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冬の空 はかいしまたも建てたビル

高層ビルの工事はつい眺めてしまう。人間の英知なのか?いともたやすく崩れていくビルもあるというのに。ネガティブすぎる。

昨日は引きこもり。一日置きだ。あっ、でも買い物に行ったから純粋な引きこもりでもなかった。宝くじも買ったし。サマージャンボとハロウィンジャンボを調べて貰ったら三千円当たってた。それで年末ジャンボを購入。赤字じゃんか。でも三千円浮いたからな。それで贅沢ができるというもんだ。

読書。ドルフマン『死と処女』を読んだ。そんなに過去の人ではないのに岩波文庫だった。チリの作家というのも珍しい。戯曲で悲劇で救いようがない話なのだが。悲劇はカタルシスというからな。劇的という。確かに劇的な話だけど、最初から劇的だった。シューベルト「死と処女」が第一楽章から劇的なんで、そういうパターンかな。ただ戯曲は三幕。

続けて『大江健三郎全小説6』を読み始める。最初の『身がわり山羊の反撃』は喜劇だが、メキシコのもぐりの中絶医師の話。コロンビアから逃げてきたというのが謎なのだが、どことなくセリーヌを連想させるような文体だった。『死と乙女』も拷問した医師は、ドイツからの逃亡者で南米にいすわった者だった。これはナチスの残党がアルゼンチンとかチリのような南米に逃亡したという前提があるのだ。チリ政権に深く関わっていた「コロニア・ディグニダ」の医者というような設定。

『大江健三郎全小説6』は中・短編集だが『身がわり山羊の反撃』は中編ぐらいか?大江健三郎は長編作家のイメージもあるが、日本的伝統である中・短編も良く書いていたということだ。それは文芸誌のスタイルにあるのだろう。長編だけで食える作家なんてほんの一部だし、大江健三郎も食えたかもしれないが、障がい者の息子がいたので普通の家庭より出費が多かっただろうと想像出来る。作家でも食うのがやっとという世界なのが日本の現状。好きなことを書いていられるのは村上春樹や一部の作家しかいないだろう。純文学だってみんな掛け持ちだよな。今はエンタメの方がよく読まれるみたいだから。

大江健三郎のような作家は出てこないだろうな。あんなに嫌われているが大作家として君臨していたのだから。そういえば筒井康隆が『同時代ゲーム』を失敗作だが偉大な作品みたいな褒め方をしていた。

筒井康隆も昔ほどは読まれなくなったような。私もそれほど好きな作家でもないけどメタフィクション的な作品は好きなところがあるから『虚航船団』とか芥川賞の舞台裏の作品(題名忘れた)とか読んでいた。『文学部唯野教授』も読んでいた。これはテリー・イーグルトン『文学は何か』を読むよりわかりやすいと思ってしまった。ハイデガーのやつも読むかな。

読書はそのぐらい。秋だからアキ・カウリスマキという言葉に惹かれて『愛しのタチアナ』を見る。喜劇だった。硬直した機械的人物というのは喜劇のセオリーなんだが、当たっていた。アキ・カウリスマキは小津安二郎の影響も受けているというが小津の初期の喜劇的作品のリメイクドラマ『生まれてはみたけれど』を観た。これはアイロニードラマの喜劇だけど子供からの大人社会への批評だろうか?今に通じるドラマになっていた。

最近は喜劇の方がいい。笑いの大切さ。俳句もそういうところから始める。今日の一句。

建ててまた破壊しまた建てた秋の空

字余りだった。もう少しなんとかならないものか?

秋の空 はかいしまたも建てたビル

「はかいし」は墓石と破壊しの掛詞にした。今日の一首は出てこない。

読メから興味深い記事が乗っていた。島村抱月の「墓じまい」。


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