年末に夏の栞の稲光
『夏の栞―中野重治をおくる』佐多 稲子(講談社文芸文庫)
タイトルは俳句的だけど季語がめちゃくちゃ入っているからただのタイトルなのだ。
中野重治の死去を回想したエッセイ。というよりエッセイ的な私小説。癌による余命宣告の描写は緊張感溢れる描写になっている。そして、中野重治が佐多稲子を小説家に導いてくれたなれそめ、最初は随筆(エッセイ)を書いていていたのだが、それを小説に拡げてみなさいと言ったのが中野重治のアドバイスだった。
佐多稲子の小説家としての生みの親でもある中野重治。その惜別の感情が、中野重治の追悼文というスタイルでありながら作家としての小説を書くことで、戦時戦後と生きながらえてきた彼女の小説家としてのメタフィクション小説と言えば言えるのかもしれない。
過去の回想がエッセイというよりは私小説になっていているのだ。
それは「驢馬」の同人としての若さ溢れる創作青春時代から、戦争の暗い影と共産党入党、その共産党からの転向、さらに戦後の共産党復帰や再度除名などの佐多稲子の個人史を辿りながら、中野重治を中心とした「驢馬」時代の同人としての仲間意識や家族的な関係など視点から中野重治を追想している良書。
特に最初の中野重治が癌になってからの余命宣告とそのわずかな時間の中で繊細なリアリティある描写から中野重治との家族的繋がり、同志というより妹的な関係性。それは中野重治の妹の鈴子にも言及する言葉の中に彼女と共に女性であったことの苦労が思い偲ばれるのだ。
中野重治が亡くなり葬儀委員長に指名されたとき、彼女は女の矜持として男としての役割が出来ないことを述べた。それは彼女の素直な言葉だったと思う。彼女の小説の女性らしさ(差別的な意味ではなく女性の矜持というものか?)溢れる私小説になっているのだ。
特に古い写真から導き出していく語りのスタイル。そういう面影と中野重治の手紙の言葉からの当時の回想。それは中野重治の言葉とは一致するものではないのだが、微妙にすれ違っていく人間関係や男女関係が描かれている。解説で山城むつみが中野重治の中で佐多稲子は一人の小説家であって一人の女ではないと書かれているが、中野重治の視線はそうであったのだろうが、佐多稲子のこの小説では一人の女を感じてしまうのだ。