短歌レッスン86
セイタカアワダチソウはまじで泡みたいになっていた。
茂吉短歌
この短歌は茂吉の短歌の中で最初に好きになった歌が背景を知ると?になっていく。不気味な緊迫感というか「上海」という場所で詠んだのも何かを暗示しているような。「めん雞」で「おん雞」ではない。同じ時期の歌に、
があるという。
模範十首
今日は『文學界(2022年5月号)』から「幻想の短歌」十首。
宮沢賢治は詩作を始める前は短歌を詠んでいたようである。宮沢賢治が短歌では飽き足らず詩の世界に行くのはわかるような気がする。ちょっと興味深いテーマだ。
浜田到の歌は睫毛を見ているということだ。風景が霞んで霜になるのは写生だという。
穂村弘は言葉遊びの世界だろう。「さら」を何回繰り返せばいいのかわからなくなる。数えたら9回だった。けっこうな字余りだが。
笹井宏之は早世の歌人。晩年はすでになかったのか、それとも永久的に晩年でありたいと願ったのだろうか?後者の意味のようにも取れる。窓拭きという単純作業が愛おしく感じる。
永井祐は日焼けサロンではないかと思う。そのような位置という狭さい空間のような。それでも気分はサロン気分ということか?
トドロフ『幻想文学序説』
詩では幻想は成り立たない」寓話の剣は、「人を傷つけるもの」の象徴。詩は文字通りの意味を受け取るべきである(韻文と散文の違い)。「幻想的な物語の語り手は普通、私と名乗る」一人称的(私)は、この語り手は夢を見ているか揺らぎ(疑い)が生じている。
「うたの日」お題
時間切れだった。今日は幻想短歌で攻めていきたい。すでに14時過ぎてしまった。「潮」「虎」「音」「ライバル」「るるる」
とりあえず、これにした。今日も苦戦の短歌。
中島敦『山月記』のパロディ。
音からイメージした短歌。ちょっとネガティブすぎるな。
暗すぎる。ポジティブ短歌を作ろう。
幻想短歌です。
やっぱ「うず潮」でいいか?
結果
❤が3つに♪が8つ。過去最高でした。これから幻想系短歌でいくか?
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