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無季なるや電光掲示板のこと

町田駅前写真。「今日も一日お疲れ様でした」と出るのを撮ろうと思ったのだが疲れていてうまく撮れなかった。昨日は映画館を見た後に図書館まで一時間歩いたのでお疲れ気味だったのだ。今日も朝八時まで寝ていたらJアラート。目覚ましにはなったが日本政府のJアラートはいまいち信用できないものになってしまったな。

それはJアラートの情報源が韓国と米軍によるものだから日本の独自調査というのではないのだ。今韓国で起きている政治問題はアメリカの盗聴問題流出なのだ。過去にもそれはあってインターネットがアメリカの軍事から始まったものであるならば当然それを利用しない手はないのである。

だからインターネットは危険だとスノーデンの暴露とかあった。

日本の軍事機密は米軍に握られているので米軍の属国として自由に操れるのだ。そんなわけでJアラートは、韓国と米軍の関係修復にちょうどいい具合に北朝鮮がミサイルを発射してくれたのである。北朝鮮はいつも何か困った問題が政府に発生したときにこういうことをして、国民の目を反らせている。日本政府にとっては都合のいい相手なのかもしれない。

映画は『ザ・ホエール』を見た。号泣映画。父と娘関係の映画だから、アメリカはファーザーの国なんだよね。アメリカ文学『白鯨』の話でもあった。この辺が質が高いA24映画だった。

図書館で3冊返却。期限内で読みきれなかった本だがだいたいのことはわかった。読書って言ってもすべて読む必要はなく入門書ぐらいだったら100p.ぐらいでいいんじゃないのかな?そこからもっと深く知りたければ読むし関連本を探すだろう。

借りたのは文芸誌と寺山修司『俳句入門』だった。いつも入門書だな。

読書。塚本邦雄『花月五百年 新古今天才論』。塚本邦雄の本は読みにくいのだが、この本は『新古今集』を制作した後鳥羽上皇の天才論だった。和歌が和する歌というように本来は一首で成り立つ文芸とは一線を画すのである。そのあたりが近代詩の個人主義的な我の成り立ちと違うのである。近代以前の日本は俳句でも俳諧で座の文芸であったり、だから芭蕉の発句と子規の俳句では違うものだという批評もあるぐらいだ。

ここでは後鳥羽上皇が一首だけではなくその組み合わせで和歌の世界を演出したそれは天皇制回帰の世界なのだが、当時は武士(鎌倉幕府)の時代だったのだ。それは喪失した古典時代ということで、その再帰を夢見た和歌集なのである。実際はそういう疑いをかけられて後鳥羽上皇は危険人物だとして島流しにあうのだが。

詩は彼岸のものであるというのは、最近強く感じていることだった。だから文学は愛と共に死がテーマとして色濃く現れてくるのだった。今日の一句は投げやりだった。

無季なるや電光掲示板のこと

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