シン・短歌レッス61
今日の一句
ユリだと思ったけどオレンジリリーだ。俺んちのリリーか?とオヤジギャクをかましたくなる。百合でいいじゃないか。世の中は細分化になっているのだろうか?ただ百合というと白い花をイメージするのは藤圭子のせいである。
この歌は小学生の頃だったがよく歌っていたな。当時はこんな歌しかなかったような。学生運動が挫折した時代だからか。以下のサイトの説明が詳しいです。
オレンジの百合は華麗。カレーか?今日はカレーだから百合の花と合うだろうか?
「うたの日」
今日(5/27)の本歌。
一度書いたものを削除してしまった。めげるんだよな。気を取り直して、「みなの川」は「男女川」と書く。恋の和歌としているのだった。「うたの日」お題「動」
堕胎みたいな歌になってしまった。「海」は「生み」との掛詞。
まあ、これも一緒だけど「海」は「うみ」だから「生み」に繋がる。
♪3つ。なんとも言えない。まあ、自分でもそれほどいいとは思わないが。
在原業平の和歌
川を読んでいるのは恋の涙というパターンか?山は出会い?
これも本歌があるようだ。藤原敏行の歌でそれに和した歌か。
この歌の励ましの歌のようだ。この時業平は年齢を重ねた者として若者をはげます上で女の気持ちで詠んだということだ。女に成り代わってという、なんと複雑な歌なのだろうか。『伊勢物語』では女が年若く、女の代わりに書いたということだ。女が男の誘いを最初に男を立てながら断るテクニックだという。その先例として、真静法師が小野小町に和歌を送りそれを断った歌があるという。
小野小町の歌はきっぱり断っているな。全然違うじゃないか?「塞(せ)きあへずたきつ瀬なれば」がせめてたぎつ瀬(激流)になって流れる涙おっしゃるならば、と小野小町が逆に誘っている歌だという。わからん。
『平成歌合 新古今和歌集百番』
上野正比古『平成歌合 新古今和歌集百番』。「新古今の歌人の歌と上野正比古が「歌合」をやるという趣向。最近の興味が『新古今』かなと思い、この本を借りてきた。この趣向は面白いと思う。
左は定家の代表歌だから間違いようがない。『源氏物語』を読み終えてふと顔を上げると雲が横切っていくというような意味か?
右は糸遊がわからない。ギリシア神話の「アリアドネの糸」か?
左の勝ち。定家。右もいいのだが「糸遊」が分からなかった。「糸遊」は「遊糸(ゆうし)」という漢語で陽炎のことらしい。意味は外れてないな。
これは雨上がりの梅の方が匂いがありそうだ。左は梅の匂いが霞になって曇っているという夜の歌か。でも右はおぼろ月なんだ。左ははっきりした月のように感じられる。月明かりの霞の梅園で見た目はこっちか。これは絵画的だから定家だろう。右の方が好きだが。定家は左で当たり。
桜が散って雪のようだと言っているのだが「はだら」は「まだら」だろうな。リアリティがある。右は風のあとでもないというたくさんの桜が散っている風景か。「まだら」はまだ散らずにいる桜の咲き始めのような気がする。左の勝ちで定家のような気がする。左が正比古だった。芸が細かい。右が定家だと思い出した。定家だと分かったの5首だった。まったく駄目だな。
これは左は定家の有名な歌だった。定家は桜より紅葉の方が好きなんだよな。右は紅葉も終わったが秋の夕暮れが鈍びたる色の風景と読んでいるのか?正比古は上手いと思うが素直に夕日の美しさを詠んだ定家の勝ち。定家の歌は紅葉もなかりけりだった。浦の苫屋の寂れた秋の夕暮れをよんでいるのだった。正比古の歌は紅葉は散ってしまったのではなくまだ残っているという歌。夜になり「鈍びたる色(喪の色)」は秋の紅葉も闇に沈むという歌だった。正比古はあのどれんな。
右は定家の歌だと記憶にある。浜千鳥に問うているのか?左は浜千鳥の跡(足跡)が君が去っていたという情景と重なっているんだよな。こっちの方が上手い気がする。ただかなしきと言ってしまっているからな。月影は定家得意の月明かりなんだよな。
宇津が掛詞になって打つの意味。そして左は砧を打つ恋人を思う。右はうつらうつらと妹(恋人)の幻影を見る歌か。左が定家で、右は正比古だと思うが右の歌の方がいいな。右の勝ち。
左が定家だと思うが根拠は空がすきだからか。右は煙が吾の後を追うので、定家はそんな歌は読まないのじゃないかな。左の勝ち。当たり。
夕暮れも定家が好きそうなんだが月のいでぬ闇なんて定家そのもののように思える。右が定家で勝ち。違った左が定家だった。正比古ギミックが上手い。
左は後朝の朝だけど朝露の儚さを詠んでいて定家だと思うのだ。右は有明の月だから風流すぎるような。左定家で勝ち。
これも逆だった。正比古はひっかけ問題みたいな。左だと『伊勢物語』を連想するよな。でも右の歌はやった覚えがあった。女視点の歌で部屋から有明の月を見ている。相手の男も有明の月を見ているのだ。右の方がより辛いな。和合もなかったのだから。
これもやった覚えがあるような。松山は待つを掛けているのだ掛詞好き定家かなと思うのだが左の方が波に残る月影が絵的な感じがする。右は涙の袖と感情を出している。よって左定家で勝ち。定家と正比古の勝負5勝5敗の五分だった。定家の歌だとわかったのも半分だから、まだ定家の歌の理解が足りないかも。定家は絵画的、掛詞、月が好き。月に名句が多い。
NHK短歌
日曜が早いな。今週は岡野大輔さん。初めて知る歌人だった。まずは傾向から。
今現在の歌人だった。ポップ路線か?一番苦手な感じかもしれない。
吉川宏志さん「ゆらゆら」、岡野大嗣さん「見上げる」(6/5)
「ゆらゆら」からこれはテーマでゆらゆらしているもの(こと)かな。
すぐに浮かばないので百人一首の本歌取り。
春の野のゆらゆらした感じ。『らんまん』から短歌出来ないか?
ハッピーエンドはないな。
もう一首も白詰草にした。『らんまん』の影響か?
尾崎放哉の自由律
『尾崎放哉句集』(春陽堂放哉文庫)から。
小浜常高寺時代の俳句。
須磨寺から小浜常高寺(鳥取だから近くか?)へ移る。そこでも寺男として働くが草むしりに嫌気がさしているようだ。
放哉は「居る」というコトバが多いのはやはり定住志向なのか?
放哉がいた頃は寺も荒れていたのだが今は観光地だった。ただ放哉のことは一言も書かれていない模様。
「松の葉」で血豆を潰そうとする放哉の小心さが伺えるような。
「考えごとをしてゐる」と「田にしがあるいて居る」の違いはタニシはそこに住んでいるが自分はまだ定まらない(移動を考えている)ということなのか?
風の中を出ていく決心が付いたのか?
児は自分の子かな?荻原井泉水のところに転がりこんでいるから井泉水の子供だろう。迷惑千万ない人だ。
でも次の句でその赤ん坊さえ居場所があるというのだ。この句は泣ける。
NHK俳句
第四週は句会形式で面白い。「夏の風」であえて日常性を出したというのは勉強になった。難解語を使うのではなく。それは上句中句で高尚なことを読んでいるのでということだった。
村上鞆彦さん「香水」、高野ムツオさん「噴水」この2つは出したような気がするが俳句は覚えていなかった。俳句は最近駄目なんだよな。自由律にハマっていて、俳句だとかったるい。「香水」なんて嫌味な句しか出来ないよな。香水を田舎の香水とかにすればいいのかもしれない。海の香水、山の香水、病院の香水(アルコールの匂い)、こんなところか?
「噴水」は先週出した。
文芸選評短歌「噛む」。投稿。
映画短歌
映画。『クリード 過去の逆襲』。『ロッキー』の本歌取りのような映画だけど。
『百人一首』
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