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短歌レッスン15

表紙はカンヌ映画祭のパルムドールです。切れてしまったけど。まあ、私が貰うことは一生ないですけど、「うたの日」で薔薇は貰いたい。いつしか「うたの日」が目標になってしまいました。最初に初めたのは「十六夜杯 短歌部門」に応募するためだったのに。その目標も叶え、次の段階になったということでしょうか?

そう言えば今朝のTweetで「サラリーマン川柳」の募集要領も流れ来て、これも応募しようかと考えてます。

それより「うたの日」の今日のお題が「自由詠」でした。これは困った。テーマを与えられて詠むのは慣れていたけど自由詠は夏休みの自由研究と一緒で何をしたらいいか迷うのです。こういう時は『寺山修司全歌集』からヒントを得るしかないですね。

5円玉のブルースもあれ陽当りの空罐の傷足で撫でつつ  寺山修司

そうだ、オレの歌にはブルースがあるじゃないか?ちなみにこの「罐」のこだわりが少数派としての反権力の姿勢なのです。

「空罐」を拝借して一首。

空罐の中身捨てつる物乞いは薔薇を得たりと歌を詠むかな  やどかり

ちょっと反体制すぎますね。昨日同調者がいたので、頭に乗っています。自由詠にしたのも「うたの日」の中の人がそれならばと難題を出しているのかもしれない。今日はすべてが「自由詠」。でもここで止めるわけには行かない。

まずリズムですね。

もの言はぬ日かさなれり。稀に言ふことばつたなく あしらふ心  釈迢空

「稀に言ふことばつたなく」がまれびとですかね?「あしらふ心」というのは上から目線ですね。

空罐の中身捨てつるマレビトは薔薇はいらぬとあしらふ心  やどかり

なんかいかにも寺山修司と釈迢空を合体させましたという歌ですね。

テキスト。『しびれる短歌』テーマ「豊かさと貧しさと屈折と、お金の歌」。

今日のテーマにぴったりのような。

五円玉 夜中のゲームセンターで春はとっても遠いと思う  永井祐

「五円」と「五円玉」は違う。前者は一般的な価値だけど後者は玉という存在そのものなんですね。密かに寺山修司を受けてます。ただそこにブルースはないだけです。「ゲームセンター」の騒音とうわの空の浮遊感かな。貧しさを等価にしない。例えばそれまでの短歌は等価にしてしまう。

吾がもてる貧しきものの卑しさを是(こ)の人に見て堪へがたりき  土屋文明

ブルースなんだけどこういうのは受けないという。

君と食む三百円のあなごずしそのおいしさを恋とこそ知れ  俵万智

バブル世代短歌。三百円というと大した額ではないが、それをあなごずしに使う贅沢。それも男がいるからなんですね。むしろ男に奢って貰っている?そこで大トロとか頼まない奥ゆかしさを出しているのだろうか?これは回転寿司じゃないですよね。

遺産なき母が唯一のものとして残してゆく「死」を子らは受け取れ  中城ふみ子
ありったけの小銭をきみの手に落とし持っているものすべてを教えて  平岡直子

この二首は共通しているというのだけれど、中城ふみ子は世代間の伝承を言っているのに、平岡直子は同等の関係。今は同等の関係の者に対する歌が主流のようだ。そのへんが中島みゆきからユーミンなのだという。わかったような、わからないような。

パーマでもかけないとやってらんいよみたいのものありますよ 1円  永井祐

衣食住は揃っているのに存在感が1円という。最初の口語感が作者の実感をだしているのか?そして自己諧謔の世界か?

これで行こう!


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