短歌レッスン92
冬は写真が同じパターンになるので、去年の写真から。そうか動物園に行けばいろいろ写真が撮れるかもしれない。まして冬の動物園は人が少ないだろう。スマホだからなるべく前で撮らないと大きく写らないから。安いコンパクトカメラ買うべきかな。宝くじが当たったらだ。
塚本邦雄短歌
塚本邦雄の動物園短歌か?これは句跨りが三箇所もあるかなり大胆な構造なのです。五七調で読むと
「皇帝ペンギン」を天皇、飼育係を国民という見方がかつてはあったそうだ。まったくそんなことは考えられなかったが時代の変化だろうな。そのまま動物園のうただと思ったがもっと深読みすべきか?そういえばウクライナの作家で、そういう小説を書いていた人がいた。アンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』。
模範十首
茂吉の体質は蚊や家ダニに好まれていたとか?むしろ虫たちの怨念ではないのか?
そういえば鴎外にも鼠の短歌があったが、愛らしいものだった。
阿部定事件を元にして作られた一句。「ペルヴェルジョ」は「性的倒錯」という意味だという
短歌は意味ではなく、読み手にアッと言わせる取り合わせだという。ただ歩兵が角を曲がっただけの歌だった。
「ああそれなのに」は当時の流行歌らしい。上手い口語だと思ったが歌詞からの引用だった。
「日本産」の狐じゃなくとも肉食だと思うが違うのか?「平安」ということが言いたかったのか?
自分の額から光が出るとかウルトラマンかよ、とツッコミたくなる。仏教的イメージなんだろうが、それで「われはひれふす」という分身のか?よくわからない歌だ。光を放ったからひれふすのか?
孫太郎虫(まごたろうむし)はヘビトンボの幼虫だという。間違っているじゃないか?観察したのではないのか?茂吉も筆の過ち。
歩兵の歌と同じパターンで、観察以上のことを言わないのが茂吉短歌の特徴だと。でも感情的な歌も多いぞ。
「死骸の如き歌累々とよこたはる」はなんか嫌な比喩だな。「いたしかたなく」という気持ちがあるのか?短歌なんてそんなもんか?
『究極の俳句』高柳克弘
「季語を疑う」俳句は二物衝動。一物仕立ても、「もの」と「状態(動作)」の「取り合わせ」が新規なのだ。
「蝶々」と「迅く飛び」の取り合わせ。
「チューリップ」と「花びら外れかけて」の取り合わせ。
西脇順三郎の詩論
別離の感情を「蝶の羽もぐ」という言葉で詠ったもの。「白げし」に出会ってから儚さ。エロスの本質は、究極には死にゆくこと。「エロスとタナトス」を表現した究極の俳句である。
季語に異質な言葉をぶつけて新たな季語の美を創出する。「虚実」というところの「虚」のリアルさ。季語の既成の美意識や価値観を疑い、新たな出会いとしての驚きを見出す。「世界」に向き合う「最小限の身体」を置く芭蕉の究極の俳句。
「うたの日」お題
今日も夜の部になりそうだ。
「お疲れ様」
これだと一日の終わりになってしまうな。侘しいのはどっちだ?
「緑のたぬき」とどっちがいいだろうか?
やっぱ癒やしは緑だな。
これでどうだ。商品名は正しく表記すれば出してもいい。
結果
❤一つに♪12。なんでだかわからんけど♪はたくさん付いた。
「緑のたぬき」のお陰か?
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