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後鳥羽院、孤独なうた詠み

『女房文学から隠者文学へ 王後期朝文学史』折口信夫

大正から昭和にかけて民間学、国文学、国文学研究者として活躍した折口信夫の論説。『古代研究』第二部国文学篇」[大岡山書店、1929(昭和4)年]一編をなす。 「隠岐本新古今和歌集」[1927(昭和2)年]。女房歌合せ——隠者の文芸——最高尊歌風と師範家と——歌枕及び幽玄な境地の意義変化——儒者の国文学に与へた痕——前代文学の融合と新古今集と——遠島抄の価値——の順で、文学の予期が平安期の女房から、隠蔽者(出家した法師など)先に進む過程を解説する。

折口信夫の歌論。批評家、国文学者としての折口信夫は柳田國男の後継者のように見られるが短歌の世界では釈迢空での実績があり、その創作研究から『万葉集』を口語訳するという(翻訳ではなく、『万葉集』を口承文学として読みの指針を示した)実践的な研究者の歌論である。

日本の古歌でも五七調や七五調を繰り返すことで、人々の共感を呼んで宴会ソングとなるわけだった。もともと田植えなどの労働作業のためのリズムだったといえば納得がいくあ(奴隷の旋律と言われるのはこのためか)。そしてそれは歌垣という男と女が和する歌であったのだ。

しかし和歌が宮廷内で女房文学として栄えるのはそれとは違った意味合いを持つのだった。それは短歌が七七と終了の世界を示すことで、酔いよりは醒めた歌となるのである。例えば男の申し出を断るというような。あるいはそれは恋の終わりで夢見る歌の中にしか存在しない世界なのだ。

女房文学は、貴族社会の終焉として(武家社会の始まり)、隠者文学を生み出すのであり、百人一首で坊主(隠者文学)が多いのもそうした理由からなのである。つまり厭世的な社会があり、その幻想に歌の世界があるということだった。だから『新古今集』の幻想世界を求める隠者として文学というのはそういうことらしいのだ。それは塚本邦雄が説く和歌の世界から短歌の世界でもある。

女房文学の和歌の権威は藤原俊成であり、かれは歌合や女房たちとの相聞(関係)から『新古今集』流の技術論を伝えていく。その中に古歌の知識的なもの(『源氏物語』を読まないものは歌詠みとは言えない)や女房文学で培われてきた「新古今」流の本歌取り、掛詞、枕詞、縁語などを歌論としてまとめていく。その息子である藤原定家が権威となっていくのはそういうことなのだが(『百人一首』の権威)、そのときに対立するのが後鳥羽院で、彼は歌に「高み」というものを求めた。それは恋歌とは反する精神性のようなものかもしれない。

それは平安末期になると隠者文学として、西行や鴨長明がでてくるのだが、彼らは隠者でも俗世間を見ていたという。その西行から芭蕉のような俳諧が生まれてくるのである(俳諧は和歌の雅の世界を俗の世界へ広めたもの)。

後鳥羽院は、それとは別で彼の隠岐流刑という現実から隔離された精神(孤独性)を見出し、それが歌としての高みとして一つの頂点を示すという(ここは芸術論になっていくような)。

俊成と西行と後鳥羽院という三者三様のうたが『新古今集』にあり、それが勅撰集としての頂点なのだがそこから近代まで和歌が発展することがなかったという。折口信夫の歌論は分析的でそれぞれの歌人の特徴を捉えていると思うが和歌の歴史についての古典であるので、なかなか難しい読書ではある。


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