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日本の秘密兵器はオウム真理教レベルだった

『陸軍登戸研究所』(2012年製作/180分/日本)監督:楠山忠之

秘密兵器の開発拠点としてさまざまな実験が行われ、敗戦後に証拠隠滅のため歴史から抹消された陸軍登戸研究所の真相に迫ったドキュメンタリー。第1次大戦直後から密かに行われていた毒ガス兵器や諜報、防諜などに対応する資材、兵器の開発研究の流れを受け、1937年、神奈川県川崎市生田の丘陵地に陸軍の実験場が設立される。実験場はのちに「陸軍第九技術研究所」(秘匿名:登戸研究所)となり、太平洋戦争による戦乱の拡大で、最盛期には1000人に及ぶ所員が殺人光線、生体実験、毒物・爆薬の開発、風船爆弾、ニセ札製造など、多岐にわたる研究に携わったと言われる。戦後、歴史から存在が抹消された研究所で何が行われていたのか、6年に及ぶ歳月をかけてその謎を追い、当時を知る関係者らの証言を得て、全貌を明らかにする。

「陸軍登戸研究所」を知ったのは堀江敏幸の短編連作集『雪沼とその周辺』だったか、チラッとその名前が出てきたと思う。当時登戸は通り道で、無差別殺人事件などもあって、気になる場所となっていた。

ただそれ以上のことは詳しく知らずに「陸軍中野学校」の特務機関で風船爆弾や偽札製造を行っていた。その繊細なドキュメンタリーでほとんどインタビューばかりだから興味ある人以外には、あまり注目されない映画かもしれない。

たまたま「新百合ヶ丘映画祭」の今年の話題作とあって、満席ソールドアウトの人気ぶりだった。それは登戸という場所が近く、そこに戦時中にこのような特務機関があるとは知っていても、その全容まで知る人がいないためだったと思う。それは「陸軍登戸研究所」が細菌兵器や諜報活動の「秘密戦」に関わっていたので戦時中にも国民には明らかにされることがなく、戦後は隠蔽されていたという。現在は明治大学の生田キャンパスに資料館があり無料公開しているという。

映画としては手持ちのカメラでインタビューを撮るだけなのでETVのドキュメンタリーより劣ると思う。映像は揺れまくっているし、3時間は長すぎるだろう。ただ貴重な証言ばかりなので内容はかなり興味深いことばかりだった。

実際に「風船爆弾」が飛ばされアメリカに落とされたのは9000個が上げられたのに300ぐらいしかアメリカには到達せずに、オレゴン州の6人の家族を殺人したぐらいの成果しか上げられていなかった。そのために付近の女子学生動員(学徒動員)させてせっせと風船爆弾作りをしたという話だ。和紙でこんにゃく糊で貼り合わせるという作業で日本の物資不足の中でこんなことも行われていたのである。色付きの和紙なのは、当時の食糧不足であり毒が入っていると喧伝されたためだという。それ以上に興味深いのが偽札作りで、日本軍は物資もなくアジアでの戦争は補給部隊は現地調達だった。そのために略奪なども行われていたのだが、地元のヤクザ(中華系マフィア)と組んで、偽札で物資を調達していた。他に偽パスポート作りとか映画の世界ではお馴染みだった。

上海では白系ロシア人や華僑らが日本軍に協力したのは、武田泰淳の小説にも書かれていたが、その内容はこうした特務機関の諜報戦とかかわっていたのだ。そしてその犠牲となった中国人に対しての非道(人体実験など)、戦後伴繁雄が『陸軍登戸研究所の真実』で明らかにしていた。その奥さんへのインタビューとかもあり興味深い話だった。

諜報戦は今だったら北朝鮮が行っているようなことばかりだ。たぶん北朝鮮はそれを日本軍から学んだのだろう。あるいは朝鮮戦争時にアメリカがこうした特務機関の者を活用したという。彼らは戦犯にはならずに密約としてアメリカ軍の下で働いていたのだ。そうした戦後にも影響を与えていたのだった。

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