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言葉が意識より遅れてやってくるというような散文詩の物語

『遠きにありて、ウルは遅れるだろう 』ペ・スア , (翻訳)斎藤 真理子(エクス・リブリス)

「韓国文学史で前例なき異端の作家」による、待望の邦訳!

著者は1965年ソウル生まれの女性作家。イメージに富むと同時に生硬で鉱物的な破格の文体を用い「韓国文学史で前例なき異端の作家」と評価され、今までに多数の短篇集と長篇、エッセイ、詩作品を発表。常に独自のスタンスで揺るぎない地位を占める韓国女性作家のトップランナーである。また、ハン・ガンの英訳者として知られるデボラ・スミスがぺ・スアの作品を高く評価しており、既に3冊を英訳している。これまでの作品は、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、中国語などにも翻訳されている。本書は、今日の韓国作家に多大な影響を与え続ける著者の初の邦訳となる。
物語の舞台は「ソウルを連想させる人口1000万人都市」であるが、はっきりとは書かれていない。午後四時にベッドで目を覚ました「私」は、旅館の一室におり、存在を規定する記憶がすべて消えていることを知る。椅子には黒い服を着た同行者が座って本を読んでいた。同行者も、自分の存在を規定する記憶をすべて失っていることに気づく。広げられた新聞に、ジョナス・メカスの訃報記事があることから、日にちは一月二十三日頃だとわかる。巫女に会い、「ウル」と名付けられた私は、感覚と予感をもとに、様々なものにいざなわれ、自分が何者であるのかを夢幻的に探っていく。〈はじまりの女〉という原初的なイメージが、ときに激烈な感情をともなって変遷しながらウルの前にあらわれる。「それこそが私の存在の唯一の根拠であるという確信」が芽生えて……。
全篇を通して、存在の不安、孤独、愛、性、死などの人間の本質を体感するような謎めいたイメージが横溢し絡み合う。世界と自己をまったく新しく捉え直す文学の挑戦!

ヌーヴォ・ロマンのような小説のための小説というような感じがする。この手の作品は嫌いではない。倉橋由美子『暗い旅』のような二人称小説のような、ウルは語り手の名前なんだけど記憶喪失。二人称的な文体だ。探し求めているのが、何かという興味か?ウルとは何者か?という興味もある。ヴァージニア・ウルフ的でもある。「私」探しの旅であり、それが「ウル」なのだと思う。

ウルはウルフの「ウル」か?なんとなくそんな物語を紡いでいいような気がする。こういう小説は自分の中で物語を組み立てていく自由がある。ウルフ=オオカミは、絶滅した動物であり、自然神でもある。それが巫女が呼び出す物語であっても不思議はない。意識=無意識の話なのだから。もう一つはソウル(都市)のウルということもある。都市の自然神を喪失した物語。

男の名前はパウロ。パウロもキリスト教のパウロの名前だと思えば付き添い男の意味が読めるような気がする。つまりそういう精神性の物語なんだと想像がつく。レイモンド・チャンドラーを読むパウロというイメージ。素敵ではないか?ちょっと村上春樹的でもあるが、そういうミステリー文学だろうか?

巫女の前に出会うのが結婚式を上げるカップルだ。その記憶は彼らのものかもしれない。カップルは想像してくれと言うのだ。自分たちがどう知り合って結婚したかを。そして結婚式に招待しようと言う。

二章はもう現代詩のような文体で理解するのは難解だ。カフカの晩年の短編『断食芸人』の劇をやるような記述がある。男はすでに亡くなっており、動物園のコヨーテ小屋で『断食芸人』のように亡くなったので、それの舞台化しようというのかもしれない。旅するダンスとか声だけの演劇とかイメージでのモノローグ的散文のようで読みづらいのだ。実際にペ・スアは朗読劇としてこの作品を書いたようで、前衛パフォーマンス的な多和田葉子とかも繋がるものがあるかもしれない。

三章はジョナス・メカスの『リトアニアへの旅』のビデオを見て感動して手紙を出したことが語られる。それは「美とは何か?」という唐突の質問だったが、メカスが絵葉書で返事をしてくれて「美は後悔することだ」と書いてあり、それに刺激されて根源を求める旅をしているのだとわかる。

この物語がメカス『リトアニアへの旅の追憶』をイメージしているのが理解出来る。遠きにある「ウル」とはその根源性のことだと思う。その原初の名前を求めてのモノローグ的旅日記のような物語。


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