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老獪な源典侍(女官)の閨(ねや)での最終試験

『源氏物語 07 紅葉賀』(翻訳)与謝野晶子( Kindle版)

平安時代中期に紫式部によって創作された最古の長編小説を、与謝野晶子が生き生きと大胆に現代語に訳した決定版。全54帖の第7帖「紅葉賀」。朱雀院の行幸の日に行われる歌舞の試楽が行われ、源氏と頭中将は青海波を舞う。その姿は目もくらむほど美しく、皆の喝采を浴びる。やがて藤壺は男子を出産する。その皇子の顔は源氏に生き写しであった。帝は秘密に気付かずに皇子を寵愛するが、藤壺は罪の重さに煩悶し、源氏は恐ろしさの中にも父性を感じて心を乱すのだった。

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「紅葉賀」は今まで光源氏が関係した女性に名付けられてきたが、ここは違っていた。「賀」とある通り祝賀なのだ。それは朱雀院の50歳の祝賀なのだが同時に光源氏が成人の男として立つまとめ的な巻ではないかと思う。その象徴的舞いが「青海波」であり、けっしてなだらかな波ばかりではなかったが、それを乗り越えてきた。その大きな出来事として不義な子供ながら藤壺の子供を授かって父親になったこと。それは物語として一つの結果であり、それまでの光源氏の恋の試運転は失敗続きであった。

その最終試験が源典侍なのではないか。源典侍は古女房として何もかも知り尽くした女である。これを読む前に映画『千年の恋 ひかる源氏物語』を観たのだが源典侍は、岸田今日子だった。

そのイメージがあまりにも強烈で滑稽味があったが、その中で頭中将との鉢合わせするという修羅場をくぐり抜けるのである(その前の頭中将との「青海波」の優雅な踊りとは対照的な舞台裏)。

それは強かに女官として宮中で生きてきた源典侍が仕組んだ最終試験のように思えてならない。それを見事やり過ごして光源氏の通過儀礼としてのひとつのシーズン、冬の厳しい出立から春の元服を経て様々な夏の経験を通して、秋の実りの日として、一人前の男として卒業するのである。

和歌を見ていこう。面白いのは三角関係のラブコメ和歌として、頭中将と光源氏、そして源典侍の相聞歌としての三角関係和歌が並んでいるのだが最終的には男同士の友情によって昇華されるのだ。これは上野千鶴子が言っていた三角関係によってホモセクシャル(ホモフォビア)の関係が強まるパターンかな。一見頭中将とはライバル関係なのである。しかし、源典侍の性愛は二人を包み込む母性的な性愛であることによって、義兄弟(穴兄弟とも言う、それはホモフォビアの男のセリフなのだが)は家父長制を強化するものである。

(頭中将→光源氏)
つつめる名やもり出でむひきかはしかくほころぶる中の衣に
(光源氏返し)
かくれなきものと知る知る夏衣きたるを薄き心とぞ見る
(源典侍→光源氏)
うらみてもいふかひぞなきたちかさね引きてかへりし波のなごりに
(光源氏返し)
あらだちし波に心は騒がねど寄せけむ磯をいかがうらみぬ
(光源氏→頭中将)
なか絶えばかことやおふとあやふさにはなだの帯はとりたてだに見ず
(頭中将返し)
君にかく引き取らせぬる帯なればかくて絶えぬるなかとかこたむ

頭中将の仲を源典侍が裂いてしまったような形になるのだが帯をしめ直して頭中将と光源氏の関係性はより強固なものとなるのである。なんせふたりには世間には公表出来ない共通の秘事が出来たからなのだ。


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