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作家の妻が悪妻なのは理由があってのことかも

今年初「シネマリン」。そういえばシニア料金が百円上がっていたな。一足先に「ジャック&ベティ」が値上げしていたから揃えたわけだが。

映画。『柳川』を観た。「柳川」という街に行ってみたくなる映画だった。「柳川ブルース」という美川憲一の歌があったな(違った。「柳ヶ瀬ブルース」だった)。

横浜図書館の開館日。いつも以上に混んでいた。横浜市民はそんなに読書好きなのか?一人だと行く場所も限られているからね。お金かからないで読書できるのだもの。
 三冊返却して、一冊だけ借りた。今読んでいる『ヒロインズ』の中に出てくるヘンリージェイムズの名作『デイジー・ミラー』。
 『ヒロインズ』は三分の二ぐらいまで。この本は説明が難しいのだがざっくり言うとフェミニズムの本。モダニズムの詩人T.S.エリオットやろすと・ジェネレーションの作家フィッツジェラルドの妻たちの悲劇。夫は妻を出汁にして作品を書き上げたが妻たちはペンを取り上げられて用済みになったら精神病院に入れられるという。ほとんど「ファム・ファタール(運命の女)」文学というのはそうなのかもしれないと思ってしまう。彼女たちがペンを持ったら一つの芸術作品を書き上げていたのかもしれないのだ。あるいは書こうとしていた。けっこうそういう文学が好きだったのは、悪女的な魅力だと思っていたが、逆に考えるとそういうことを描く男性作家のほうが罪深いのかもと思えてくる。

今は女性作家も増えたからそういう男性作家は書きにくくなったのか。でも村上春樹人気は相変わらずだ。今はどうか知らないが春樹も彼女たちに酷いことをする男が語り手だよね。作家の妻が精神崩壊してしまうのは、夫たる作家のせいかもしれない。

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