長き夜自動筆記で夜が明ける
昨日は雨模様だったので引きこもり。レッスン・コンプリートと称して現代詩・短歌・俳句のレッスンが出来た時に使う。暇じゃないとこんなことは出来ないのが。一番時間がかかるのが短歌だった。俳句はその場で思いつくし、現代詩は詩をなぞっていくのでやる気があればいくらでもできるのだが、短歌を悩んでしまうのは何故なんだろう。
昨日は文語文法の本に手を出してしまい見事に挫折した。国語辞書の巻末に活用表があるとかいてあったのだが、国語辞書が見つからず「古語辞典」はあったのだが、巻末に活用表など出てなかった。その代わりに季語とか暦が出ていた。あまり辞書も読まないし調べないからな。驚いたことにその辞書の中から商品券が出てきたのだ。一万円分。会社の退職祝いだったのだが無くしたとばかり思っていた。無期限だから使える。ラッキーとだった。たまには辞書も調べてみるもんである。国語辞書はどっかにあると思うのだが。
さらに「角川 短歌」のシュルレアリスム特集の記事を書こうと思ったのだが短歌のシュルレアリスムはシュルレアリスムの絵からの写生で、それをシュルレアリスムと言えるのか?と思った。短歌は俳句よりも長いので難しいと思う。俳句にはシュルレアリスムの実験をした阿部完市がいた。実際には薬物(LSD)を用いての無意識俳句の実験だったという。精神分析医だから出来たのかもしれない。ただ俳句は季語が与えられてその季語にそって二物衝動を作るのはシュルレアリスムに近いのかもしれない。なかなかそんなふうには出来ないけど。そうだ、シュルレアリスム100周年とか書いてあった。ブルドンの『シュルレアリスム宣言』でも読もうか?新訳になった岩波文庫が積読になっていた。いつの話だ。改訂版は『ナジャ』だった。『ナジャ』は白水社で読んだのだ。
でもなかなか正しく「シュルレアリスム」って言えないのでシュルシュルと呼んでいたんだ。俳句の場合は自動筆記かな?今日の一句。
自由律だな。
定型。定型も得意になってきたな。短歌は難しいよ。最近、ネット短歌で3つは作るようにしているがなかなか出てこない。
そんなことで読書もあまりしてなかった。岡井隆『私の戦後短歌史』を読み終えたので、同時に借りた松下竜一『狼煙を見よ:東アジア反日武装戦線“狼"部隊』というテロリストのノンフィクションを読んでいた。頭の切り替えが大変だが、岡井隆の保守性はファザコンだと思うのだが、大道寺将司の革新性はマザコンかもしれないと思った。生みの母は知らないんだよな。
そしてアイヌ居住地で育ってアイヌに関心を持つ。アメリカ・インディアンのイレーヌ・アイアンクラウドに憧れる学生だったとか。
こんなもんか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?