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革命思想は人間の弱さを捨てる

『狼煙を見よ:東アジア反日武装戦線“狼"部隊』松下 竜一【著】

一九七四年、三菱重工をはじめとした連続企業爆破事件が発生し、翌七五年公安警察によって容疑者のうち九名が逮捕される。東アジア反日武装戦線を名乗る彼らは、なぜ過激な闘争に身を投じたのか…事件を巡る公安警察との駆け引きや逮捕前後の動き、そして収監後の内省の日々に寄り添うことで浮かび上がる彼らの素顔―最も苦しんでいる人々の側から思考すること、アジアの人々の側から思考すること、そしてその帰結として生まれた“反日思想”の核心。テロリストとして一面的に報道された大道寺将司と彼らグループの真実に迫る傑作ノンフィクション。
目次
第1章 死の機会を逸して
第2章 釧路・大阪・東京
第3章 狼の誕生
第4章 都内非常事態宣言
第5章 虹作戦
第6章 死刑宣言

第1章 「死の機会を逸して」

大口玲子「長崎の基督」で取り上げられていたので歌人かと思ったら俳人だった。大道寺将司が有名なのは過激派グループ「東アジア反日武装戦線“狼"部隊」のリーダーとして三菱企業連続爆破のテロリストして、獄中俳人として有名なのだろう。この本を読む前に映画『狼をさがして』を観た。

東アジア反日武装戦線"狼"」というテロ組織(今で言う反社会的勢力)。日本のかつての植民地政策と戦争責任、さらに今の日本の繁栄の裏に潜むアメリカ帝国の傀儡政権である国家主義を問う。彼らが言う「反日」闘争とは?


大道寺の実家はアイヌ人が住んでいた土地で、日本人(和人)がそれを略奪したのだと日本の歴史教育では教えない歴史に興味を持っていたようだ。先日見た映画『シサㇺ』は松前藩が北海道のアイヌ人相手に暴利を貪り、それに抵抗した「シャクシャインの戦い」を描いていた。『ゴールデンカムイ』のようなファンタジーではなく、リアルなアイヌ人の生活や日本との関係が描かれていたと思う。

そういう歴史からアメリカ・インディアンの抵抗運動の象徴であるイレーヌ・アイアンクラウドに憧れる学生だった。

日本の侵略戦争は今も朝鮮半島で続いているとしてテロ組織を作って企業爆破をするのだが、その逮捕の様子などリアルに描かれていた。彼らは自決するために青酸カリを持っていたが、自決したのは一人だけだったとか。

第2章 釧路・大阪・東京

彼らが最初から過激派だったわけではなく、学生運動(全学連運動)の挫折があった。当時部分的には全学連側が解放区を作ったりしたが国家に弾圧されていく。それは香港の民主化運動でもそうだが、最初は理解を示していた大衆労働者も長期化するに当たって彼らの生活があり、生活か運動かと問われるわけだが、学生はまだ猶予期間(モラトリアム)があるが、やはり長期化してくると生活のために離脱していく者が多くなる。それは彼らの夢が大衆運動と共にある時期を過ぎて次第に過激化していくのに付いていけなくなるからだ。そのせいで少数精鋭部隊の暴力革命を夢見るようになる。高倉健の任侠映画とか見て感化されていくのだ。

例えば森田童子の歌などは、そうした全学連運動の挫折を抒情的に歌ったものだった。

岡井隆『私の戦後短歌史』を読み終えたので、同時に借りた松下竜一『狼煙を見よ:東アジア反日武装戦線“狼"部隊』というテロリストのノンフィクションを読んでいた。頭の切り替えが大変だが、岡井隆の保守性はファザコンだと思うのだが、大道寺将司の革新性はマザコンかもしれないと思った。生みの母は知らないので母に気兼ねがあるのだが、それを言えない(彼らはナイーブな若者だ)。

そしてアイヌ居住地で育ってアイヌに関心を持つ。アメリカ・インディアンのイレーヌ・アイアンクラウドに憧れる学生だった。『狼煙を見よ』でも読んで感じるのは、彼らが一方で冷酷なテロリストなのだが抒情性と言われるものある。テロリストは言う国家と家族滅びるのはどっち?とか。

第3章 狼の誕生

催涙ガス避けんと密かに持ち来たるレモンが胸で不意に匂えり 道浦母都子

この短歌を読んだとき、部活のマネージャーが疲れた学生なんかにレモンを上げるのと一緒かと思ったら、催涙ガス対策として、実際にレモンの効用について述べていた。孤立していく彼らの運動は過激性を増して爆弾闘争へと発展していく。それはフランス植民地であったアルジェの戦いとかマルティニックのゲリラ戦で学んだもので、彼らの勉強会でファノンの本とか読んでいた。

第4章 都内非常事態宣言
ここは警察の資料と彼らの行動が繊細に描かれていく。

第5章 虹作戦

当日三菱企業爆破事件意外にもう一つの天皇御用列車爆破という「虹作戦」という爆破テロを予定していたのだが、上手く行かなかった。彼らの行動は杜撰的なその場の思いつきのようなものがある。三菱企業爆破事件も5分前に予告電話を入れたので避難するだろと思っていたとか。計画に甘さがあるように感じる。それで実際の事件になると取り返しが付かないことになるのだ。

第6章 死刑宣言

大道寺将司は結局死刑宣告を受け入れるのだが、被害者家族の会とか著者との意見の相違があったようだ。それは大道寺将司らが人間としての弱さを見せないようにしていたかもしれない。彼の俳句とはそのようなものだと思う。

狼や のこんの月を駆けゐたり  大道寺将司


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