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ポストコロニアル文学としての「源氏物語」

『窯変 源氏物語〈13〉 寄生 東屋 浮舟 1』 橋本治 (中公文庫)

僕には古典をわかり易くという発想はない。原典が要求するものしか書かない。古典に対する変な扱いを取り除きたい、それだけのこと。(寄生/東屋/浮舟 1)


寄生

一章が長くなっているように感じる。光源氏から紫式部の文体になって、回りくどくなったことは書いたが、ここも入れ子構造で、大君が中君を人形として薫に差し出したように中君が浮舟を人形として薫に差し出す形となっていく。

それは薫の大君の想いが死によって挫折したことでその欲望は中君に向けられるのであった。それでも薫の欲望は大君にあり、中君は薫をうざいと思うのだ。それは妊娠している人妻なのに大君に似ているからと言い寄ってくる男で、こいつヤバいなと感じている。中君と薫の場面は喜劇的な対話劇のようで面白い。薫が送ってくるしつこい和歌を書きつけた手紙とか、一応礼儀として返事を出さねばならないのだが、こうも自分の世界の欲望だけを書き続ける男なのだからいい加減にしてくれというのは中君の本音なのだ。そこで薫の気持ちを八宮が外に作った浮舟の方へ向ける。浮舟は最初から欲望の対象でしかない人形(ひとがた)と言っているだった。

東屋

浮舟の母親である北の方は、八宮の愛人だった。その後に認知もされず八宮は亡くなってしまったので、浮舟の身の振り方を考えると不幸しか見えないというので、中君を頼っていく。そして薫の人形という話で進んでいく。受領階級と貴族(殿上人)の落差が語られていて、まさに北の方の話はコロニアル(植民地)文学というような話でポスト・コロニアルしているのであった。

北の方は金持ちの受領階級と再婚する。陸奥守(のちに常陸介)で東国の田舎者と思っている。浮舟の他に受領との間に娘も産んだのだが、常陸介との間の娘を良縁だというので左近の少将と結婚させるのだ。その時に浮舟のために用意していた婚礼の品々(先に浮舟が婚約していたのだが急遽話が変わる)を常陸介の娘に譲らなければならないと言われるのだ。常陸介は自分の娘を嫁入りさせることによって、左近の少将と関係築き位も上がる。そのことで悔しい思いを北の方が中君に愚痴るのだが、浮舟の哀れさよりも北の方自身の女の哀れさという話になっていく。

北の方も結婚で女の幸せが決まるのだと思い、中君を羨ましがるのだった。しかし中君は二番目の妻なのでいつ用無しにされるか気を揉んでいる。そんな縁で北の方は、左近の少将を殿上人の中で見ると大した男ではないと思うのだが、娘を嫁がせながら浮舟だけの身の上を心配しながらも(浮舟には八宮という高貴な血が流れている)受領の夫であるものの卑しさと階級意識は問題があると思った。北の方も宮の血を引く娘と受領である娘を差別するからであった。受領の娘は所詮受領の娘であり(浮舟も北の方が主張しても信じられない限り受領の娘だった)、浮舟が薫と関係を持とうがその階級差を埋めることが出来ない。それは浮舟を日陰の女として、自身の二の舞いを踏ませることになるので、賛成しかねるのだった。そこに匂宮が浮舟の東屋を嗅ぎつけてちょっかいを出すのだ。結局この巻は受領階級の北の方の階級意識の愚痴話だけであった。

浮舟 1

ここでやっと薫が登場してきて、お膳立てどおりに浮舟と結ばれる。しかし匂宮も浮舟を嗅ぎつけており、中君に問いただすも素直に答えないが、うすうす感づいてしまう。薫は宇治に浮舟を匿うのだが、その宇治から中君を御輿に担いではるばる都にやってきたことを語る。それは中君も匂宮への捧げ物としてであったのだ。匂宮にしてみれば家来の薫が今回のことを秘密にしていることが許せないのだが、それだけ恋心は燃えていく。

薫の前に匂宮が嗅ぎつけるとは展開が面白くなってきてはいるのだが、薫のメンタル部分のダメさをまざまざと知る。東屋は離れなのだが、その建物が東北の田舎風だと薫が感想を漏らし、貢物としての館なのだと知る。受領制が天皇制の基礎にあることを知るポストコロニアル文学として浮舟はヒロインに成り得るのか?

人形=貢物としての女の身体という領土という男尊女卑社会はコロニアル(植民地化)なのだろう。その存在としての受領制(荘園制)という階級の哀れさを大いに語ることになるのだ。ただ下を向いて従うしかない浮舟。しょせん大君の人形の田舎娘がと思う薫、いい女の匂いを嗅ぎつける匂宮、その間に挟まれて右往左往する中君の心持ちが、薫には邪険に当たり匂宮には媚るように感じてしまう。中君の諦念という気持ちと対比させられる浮舟になるのか?


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