『源氏物語』の「もののけ」は当然の感情である。
『源氏物語 A・ウェイリー版2』紫式部 ,アーサー・ウェイリー(翻訳),毬矢 まりえ(翻訳),森山恵(翻訳)
橋本治『窯変 源氏物語』と平行して読んでいるので、橋本源氏に比べてすいすい読める。鏡餅が「ミラーケーキ」とか、「ゴセチ・ダンサーズ」(舞姫か?)とか英訳が相変わらず面白い。花や鳥などは日本のものよりもイギリスで馴染にあるものに替えていたりして興味深い。鶯→ナイチンゲール、葵→向日葵とか。とくに和歌などは噛み砕いてイギリスのわかりやすいものに喩えていた。
和歌は英語だと説明的(詩であるよりも散文)になるでわかりやすいのはわかりやすいかも。原文も載っているので、その差異も面白いと思う。
息子世代になると同じことでも喜劇的になるようで、そのへんもスラスラ読めた。夕霧の愚鈍さは光源氏があまりにも現実場馴れのスーパースターだからちょうどいいのではと思う。より現実的だ。吉本隆明『源氏物語論』ではそのへんは作者である紫式部の心境(環境)の変化にあるという。光源氏の物語はファンタジーで良かったのだが、夕霧世代になると現実的なことを書かざる得なくなってきた。
玉鬘が髭黒とくっついたのは、良くわからなかった。女性の運命は女性が決められるものでもなく、そのへんは非情な運命にあるのだ。それにしても紫式部は髭黒のことを悪く書きすぎだと思ってしまう。誰も幸せにならない結末だった。
惨めなのは元妻で「もののけ」が憑いたとかでエクソシスト(悪魔祓い)を呼ばれてしまう。『源氏物語』の「もののけ」は同情してしまうものが多い。今の時代なら「もののけ」ではなく当然の感情だと思うのだ。それを「もののけ」のせいにしなければならない悲劇がある。まあ、この巻で一番面白かったのは近江の君なんだけど、近江の豪快な性格には救われる。宮廷生活はとても無理そうだが。
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