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年末にラッパ吹けよと歌うかな

昨日は引きこもり。観たい映画もなく図書館も行かなかった。起きたのが昼過ぎというのもあった。だらけている。俳句を少しやっていたが、どこに行こうとしているのか明確なヴィジョンが見えない。とりあえず坪内稔典『俳句いまむかし』を読んでいるが、これだという句が見つからない。今のところ白泉と高柳重信の道だと思うのだが、高柳重信の行分け俳句だと高柳重信の真似になってしまうからな。そのぐらいこの形式は彼のものだった。面白いサイトを見つけた。今日はこれを読んでみようか。

やれることをやるだけだな。今日は「シン・俳句レッスン」をアップする。最近さぼりがちだから

読書『新潮2023年11月号』から柳美里『JR常磐線上り列車/ マスク』。実際に上演された芝居の脚本。「常磐線舞台芸術祭」というから、それに合わせて脚本を書いたのかも。常磐線の路線駅で乗り降りする高校生を中心のドラマだが、セリフだけだから亡霊みたいだ。それは3.11の常磐線とコロナ禍の時の常磐線の高校生の会話で、最初は何気ない日常会話なんだけど、3.11の日の会話はけっこうキツイ。学校での会話だったが電話が繋ながらないとか。津波が来ているのに海の近くの家とか。最初はコロナ禍での会話だったのかな。学校もオンライン授業になって、友達と会えないとかの何気ない会話だったのだが、3.11の方が疎開先の学校でのいじめの話とかつらめの話が多い。最初の方はいまどきの高校生はこんな話し方をするのかと面白く読んでいたのだ。これはけっこう傑作かもしれない。

マルクス『ブリュメール18日』2章まで。難しいのは当時の政治状況が理解しがたいから。今の立憲民主の誰々とかN党とか新生政党がいろいろ出てくる感じでマルクスの文体は比喩が多い。その比喩が面白いということもあるのだが。論理的には混乱を招くような。ただマルクスはその文体が魅力なんだよな。勢いで書いているような。ナポレオンの反動政治が何故起きたのかということなのだが、このサイトがよくまとめられていた。

マルクスで挫折したので仲正昌樹『悪と全体主義―ハンナ・アーレントから考える』。国家は無国籍者を排除するというのは、今の日本を見ればわかる。国民というのは、大雑把に行ってしまうと日本人の民族性が確証されていることで、民族という幻想があるのだが、それは理解しようとしない。一つの民族、一つのアイデンティティというような。日本人のアイデンティティは何かというような。そういう文化的なものだと。イスラム教徒の女性が日本に長く住んでいても国民とは見られない。外見で判断されるから。そういうのが日本社会では大きい。それは人権などと軽々しく口にするが、そういうところが見えてないと外国人で日本に住む者の苦労がわからないのだ。実際にどんな目にあっているのか知ろうともしないし。無関心社会極めり。「全体主義」的な面があると自覚もしてないのだ。

読書してもめげるな。

TV『ブギウギ』を一週間分まとめてみた。やはり感動してしまうが、歌の内容は弟が戦争によって殺されたのにありがとうというような意味なんだよな。当時の統制では思うような歌詞は書けなかったから。今の自由が当たり前と思えるような社会がいつまで続くんだろう?大衆操作というものもある。やっぱ明るい歌を求めているという。戦時に突入してもバンザイなのだ。「ラッパと娘」は紅白決まりなのか?

年末にラッパ吹けよと歌うかな

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