スキャンダラスな晶子登場!
『日本文壇史〈6〉明治思潮の転換期』伊藤整(講談社文芸文庫)
古本屋で購入。すでに伊藤整『日本文壇史5 詩人と革命家たち』は読んでいた。古本屋で見つけたので飛び飛びだが、この当たりの文壇史は面白い。文学に興味があれば、伊藤整の「文壇史」は面白いのかもしれない。
第二章 高山樗牛
森鴎外や坪内逍遥に論争を挑んだ浪漫派オジサン。与謝野晶子や石川啄木の出発点となった『明星』を創刊した人だった。鴎外や逍遥が事実だけの何でも描くことに警笛を鳴らし、作家たるもの道徳理念(教育としての文学)がなければ駄目だと論争を挑んだ。「文明批評家としての文学者」という。
当時、文壇は「日本主義」というナショナリズムに傾こうとしていたとのこと。先見の目がある。それも鴎外や逍遥に論争を挑んだとは。明治はそういう論争が多くあったのが、それぞれの文学を鍛えていく場だったのだと思う。批評がないところでは文学も育たない。
高山樗牛は後にはニーチェの超人思想的な浪漫主義になっていくのだが。そして自身も「日本主義」に近い位置だったのだ。
中江兆民
第5巻が中江兆民の活躍から描かれていたのだ。その中江兆民も癌になり『一年有半 』が書かれる。弟子の幸徳秋水に託されたのだが、死後に出すよう言われたが生前に出版した。それがベストセラーになったから、同じく病に伏せている正岡子規がいちゃもんを付けたのだ。ただ中江兆民は子規がいうように自分の病を同情的に出汁に使って本を売ろうとしたのではないのだ。それは正岡子規のやっかみであった。
その子規が同じように自分の病状記を何冊も出していた。あまりにも病状が悪いのを思って新聞社が掲載を見合わせようとしたら、手紙を書いて新聞掲載だけが生きる糧だというようなことを書いていた。どこまでも貪欲だった正岡子規なのである。だからあれほどの弟子やら文人を引き付けたのかもしれない。その子規の死でもってこの巻は終わる。
弟子の幸徳秋水が足尾鉱山の田中正造の天皇への直訴文を書いた。その前の中江兆民『一年有半 』の前文とかで名文筆家となっていく。
夏目漱石・ラフカディオ・ハーン
漱石はまだ作家としてデビューする前で英国留学をして病状の子規を励まそうと手紙を書いていた。その手紙を読んだ子規が大いに笑ったのでそのようなものを書いて欲しいとリクエストしたのが漱石が小説家になるきっかけだったようだ。
その頃の東大の英文学を教えていたのはラフカディオ・ハーンであったのだが彼はアイルランド人とギリシア人のハーフだったので、イギリス人(というよりキリスト教徒はというべきか?)は嫌っていて東大でも孤立していたようである。それで裏日本好みの性格だったのかも。
森鴎外・尾崎紅葉の文壇
文学では森鴎外はヨーロッパを知るものとして学識があって徐々に海外文学が紹介されてくる頃であった。文壇としては尾崎紅葉『金色夜叉』がベストセラーになって紅葉の硯友社が全盛時代で、まだ新しい文学は表に出て来ない時代だったのか。『金色夜叉』のお宮に感情移入した女学生が紅葉にお宮を不幸にするなと抗議があったとか。この時代はまだまだ男尊女卑の時代ではあったのだ。
しかし森鴎外は小倉に左遷されて不幸時代でもあった。二番目の妻で年下の美人妻を貰うのだが鴎外はマザコン男で、東京に帰ったときに美人妻の我儘と母親の対立があって、悪妻ということになってしまう。ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』に繋がる話だった。その娘が森茉莉だったのか?彼女の本を読んでみたくなった。
与謝野鉄幹・晶子
そんな中で華々しく登場したのが与謝野晶子だった。まだ鉄幹と結婚する前に鳳晶子として、与謝野鉄幹のスキャンダラスな「文壇照魔鏡」事件。鉄幹にやっかみを抱いた者が鉄幹の女性関係について暴き立てた。それは晶子から見向きもされなかった者の仕業とかあるがどうなんだろう。とにかくスキャンダラス作家として一躍注目されたのが、鳳晶子『乱れ髪』なのだ。そんな「明星」は文芸誌としては青年向けの投稿誌という位置だったらしい。文壇の重鎮は森鴎外とか尾崎紅葉の時代。
国木田独歩・志賀直哉
国木田独歩は政治家になろとしたのだった。それでも愛人の隠し子騒動とかあって政治家の道はあきらめたようでそれで文学の道かと。そんなもんだ。文学者の地位は政治家より下だったと思われる。
志賀直哉は財閥系の息子で爺さんが鉱山を開いて、そこが足尾鉱山だったわけだ。公害問題となった時は人の手に渡っていたのだが、そのときの譲渡金が父の懐に入っていて、それで志賀直哉の反抗期となって揉めて文学の世界に行くのだ。後で和解するのは、そういうことだった。
自然主義文学
文壇ではゾラの自然主義文学(この自然は人間の本来のあり方で善悪という範疇を逸脱した野生というような)が徐々に広まっていく。でも日本ではネイチャー系の自然主義文学になっていくのだ。詩の方で薄田泣菫『公孫樹下にたちて』とか。
永井荷風がフランス文学に憧れてフランス語を学び始める。後にアメリカ・フランス遊学。その前に落語家志望だったとか。
関連書籍
『日本文壇史5 詩人と革命家たち』伊藤整
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