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イスラエルのアラブ人の複雑な事情

『6月0日 アイヒマンが処刑された日』(2022年製作/105分/G/イスラエル・アメリカ合作)監督:ジェイク・パルトロウ 出演:ツァヒ・グラッド、ヨアブ・レビ、ロテム・ケイナン

解説
ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンの処刑の舞台裏を描いたヒューマンドラマ。

ナチス親衛隊中佐としてユダヤ人大量虐殺に関与したアドルフ・アイヒマンは、終戦後ブエノスアイレスに潜伏していたところをイスラエル諜報特務庁に捕らえられ、1961年12月に有罪判決を受ける。処刑はイスラエルの「死刑を行使する唯一の時間」の定めに基づき、62年5月31日から6月1日の真夜中に執行されることとなった。宗教的・文化的に火葬の風習がないイスラエルでは、アイヒマンの遺体を焼却するため秘密裏に焼却炉の建設が進められた。その焼却炉を作る工場の人々や、そこで働く13歳の少年、アイヒマンを担当した刑務官、ホロコーストの生存者である警察官らの姿を通し、アイヒマン最期の舞台裏を描き出す。

グウィネス・パルトロウの弟で「マッド・ガンズ」「デ・パルマ」などを手がけてきたジェイク・パルトロウが監督・脚本を手がけた。

登場人物の少年がアラブ人なのにイスラエル人でありユダヤ人というわけがわからない展開で、こういうのは日本人は島国だから理解しずらいと思う。民族としてはリビアのアラブ人だけど宗教はユダヤ教でユダヤということらしい。そして国はイスラエルに住むからイスラエル人。そのへんが複雑なイスラエル問題を抱えているから、それを作ったアメリカ人もイスラエル寄りだから、全体的にはアイヒマンは悪人で処刑されるのが当然なんだけど、死刑制度にはやや疑問というところなのかな。

アーレントの「アイヒマン裁判」(『エルサレムのアイヒマン』)が念頭にあって少年が歯車ではなかったということが描かれるのだが、アーレントもイスラエルの裁判には疑問を投げかけていたし(アルゼンチンという治外法権下で逮捕連行した、裁判はイスラエルという国家を認めさせるためのショーだった)、少年も取り立ててアイヒマン裁判には興味がない様子だった。

少年がアイヒマン死刑後の遺体焼却の焼却炉作りに加わるのは人間関係だと思うのだが、そこの描き方もよく分からなかった。その中で自主的に仲間と仕事しながらアイヒマン焼却よりも物作りが面白く仕事をしているのだが(だったら兵器とかはどうなんだと思うが基本ものづくりの楽しさだから使用目的までは興味がない)。その中でアイヒマンを警備、死刑にする警察官のプレッシャーとか、感情で死刑にするのではないというような行為が(でも感情的描かれている)ナチスとは違うんだと思わせたかったのかもしれない。でも同じシステムだとは思うのだが。少年がアラブ人ということでその焼却炉を作ったことを認められないのだけど、物語として語られるというのがこの映画の趣旨なんだろう。

イスラエル寄り映画であるのは間違いないと思う。0日というのが表沙汰に出来ない秘密裏に処刑が実行された日ということなんだろう。


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