見出し画像

シン・短歌レッス35

雪柳。接近して撮るとグロテスクかもしれないと思った。水玉が苦手な人とか。まだ白だから圧迫感がないけどこれが赤とか青だったら結構な圧迫感だ。白い花は密集していてもいいのかもしれない。白梅の白とか。特にこの時期は雪に見立てて鑑賞するのかも。今日の一句。

雪柳溶け出す水の玉すだれ

意味不明だった。

『源氏物語』和歌

大空をかよふ幻夢にだに見えこぬ魂(たま)の行方たづねよ

『源氏物語』の「幻」の帖に掲載されている光源氏の和歌は、まさに幻想短歌だった。最愛の紫の上が亡くなり残さ荒れた光源氏はもぬけの殻のように余生を紫の上の魂を求めて和歌を詠む。それは現実にはすでに喪失した姿を求める幻想短歌の模範となる歌かもしれない。

模範五首

今日も穂村弘X山田航『世界中が夕焼け』から穂村弘の短歌五首。

ゆめのなかの母は若くてわたくしは炬燵のなかの火星探検  「火星探検」(「短歌」2006年1月号)
超長期天気報に予よれば我が一億年後の誕生日 曇り   
『ラインマーカーズ』(2003)
「腋の下をみせるざんす」と迫りつつキャデラック型チュッパチャップス  『ラインマーカーズ』(2003)
「その甘い考え好きよほらみてよ今夜の月はものすぎでぶ」  『ドライ・ドライ・アイス』(1992)
A・Sは誰のイニシャルAsは砒素A・Sは誰のイニシャル  『シンジケート』(1990)

「火星探検」の炬燵は掘炬燵かな。なんとなく掘炬燵がいいような。炭の火で。祖母の家はそうだったんで炬燵っていうのがエロチックだけど掘炬燵は行儀が良さそう(寝転ぶのが大変)。母の挽歌なんだ。「火星」が「魂」に繋がるな。
Microsoft edgeを立ち上げると天気予報のゲームがあり、いつも朝やってしまう。天気予報は毎日確認するし、1億年後に生きていた人がいたとしても確認するのだろうな。その前に地球は無くなっているだろうけど(人類は滅んでいるだろう)。その誕生日だなんて幻想以外にあり得ないのだけど、曇りは笑えるか?これは高橋源一郎『日本文学盛衰史』(お勧め!)の中の石川啄木の歌であるという。どういうことだ。穂村弘が短歌の部分を作ったということか(確認したらそうだった)?
「チュッパチャップス」はスペインのキャンディだが、そのCMはTVのキャラクターを登場させて話題になったようだ。ここでは『おそ松くん』のイヤミをイメージしているという本人の弁。CM風短歌。
月のでぶの歌はクリスマスというテーマだという。とすると男が女を誘って、断わりの返事だろうか?その前の歌があり、その返歌だと思うのだが。

トナカイがオーバーヒート起こすまで空を滑ろう盗んだ橇で

山田航は『ボニー&クライド』を連想するという。いい線言っている感じだ。「その甘い考え好きよ」はTVドラマか何かのセリフだそうだ。その言葉の本歌取りだという。何も短歌だけじゃないんだ。あらゆるものを本歌取りできるということだ。気に入った言葉があればそれを利用しろ!
景気昂揚期の思い上がりの歌というのは面白い。バブル世代なんだな。今はこういう歌を書けないという。
「A・S」と書いてあると甘い恋人風だが、それをAsとすることで化学記号に読んで砒素という猛毒を連想した歌だろう。危険人物なのか?最初のA・SとあとのA・Sではイメージが違ってくるという。実際に「アズサスミヨシ」という人の自己紹介で「Asは砒素です」と言ったそうだ。最初は「君のイニシャル」にしたのだが、それではただの恋歌になってしまう。デンジャラスさを出すために「誰」にしたのだと。「君」と「誰」の違いについて考えよう。

日曜はNHK短歌をやろう。3/20まで。川野里子「歩く、歩む」。山崎聡子「親、子に思うこと」

短歌はいきなりは出て来ないんだような。イメージを培っていかなければ。「歩く」は山崎ハコ『歩いて』だな。

「マイ・ウェイ」的な曲だった。

俳句レッスン

今日も堀本裕樹『十七音の海』から十首。

鎌倉を驚かしたる余寒(よかん)あり  高浜虚子
狡(ず)る休みせし吾(あ)をげんげ田に許す  津田清子
てのひらに落花とまらぬ月夜かな  渡辺水巴
先人は必死に春を惜しみけり  相生垣瓜人
蛍籠昏ければ揺り(も)えたたす  橋本多佳子
羅(うすもの)や人悲します恋をして  鈴木真砂女
夜濯(よすすぎ)にありあふものをまとわりけり  森川暁水
空(くう)をはさむ蟹死にをなるや雲の峰  河東碧梧桐
知らぬ間にすこし眠りぬ夜の秋  久保田万次郎
夕かなかな母の手紙は語るごと  角光雄

虚子のくせに写生句じゃない。「余寒」は杜甫の漢詩から。「間道の余寒氷雪を得たり」が春の季語に結びつくのがわからない。「余寒」と「予感」を掛けているのだな。また「鎌倉」を擬人化しているという。初心者こういう俳句は作ってはいけませんといいそうな句だな。どこがいいんだか?
「狡(ず)る休みせし」の俳句はいいな。句跨りで二項文になのも気持ちがいい気がする。津田清子は山口誓子に師事、「多佳子の激しい叙情性と誓子の知的構成とを受け継ぎ、しばしば「硬質の叙情」と評される」。かっこいいじゃないか。
「落花」の句は、桜と月を同時に詠んでいてそれを掴もうとする手も描写している。作者によるとフィクション俳句ということだった。そうそう月と桜と詠めるわけがない。
相生垣瓜人(あいおいがきかじん)は変換されたから有名人なのか?初めて聞く俳人だった。

「先人は必死に春を惜しみけり」は言い得て妙である。春を惜しむというのは、「行く春」とかの句を指しているとか。芭蕉の句とか。

行く春や鳥啼き魚の目に泪  松尾芭蕉『おくのほそ道』

四Tの橋本多佳子。まだよく違いがわからない。四Tが区別できるようになったら鑑賞眼も出来ているということを目標にしよう。

ほかに男の俳人では四Sに注意する。水原秋櫻子、山口誓子、阿波野青畝、高野素十。
「蛍籠」の句は、蛍を鑑賞できる情緒の環境にいないのでよくわからないが、『源氏物語』にも出てきたのでそのへんかなとも思う。

声はせで身をのみこがす蛍こそ言ふよりまさる思ひなるらめ

「蛍火」を女の情念と重ねているという。「蛍」は鳴く虫との対比で、より口に出さない情念を表すとされる。
「羅(うすもの)」が出て来ないと思う。これが季語なのか?こういう言葉は先人たちからの言葉なんだろう。それを伝えるのか?新しい言葉で勝負していくのか?後者だったので、こういう句は捨てる。鈴木真砂女は、恋の句を詠んだ俳人。短歌的だと思ってしまうが、思い込みは良くないよな。こういう恋の句も作れる。
「夜濯(よすすぎ)」も季語だった。洗濯機ではなく盥でゴシゴシという感じだそうである。そういえば洗濯板とかあったな。一句出来た。森川暁水が「夜濯」という季語を作ったらしい。季語になるような句を読みたい。

夜濯ぎは洗濯板と共に消え

いま一番注目しているのは河東碧梧桐なのだ。でもあまり本が出てないんだよな。虚子と二大勢力とされていたのに、いつのまにか碧梧桐は忘れ去られていった。弟子筋がいないということもあったのかな?
「空(くう)」と読ますのは「そら」と読んでほしくないからと。「空」の漢字が蟹をひっくり返したような言葉のイメージから「雲の峰」という遠近法。入道雲だという。
久保田万次郎の季語「秋の夜」は夏の季語だという。何故かというと虚子がそう決めたからだそうだ。虚子の繊細な感性だというが、そうなのか?秋で何故いけない?
これは「かなかな」で「蜩」だから晩夏だと思うがすでに秋の季語になるのだった。こういう歳時記の取り決めは、無視してもいいと思う。著者も言っているように7月に蜩が鳴くこともあるのだから。あくまでも実体を中心に考えていけばいいのである。まあ解釈するほうは勝手にどうぞというしかないけど。

NHK俳句3/20「夏井いつき こどもの日」「山田佳乃 筍」を考える。「こどもの日」って難しいよな。実景を読むのだったら鯉のぼりとか。でも連想句になりそうだ。

映画短歌

昨日途中で寝てしまったけど『林檎とポラロイド』。映画的には面白いテーマだ。

スカという80年代
カスという
バブル世代の幻夢たずねよ

この記事が参加している募集

#今日の短歌

39,052件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?