明治の「通俗道徳」というわなは、現在の「自己責任論」となった
『生きづらい明治社会――不安と競争の時代 』松沢裕作(岩波ジュニア新書)
日本が近代化に向けて大きな一歩を踏み出した明治時代は、実はとても厳しい社会でした。社会が大きく変化する中、人々は必死に働き、頑張りました。厳しい競争のなかで結果を出せず敗れた人々…、そんな人々にとって明治とはどんな社会だったのでしょうか? 不安と競争をキーワードに明治社会を読み解きます。
最近になってSNSなどで繰り広げられる「自己責任論」は、まだ近代化まもない明治の維新政府の中で国家予算もなく、それまでの幕藩体制による村落共同体から国民という国家概念によって「通俗道徳」という思想が出てきた。それは、個人の貧しさは努力が足りないとする「自己責任論」の大本であった。金がない明治政府は窮民救助法案を通すことが出来ずに、不景気(松方デフレ)の責任を国民に負わせたのだ。それは当時の選挙制度が税金を収めた男子に限られていたので、貧困層は切り捨てられていく。
「通俗道徳」の考えは「立身出世」と結びつき、誰もが努力すれば差別なく上を目指せるというものだったが、貧困者の生活環境の違い、また富裕層が受けた高い教育による格差社会は現在と共通するものである。さらに窮民法がなく、当時の成年男子の騒乱が各地で起きていた。それは一部は右翼勢力を生み出す下地になっていった。
例えば格差社会が広がりと差別感情も生み出す。貧しさの中にも階層を生み出しより貧困者を目の敵にする。それは現代でもヘイトスピーチを生み出す元になっている。富裕層は「通俗道徳」という国家の詭弁を煽り、それが他国侵略や民族差別を生み出していく。より低き者を蔑む感情が生まれ国民を分断していく。
「通俗道徳」というわなは、国家第一主義となり権力者の帝国主義と結びつき、軍備増強によってますます戦争に近づいていく。そのために絶えず国家予算は緊迫されて貧困層の救済はなされないのだ。
敗戦によって、日本国憲法25条の窮民救助法案が出来て、初めて文化的に最低限の生活を保証する法律が出来たのである。社会保障や国民保険制度も生まれて誰もが豊かな生活を享受できるようになったのである。
ただこれは高度成長期時代によって、国民の生活水準が上がっていくことが出来た時代でもあった。低成長率の中で、一番に犠牲を強いられるのは持たざる者や家父長制から外れていく女性だった。日本のジェンダーギャップは年々低下しており、それによるデモも頻繁に起きるが「通俗道徳」ということが言われると差別に無関心になり、「自己責任論」が蔓延していく。それは権力者の思うつぼ。