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泡風呂に沈む鐘の音(ね)蓮の花

昨日遅くまで映画を観て帰ってからも録画とか観ていたので、今日は遅い目覚めだった。足が攣るので風呂に入った。洗濯するにも風呂の残り湯を使いたかったら。蓮だった。今日の一句。

泡風呂に
沈みゆく鐘
蓮の花  宿仮

鐘は煩悩の音(ね)。泥の中に咲く蓮の花を泡風呂に咲かせてみせた。蓮も泡の中できえてしまったかも。また多行俳句に戻したのは高柳重信の俳句を忘れないためである。まあ多行にしても、韻律は五七五に繋がれてしまう奴隷状態の俳句なのだが。多行俳句は韻律を理解するにはいいかもしれない。三行の五七五だといかにも平凡な形だった。

泡風呂に
  沈みゆく鐘

蓮の花  宿仮

行下げというテクニックがあるのだ。そこに強い感情を入れることで、表現するのだが、すでに短歌で啄木とか使っていた。短歌のテクニック本もいろいろ読んでいるのだが。それと一行空白のテクニック。わりとテクニシャンの泡風呂。

泡風呂に
   沈む鐘の音(ね)
泡を吐く吾は
浮上する吾の
ああ、蓮の花  宿仮

ゲームみたいな感じになってしまった。

図書館本の期限が過ぎていたので、林桂『船長の行方』を読んだ。「シン・俳句レッスン」のテキスト本だった。
短歌の方も『短歌と日本人 3』は延長したがこれも先に読まなければ。
『窯変 源氏物語8』は「梅枝」・「藤裏葉」まで読んだ。今日読み終わる予定。『源氏物語』は順調か?

図書館で松本清張『日本の黒い霧 上』は予約して借りたのだが、読みにくい。小説ではないから、相変わらず松本清張の警察資料と独自調査によってその裏側にある陰謀を明らかにしようという本である。まあ、陰謀史観という本の走りなのだが、松本清張は読み物としても面白いのは、その論理に納得してしまうから。占領下のGHQが隠蔽したいことは当時あっただろうな、ということで、それが日本の政治に与えた影響とか。

ただそれだけではなく、その手法が後の松本清張のミステリーに生かされているということだった。例えば「下山国鉄総裁謀殺論」はその後の列車ミステリーに大きな影響を与えた。だから松本清張文学の一部ということなのかもしれない。

ミステリーという手法の批評か。昨日借りた『宮沢賢治の真実』もそのたぐいの本。「真実」とあるのは「事実」よりも著者の推理によるところだから、全部が事実として読みのは片手落ちになるのだと思う。ただそういう本を読み比べていくと見えてくるものがあるのかもしれない。宮沢賢治は詩の解釈として読んでいる部分がある。

映画はダニエル・シュミットの2本立て。爆睡していた。まあ、夢映画だから。


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