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和歌は源氏物語から学べ

『源氏物語 26 常夏』(翻訳)与謝野晶子(Kindle版)

平安時代中期に紫式部によって創作された最古の長編小説を、与謝野晶子が生き生きと大胆に現代語に訳した決定版。全54帖の第26帖「常夏」。玉鬘の代わりに見つけた隠し子を引き取った内大臣について、夕霧と雲居の雁を引き離したことを根に持つ源氏は嫌みな発言をした。和琴を嗜む玉鬘は、内大臣が名手だと教えられ益々実父に逢いたいが、源氏と仲が悪くては無理だと嘆く。源氏が自分を批判していると聞き、あちらだって近頃娘を引き取ったらしいが、立派な血統ではないだろうと、我が子と知らない内大臣は玉鬘をけなすのだった。

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『源氏物語』を和歌の手本にせよと言ったのは、藤原定家だが小説として手本にしているのが、塚本邦雄『菊帝悲歌』にも『源氏物語』の贅沢さを真似る後鳥羽院の様子が描かれていた。「常夏」の暑さの中で氷や冷や飯(氷水ご飯)を食べるのである。そして川魚をその場で調理させて若い殿上人(内大臣の息子たち〉にふるまうのである。その飲み会は、「雨夜のしなさだめ」の「帚木」を繰り返しているのである。

和歌の相聞歌というのも本歌取りのようなところがあり、塚本邦雄『菊帝悲歌』に定家の「古歌の心を探って言葉を学ぶ」という言葉が出てくる。後鳥羽院は鼻で笑うのだが。You Tubeの解説でも後鳥羽院のエピソードが出てきた。

この帖でも和琴を名人から学ぶが良いと玉鬘に指南しながら和琴を奏でる光源氏に玉鬘が惹かれていく様子が描かれている。ただ光源氏のよこしまな心は玉鬘を兵部卿(蛍宮)や右大将(髭黒)に結婚させて囲っていようかと思うのである。その玉鬘に琴の指南しながら、和歌を贈るのである。

(光源氏)
撫子のとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人や尋ねむ
(玉鬘返し)
山がつ垣ほに生ひし撫子のもの根ざしをたれか尋ねむ

その内大臣家で引き取られた娘というのが夢のお告げで探していた娘であったが見当違いの不細工な娘が近江の君であり、玉鬘と対比させているのである。内大臣(頭の中将)の娘たちは、薄着で昼寝をしていたり(雲居雁)、双六遊びで去声をあげたりして(近江の君)、品がないのである。そして、その父君に向かって育ちが悪いから便所掃除でもさせて居させてくれと頼み込むのだ。そして、弘徽殿女御(右大臣の娘)と和歌の交換するのだけれどもてんでなってないのである(便所係の童に伝達を頼んだりして)。滑稽譚になっているのだが、紫式部はこういう話が好きだったのか?


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