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猫の手も借りたいぐらいの猫の日にゃ

引きこもり日は猫写真にしてから一日置きぐらいに引きこもっているのか?まあ、わかりやすくていいけど。なんか無気力になってしまう。昨日も雨だったので、どうも気落ちしてしまうのだった。慈雨にはならない毎日だった。

図書館に行かなかったのも『窯変 源氏物語』を読んでしまおうと思ったから。なかなか読書も進まない。その前に小浜逸郎『日本語は哲学する言語である』を読んでいたがさっぱりわからんな。西欧論理学(哲学)では理解できない心=関係性について、日本語から哲学しようとする本なのだが、論理学を否定しているからなのか、何が言いたいのかさっぱりわからない。そもそも論理学がだめだと言っているのを日本語で説明しても駄目なんじゃないのかと思うのだ。哲学というのが西欧論理学の哲学であるわけなんだから、結局膠着論理というべきものになっていく。

その飛躍のために西欧キリスト教社会では神が必要となり、日本では自然=他者ということなのだが。西欧の哲学が孤独のなかで独り善がりであるという論理なのだが、その説明がよくわからないのは論理学にあまりにも慣れ親しんだせいだろうか?要は直感みたいな、禅問答をやっているような感じなんだ。これ以上読めないような気がする。西欧哲学もそれほどやりたいとはおもわないけど。文学をやりたいのだった。

シン・短歌レッスンが長くなった。これもやるべきことをもう少し整理しなければと思うのは、いまだに『短歌研究』の3月号を読んでいるからだ。もう4月号に入ってなければならないのに。今日中に読んでしまう。全部読まなくてもいいんだよな。お笑いとのコラボはパスしよう。

映画もドラマ『バッド・キッズ』の第6回で止まってしまった。録画番組をいろいろ見たがあまり心に残るのはなかったかな。そうだ100de名著がフロイトだったんだ。これをすぐにやろう。

今日の一句。

猫の手も借りたいぐらいの猫の日にゃ

おちゃらけ俳句しか出来なくなっているな。これは川柳か?

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