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短歌レッスン86

セイタカアワダチソウはまじで泡みたいになっていた。

茂吉短歌


大島史洋『斎藤茂吉の百首』

この短歌は茂吉の短歌の中で最初に好きになった歌が背景を知ると?になっていく。不気味な緊迫感というか「上海」という場所で詠んだのも何かを暗示しているような。「めん雞」で「おん雞」ではない。同じ時期の歌に、

たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花紅く散りゐたりけり  斎藤茂吉

大島史洋『斎藤茂吉の百首』

があるという。

模範十首

今日は『文學界(2022年5月号)』から「幻想の短歌」十首。

いざよひの月はつめたきくだものの匂をはなちあらはれにけり  宮沢賢治『宮沢賢治全集3』

硝子街に睫毛睫毛のまばたけりこのままにして霜は振りこよ  浜田到『架橋』

さらさらさらさらさらさらさらさらさら牛が粉ミルクになってゆく  穂村弘『水中翼船炎上中』

晩年のあなたに窓をとりつけて日が暮れるまで磨いていたい  笹井宏之『ひとさらい』

頭の位置をととのえてから目をつむる 夜の中で日焼けしていくような  永井祐『日本の中でたのしく暮らす』

名を呼ばれ城門へ向きなほるとき馬なる下半身があらがふ  川野 芽生(かわの めぐみ、1991年 - )『Lilith』

吹きわたる風があなたを壊しにゆく朝、小麦粉で子孫をつくる  平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』

胸びれのはつか重たき秋の日や橋の上にて逢はな おとうと  水原紫苑『びあんか』

水中より一尾の魚跳ねいでてたちまち水のおもて合わさりき  葛原妙子『葡萄木立』

戰爭のたびに砂鐵(さてつ)をしたたらす暗き乳房のために禱(いの)るも  塚本邦雄『水葬物語』

石巣(いはす)石巣にとびて鳥首の重かりきわが狂心(たぶ)るる自由  山中美智子『みずかありなむ』

『文學界(2022年5月号)』

宮沢賢治は詩作を始める前は短歌を詠んでいたようである。宮沢賢治が短歌では飽き足らず詩の世界に行くのはわかるような気がする。ちょっと興味深いテーマだ。
浜田到の歌は睫毛を見ているということだ。風景が霞んで霜になるのは写生だという。
穂村弘は言葉遊びの世界だろう。「さら」を何回繰り返せばいいのかわからなくなる。数えたら9回だった。けっこうな字余りだが。
笹井宏之は早世の歌人。晩年はすでになかったのか、それとも永久的に晩年でありたいと願ったのだろうか?後者の意味のようにも取れる。窓拭きという単純作業が愛おしく感じる。
永井祐は日焼けサロンではないかと思う。そのような位置という狭さい空間のような。それでも気分はサロン気分ということか?

トドロフ『幻想文学序説』

詩では幻想は成り立たない」寓話の剣は、「人を傷つけるもの」の象徴。詩は文字通りの意味を受け取るべきである(韻文と散文の違い)。「幻想的な物語の語り手は普通、私と名乗る」一人称的(私)は、この語り手は夢を見ているか揺らぎ(疑い)が生じている。

「うたの日」お題

「便所」
アサガオに便所コオロギ尿かけて驚きみどりウマオイと化す

時間切れだった。今日は幻想短歌で攻めていきたい。すでに14時過ぎてしまった。「潮」「虎」「音」「ライバル」「るるる」

「潮」
おだやかな
ネットの海に
うず潮の
うそうそうそと
そうそうそうと

とりあえず、これにした。今日も苦戦の短歌。

「虎」
飲むほどに
絶叫詩人は
大虎の
大ぼらふきと
墓穴を掘るぞ

中島敦『山月記』のパロディ。

「音」
冬の音
おとうとと行く
御伽の国
ひとばしらなる
音のおとうと

音からイメージした短歌。ちょっとネガティブすぎるな。

「音」
レコードの
白色音(白色ノイズ)
延々と
母の心音
中絶の音

暗すぎる。ポジティブ短歌を作ろう。

「ライバル」
ライバルは
架空の歌人
茂吉より
晶子に啄木
寺山修司

幻想短歌です。

「るるる」
るるるるる
ハミングすると
子守唄
母の声真似
アンドロイドか

やっぱ「うず潮」でいいか?

結果

おだやかなネットの海にうず潮のうそうそうそとそうそうそうと
『 潮 』 やどかり #うたの日 #tanka http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=3187d&id=30

うたの日

❤が3つに♪が8つ。過去最高でした。これから幻想系短歌でいくか?



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