見出し画像

シン・短歌レッス37

落椿。土に赤の方が引き立つな。コンクリートブロックだとイマイチ情緒がないか。落椿が花を上向きに落ちるのは自然なのかな?落椿という人の首が首塚を連想するからか。今日の一句。

落椿天を仰いで笑つてる

そういえば『散り椿』というのもあるんだね。映画見た。『散り椿』は「山茶花」じゃないのか?と思った。椿と山茶花の違いは?

『源氏物語』和歌

紫式部『源氏物語』「椎が本」

立ち寄らむ陰とたのみし椎が本むなしき床になりにけるかな

元の和歌は椎の木の根本で薫が亡くなった八の宮を想い出すといいう追想の歌なのだが、それだけではなく薫の父親が光源氏ではなく柏木だったと知ることになったことも想い出しているのだと思う。

貴種流離譚は物語の元型とされるが、その逆パターンなのか?源氏物語』は歌物語というだけあって、和歌が重要な意味を持つ。橋本『治によれば『源氏物語』における和歌は、この時代にあった(今でも天皇にはあるのか?)身分制を超えて身分の低い者から上位の者(その最高位が天皇だが)へと意志を伝える手段として和歌が用いられた。

模範五首

今日も穂村弘X山田航『世界中が夕焼け』から穂村弘の短歌五首。

体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ  『シンジケート』(1990)
きがくるうまえにからだをつかってね かよっていたよあてねふれんせ  『ラインマーカーズ』(2003)
フーガさえぎってうしろより抱けば黒鍵に指紋光る三月  『シンジケート』
呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」と貴方に教えてくれる  『シンジケート』
「十二階かんむり売り場でございます」月のあかりの屋上に出る  『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』(2001)

「ゆひら」も古語だけど体温計を咥えることも今はないな。電子体温計があるし、コロナ禍でさらに一瞬で体温を計るものが出てきた。ってか違った。体温計を咥えていたために「ゆひら」と発音せざる得なかったのだ。響きが古語かと思っていた。不完全なるものの可愛さという。これは男性社会を揺さぶる、つまり電子体温計や一瞬で体温を計ることではないし、あえて口に咥えるオールド体温計のデジタルじゃないモノクロの部分。そして窓に額を押し付けているというポーズをも含めてカワイイということなんだ。
難解歌。「からだをつかってね」は「セックスをしてね」の意味だそうだ。気が狂うとセックスも出来なくなるから、その前にということだった。アテネ・フランセは気が狂う前のことを言っているのだろう。フランス文学をやっていると気が狂いやすいイメージなのは、そういう文人が多いからだろう。
「フーガ」の歌は塚本邦雄を意識しただろうとお見通しだぜ!あとこれは投稿(穂村弘にも投稿時代があったんだ)だそうで語尾を月で揃えるカレンダー短歌の連歌だったという。
「火よ」という歌は作中主体(このことばがよくわからなかった)が火を知っているか否かで変わるという。こういう架空短歌になれてないと「火」なんか知っているに決まっているだろうと思うのだが、山田航は後者を取る。そうなると優しい人だと思うが、短歌や俳句は断定するのがいいみたいな風潮があって「なり」とかそうなんだけど。短歌に浪漫を見るか見ないかということだが勝手に浪漫していろと思うこともある。あれ、でも浪漫短歌に憧れるんだよな。
「かんむり売り場」は虚構世界なのだが屋上は底から出たがっている脱出願望があると読むほうも勝手に断定していくのだ。「かんむり売り場」は見立てということなんだ。なるほど。見えない話になっていた。

俳句レッスン

今日も堀本裕樹『十七音の海』から十首。第三章「言葉の「技」を身につける

霜柱俳句は切字響きけり  石田波郷
日盛りに蝶のふれ合ふ音すなり  松瀬青々
蛍火と水に映れる蛍火と  清崎敏郎
春の灯や女は持たぬのどぼとけ  日野草城
冬菊のまとふはおのがひかりのみ  水原秋桜子
眠りても旅の花火の胸にひらく  大野林火
と言ひて鼻かむ僧の夜寒かな  高浜虚子
葡萄垂れさがる如くに教えたし  平林静塔
金剛の露ひとつぶや石の上  川端芽舎(ぼうしゃ)
鳥わたるこきこきこきと罐切れば  秋元不死男

「や」「かな」「けり」の薦め。ただ芭蕉は「言葉は全て切字である」とも言っているのだ。言ったもん勝ちか?切字はカメラアングル説が好きだ。カメラの視点を変える。
「蝶」の句は実は季重なりで「日盛り」が夏の季語。でも「日盛り」がわからない。「ひもり」かと思ったら「ひざかり」だった。夏の一番暑い時刻。それならこれは夏の句だと理解出来る。
「蛍火」が水辺に映るという写生句。たいした写生でもないと思うがリフレインにしたことで韻律が美しいか?パクれるな。

桜花水に映れる桜花

音韻的には「と」がいいんだな。「と」の余韻。
日野草城の句はよくわからなかったがいい。取り合わせの妙。「春の灯」は、春に灯す明かりだが艶やかさと女性らしさがあると。「夏の灯」「秋の灯」「冬の灯」とあるようなのだが、それぞれの違いを理解しよう。「蝶」もあるな。何でも四季を付ければ俳句が成り立つということか。ただ四文字を専有してしまうので、限られた名詞だけか?
秋櫻子の句は「一句一章(一物仕立て)」という一気に詠まれる句だという。これまで切れ切れと言っていたのに、こういう句もあるのだ。秋櫻子ははかない光を詠み込んだようだが、堀本裕樹は力強い光を感じるという。俳句が解釈によって変わる見本とか。後者の解釈のほうがいいかな。
「花火」の句は字余りの句。「胸開く」にできるのに「胸に開く」という余韻だろか?「眠りても」だから花火は見えていないのかも。音だけを聞いているのか?違った。花火の興奮をねむってからも想い出すという句だった。戦時では花火は上げられなかった。久しぶりに見た花火のその喜びだという。
次は虚子の字足らずの句。「と言ひて」の前に何か言葉があるから四文字でも十分ということなんだ。「と、言ひて」かと思ったが。あと「鼻かむ」のあとに動作が入ることもあるのかと。

と言ひて鼻かむ 
僧の夜寒かな

詩の形になっている。
「葡萄」の句は直喩「如く」。下手に使うと如く俳句になるという。季語と離れた言葉を探すといいという。

俳句はと春の如くに眠くなり

如く俳句になってしまった。「春の如く」というジャズの名曲があったのだ。

川端茅舎の石の上の句は名句だった。暗喩だという。この解釈は水が石をも突き通すことかと思っていたが、水滴が天と地を映しているということらしい。わからんかった。金剛が露なんだ。露が金剛かと思っていたんだ。
このオノマトペはいい。

映画短歌

今日は『散り椿』か?難しいよな。死んだ奥さんが「散り椿」で和歌を詠む手紙を残すのだが意味がわからんかった。

散り椿より落ち椿
沙羅双樹
の花は同じツバキ科なれど

実際は沙羅双樹と夏椿は違うらしい。けど『平家物語』の沙羅双樹は夏椿だという。


この記事が参加している募集

#今日の短歌

39,052件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?