい土地との出会い、そして離れ離れになる故郷の想いなどを読む必要がある。

川上のつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は (巻1-0056)

そして、土地の感動は繰り返されて歌枕となっていく。それは個人としての歌が人々に共有されていくからだ。

巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ思(しの)はな巨勢の春野を (巻1・0054)

紀伊の旅の辿りながら壬申の乱の思い出の地への行幸巡りの歌では異郷に来た感動を詠っている。

あさもよし紀人羨しも亦打山行き来と見らむ紀人羨しも 調首淡海(つぎのおびとあふみ)巻1-0055

紀の国の峠まつち山は大和とを隔てる山越えの歌が八首歌われている。まつち又打は砧で洗い物を打つ作業で妻恋の歌。もとつ人(本妻)はにはかなわないという歌。まつち山はもとつ人の掛詞になっている。

橡(つるばみ)の衣(きぬ)解き洗ひ又打山(まつちやま)もとつ人にはなほ如(し)かずけり (巻12-3009)

峠を超えて、紀ノ川に沿って歩くと妹山、背山が見ながら歩く。

吾妹子(わぎもこ)にわが恋ひ行けば羨しくも並び居るかも妹と背の山 (巻7-1210)

そしてやっと和歌浦に着いて次のように歌う。大和には海がなく、海を見た時の感動を歌に詠み込む。

玉津島見れども飽かずいかにして包み持ち行かむ見ぬ人のため (巻7-1222)

万葉の四季

春。和歌では花は桜なのだが、万葉の時代は梅が外来種として人気があった。梅花の宴での筑紫歌壇の代表する二人の梅の歌。

わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れくるかも 大伴旅人(巻5-0822)

春されば まづ咲く宿の梅の花ひとり見つつや 春日(はるひ)暮らさむ 山上憶良(巻5-0812)

夏。異郷できくセミの声のニ首は、遺新羅使人(けんしらぎし)の歌。新羅へ派遣された人の故郷を想う歌。

石走る滝もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ (巻15-3617)

恋繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島蔭に廬(いほ)りするかも (巻15-3620)

秋。秋の風吹く二人の歌人の(天皇を待つ)歌。

君待つと我が恋ひ居ればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く 額田王(巻4-0488)

風をだに恋ふるは羨もし風をだに来むとし待たば何か嘆かむ 鏡王女(巻4-0489)

月。万葉では月の歌が160首もある。月を見て亡き妻を想う人麻呂の歌。

去年(こぞ)見てし秋の月夜(つくよ)は照らせども相見し妹はいや年さかる 柿本人麻呂(巻2-0211)

冬、夫婦で雪自慢歌合戦。天武天皇と藤原夫人(藤原鎌足の娘、五百重娘(いおえのいらつめ)との相聞歌。

わが里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後(のち) 天武天皇(巻2-0103)

(返歌)わが岡のおかみに言ひて降らしめし雪のくだけしそこに散りけむ 藤原夫人( 巻2-0104)

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