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東京に徒花を咲かせよ神無月

『東京詩集3(1945~1986)』 (編集)正津勉 (解説)吉本隆明(都市詩集)

都市・東京

吉本隆明の解説は、よくわからないところがある。喩えをビルでしているのだが。もともと建築物を持たないものは、どうすればいいのだろう。それで逃げる田舎もないとしたら。野垂れ死ねしろということなのか?

戦後詩になって荒地の面々の詩が飾る。鮎川信夫『白痴』は、戦時からの自由を謳歌する様子が描かれる。「ジャズ」とか「裏町を好みます」とか「ショーウィンドウ」とか。しかし、明らかに個の嗜好性があり「喫茶店でコーヒーを飲み」、サラリーマンになるのを拒むモラトリアムな若者の姿があり貧しくても自由さを満喫する姿がそこにある。

田村隆一『秋』は散文詩。現在も退かないで詩を書いている(これが書かれたいた時期。今はどうなんだろう?)。人気の詩人(恋愛詩が得意)で、WOWOWオリジナル・ドラマ原作ねじめ正一『荒地の恋』で浮気される詩人。酒好きの女好きの悪いイメージだった。松重豊が演じている。

黒田喜夫『暗い日曜日』は反戦主義者のイデオロギー詩人か?プロレタリア詩の延長みたいな詩だった。この時期の詩はみんな長いので引用するのが憚れる。

谷川俊太郎『東京抒情』。吉本評によると東京のお坊ちゃん。だから自由に詩が書けるのだし、今も現役詩人。わかりやすい幸福詩人。

大岡信『地名論』は文学に造詣が深い詩人ならではの詩だ。『失われた時をもとめて』のヴェネチア。光の土地の名という脚注の解説だが、水の都でもあるんだよな。それが御茶ノ水から流れて、ヴェネチア経由で瀬田の唐橋まで繋がる象徴詩。瀬田は東京にもあるが、滋賀県大津市の唐橋のようだ。大津といえば天武天皇の遷都だった。それが東京の裏にある。いや、東京はいつも曇だから逆転しているのだ。

白石かずこは大岡信は間逆な身体的なジャズ(即興)詩人。8ページの大作『My Tokyo』。ジャズ喫茶「きーよ」は中上健次の小説『灰色のコカ・コーラ』にも出てきたと思った。新宿(フーテン)文化。

天澤退二郎『ソドム』は白石かずこの逆を行く(冒頭「この町角の割れめのサックスはにせものだ」)安保闘争の詩だった。この時代は過激で面白い。

清水昶(あきら)はその後の世代。編集の正津勉と詩誌「首」を創刊。「1966首都」は喧騒の新宿の挽歌のようだ。1969年にはカルメン・マキの「時には母のない子ように」がひっきりなしに流れていたという。歌っていた記憶があるな。

それまで女性詩人は出てこなかったのだが、ここでやっと井坂洋子「生体」が登場。彼女は現代詩の女性詩人のパイオニアだよな。

生体  井坂洋子

至近距離で
顔を見
見るだけで声にはならず
気持ちがつたわったような気になって
別れた
(あなたは怒ると笑うような表情になる)
あまり近くで見詰めていたので
視界の修整がきかない
駅の階段を
背中だけの人が大量に降りていく
みんな上手に低くなって
地下鉄に乗り込み
先をきそって
目を閉じる
轟音が怒りを敷いていくようで
疲れたからだが鳴っている
車窓いは首のない生体が揺れている
(一度でも思いだしておかなければ
二度と思い出せないことばかりだ)
駅名を告げられる前に
獣のように膨張した頭をゆり起こす
それから
弾力を求めて
人の波にぶつかっていく

それまでの戦後派は長詩ばかりで引用する気になれなかったのだが、井坂洋子は余白も多く引用しやすい。それは谷川俊太郎もそうなのだがマイ・ペースの、大げさな言葉に疲れてしまった世代が癒やされる詩になったのだと思う。小説のほうでは村上春樹が出てくる頃か?

井坂洋子の祖父が時代劇作家の山手樹一郎だった。東京育ちの東京のお嬢さんなのは、谷川俊太郎と似ているのかもしれない。

時空・東京

解説の吉本隆明と正津勉の齟齬があるのは、80年代に吉本隆明は詩人を下りていて批評家になっているのだ。だからそれまでの『東京詩集』でノスタルジー的に詩人から話を聞くというスタイルでは、吉本と正津の乖離が激しい。

ただなんとか吉本の下町時代と恋愛時代の話は聞き出すのだが、吉本としては、そういうノスタルジーの時代は終わって、むしろ批評家として東京都市論を考えた場合に、言葉(詩)でもってつながっていた時代(「荒地」時代)は終わってノスタルジーになっている。

そういうのは「共同幻想」で、日本の敗戦と共に終わってしまった。日本はアメリカ社会の高度資本主義に飲み込まれいく。それが吉本隆明の「ハイ・イメージ論」としての東京都市論だった。だから個人の生活はそれぞれあるがシステムとして高度資本主義には逆らえない。自然が減っていこうがそれを作り出せばいいわけで、イメージとして幻想を抱きながら東京に生き続けているのが我々なのだとする。

2章までの解説はしたけど3章、4章はもう吉本の解説はなく、いきなり詩から始まるのは齟齬に気づいたからなんだろうか?そして、詩はフォークやニューミュージックになっていくのだ。そこにでてきたのがおニャン子の曲や晩年の美空ひばりの作詞した秋元康だった(そこまでは書いてないが)。そうやって踊らされ続け、今そのことに気付きつつあるのはないか?

高度資本主義の欲望だけ満たせばいいという時代から新たな共棲を求める時代に。ひろゆきのバッシングがそれを象徴しているような気がする。ひろゆきは高度資本主義の申し子のような存在で、吉本のいう「ハイ・イメージ論」を上手く操ることが出来たのではないか?

詩の興味から言えばそういう韻文の詩というのは、難解になって小さなコミュニティの場に追いやられていく。そして、韻文から散文へという流れが、ねじめ正一の詩にあるような気がする。『これからのねじめ民芸店のヒント』はある個人商店の生き残り戦略を語った散文詩で、それまでの詩の明らかな違いは喜劇性を取り入れたこと。自虐的なのかもしれないが生き残り戦略としての商品化という散文詩。

その延長にあるのが通俗小説としての『荒地の恋』で、彼は詩人としてデビューしたが今は直木賞作家でした。

『荒地の恋』は売れっ子詩人の田村隆一の4人目の妻(当時もてもて詩人の時代もあったのだ)と不倫する北村太郎(『東京詩集Ⅱの解説の詩人)の彷徨いを描いている。実際にあった「荒地」メンバーの出会いと解体が描かれている。第三話ではその象徴ともいうべき、「荒地」創設メンバーであるアル中詩人の死が描かれる。

それが中桐雅夫の『1945年秋Ⅱ』ですでに、投身自殺がほのめかされている。彼がアル中だったのは、「静かな自殺」とメンバーが言ったのだが、田村隆一もアル中だからそれを認めない。生きるために酒が必要なのだと献杯する荒地メンバー。それが80年代の初めですね。

韻文詩はフォークやニュー・ミュージックに吸収されていく。彼らがスターになっていく時代。岡林信康からユーミンへと。そして、秋元康のプロデュースされるAKBたちに踊らされる時代になっていく。

岡林信康『山谷ブルース』

ユーミン『中央フリーウェイ』

そういう時代に反するものとしてラップ・ミュージックが出てくる。ただヨコノリとタテノリの違いかもしれない。それと音楽と詩の境界が曖昧になってくる。詩の力を取り戻そうとしているのかもしれない。

ただ私としてはラップは詩の最後の徒花かと。




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